地域の「インフラ」であることの誇り (堀江佳史/弁護士、紀北はしもと法律事務所 所長)

名門・京都大学で学び、2002年に司法試験に合格した堀江佳史さん。2009年、自身の生まれ故郷である和歌山県橋本市に法律事務所を設立し、以降は地元橋本に暮らす人々のために業務に従事してきました。自身のライフワークとして掲げているのが、障害を持つ方々への法的な支援活動。お客さまの感情に寄り添い、その支援に全力を尽くすだけにその日常は多忙を極めますが、それでも仕事、そして剣道に情熱的に取り組む堀江さん。ご自身の経歴、そして経歴をうかがえば、実直で、心優しいその人柄があふれるインタビュー内容となりました。

プロフィール

堀江佳史(ほりえ・よしじ)
1975年9月2日和歌山県生まれ。初芝富田林(現・利晶学園)高校(大阪)から京都大学に進学。弁護士を志して学び、2002年に司法試験に合格。大阪での修行時代を経て、2009年、故郷である和歌山県橋本市に紀北はしもと法律事務所を設立する。小学2年生からはじめた剣道は現在四段を取得。所属する八幡剣友会では少年指導に携わっている。

紀北はしもと法律事務所
https://www.kihoku-hashimoto-law.jp/

障害を持つ方々を支援するために
弁護士を志した

――― 和歌山県橋本市を拠点とする紀北はしもと法律事務所。その所長を務める堀江佳史さんにお話をうかがいたいと思います。まずは事務所の経営方針などをうかがえれば。

堀江  使い古された言葉になりますが、弁護士は完全にお客さまと同一化するのもよくないこと。お客さまと同じように感情的になってしまっても周りが見えなくなってしまいます。お客さまの感情にはしっかりと寄り添って、理解は示したうえで、そこからはできるだけ冷静に、先を見据えた選択肢をご提示できるよう努めています。

堀江  ウチの事務所しかり、弁護士事務所に足を運んでくださるお客さまの多くは、心のなかで「思い切って」訪ねてきたくださることがほとんど。ウチにいらっしゃるお客さまは中小企業の方、個人の方が大半ですが、なかには正直、いままで弁護士になんて会ったこともない、という方だって多いんです。私と顔見知りの方であっても弁護士事務所に相談にくるのはなかなかハードルが高いこと。それを思い切って乗り越えて訪ねてきてくださるのですから、そんな思いを汲み取れば、もうこちらとしては可能な限り、ご要望にはお応えしたいと思っています。

――― 司法試験はいつの時代も変わらぬ高く厚い壁。堀江さんはなぜ弁護士を志すようになったんですか?

堀江  私には、ずっと弟のように思ってきた従兄弟が2人いるんです。彼らには視覚障害があって、今は既に2人とも社会人になっています。私はずっと彼らと親しく思ってきたわけですが、ちょうど大学に入学したときに考えるようになったのが彼らや彼らのように障害を持つ方への支援でした。通常であれば親はやはり子よりも先に亡くなるわけで、彼らが両親を失ったあとでも幸せに生活できるような環境をつくりたい、と。そんな思いを抱いて、学生時代にボランティアサークルに入ったりしました。

堀江  いざ就職を考えるようになった時期にまず考えたのは厚生労働省でした。しかし、いざ説明会を聞きに行ってみれば、やはり組織には組織なりの制約やロジックがあることを知り、どちらかというと周囲の雰囲気に染まりやすい自分にはちょっと合わないかという気がして、そこで弁護士が候補にあがりました。弁護士の立場は、偏っていると言えば偏ってはいるんですが、偏っていることこそ弁護士の本質ではないかな、と。お客さまのためであれば、偏っていると言われようと、その人のための支援に従事できる。弁護士として、障害のある方の支援をしようというのがこの職業を志したきっかけです。

――― 先ほどご自身でもおっしゃったように、普通に生活するなかでは弁護士の先生とお話をする機会は多くはありません。相談のハードルもとても高いなか、なぜ紀北はしもと法律事務所にはたくさんのご依頼のお客さまがいらっしゃるのでしょうか。なにか堀江さんならではの工夫があるのですか?

堀江  まず地域に根ざしているからこそ来ていただけている部分もあると思いますが、実際のところどなたかの紹介で来ていただけるケースも多いですね。それこそ福祉関係の方からの紹介も多くて、実際のところそれだけでかなり手いっぱいな状態でもあるんです。それでも福祉関係者の方から「こういう人がいて、こういうことで困っている」とお話があれば、基本的にはお断りすることはありません。

――― お仕事に向き合うそういった姿勢が自然と口コミで広がっているのかもしれませんね。具体的な内容こそお話いただくのは難しいかもしれませんが、どのようなご依頼が多いんでしょうか?

堀江  大まかな話ですが、たとえば昨年は破産など、経済的に立て直すようなお仕事のご依頼が多かったですね。統計データを確認はしていませんが、もともとコンスタントに多くて、たぶん和歌山地裁の破産申立て件数の多さでは、県内でも5位以内には入っているんじゃないかと思います。

――― 信頼の厚さがうかがえます。

堀江  そうだとうれしいんですけどね。ご依頼は企業の破産事件から個人で困った方の自己破産までたくさんあるのですが、たとえば自己破産というのは経済的に立ち直るための制度ではあるけれど、負債を返さなくていいようになるだけで、今後の収入をどう得られるかという問題とは直接は関係がありません。弁護士として携われるのは、あくまで負債をどうするかという部分だけで、実際のところそれこそ障害のある方などは、その収入という部分でうまくいかないことが多いわけです。ですから、その点においては地域の福祉関係の方にご協力をいただきながら、収入に問題があるのか生活そのものに問題があるのかなど原因をしっかりと見極めて、以降の生活がちゃんと立て直せるのかを可能なかぎり配慮するように心がけています。これがレストランであればリピーターはいいお客さまとなるだけですが、自己破産となるとリピーターになられては非常に困る。なるべくそうならないように工夫はしたいし、そうしているつもりではありますね。

堀江  こんな言い方をするのもどうかと思いますが、ぶっちゃけた話をすれば、障害を持たれた方の破産案件などは決して儲かりはしない。やはり、そもそもの収入部分に大きな課題があることが多いので、むしろ赤字に近いようなものです。ですから、多くの弁護士さんはあまり好んで携わることはないと思います。無料法律相談や弁護士費用を立て替える「法テラス」という制度がありますが、事務所の経営を考えればこの「法テラス」の利用を減らすことが利益率を上げるためには必要なわけです。ですが、障害を持たれた方の破産案件などはほぼ100%の確率で「法テラス」を利用しなければならない状況にありますし、実際に「法テラス」案件を扱わない日はほとんどありません。

――― そんな状況でも決して見放すことなく、障害のある方への支援を続けられているわけですね。

堀江  そうですね。でも、なにごともバランスだとは思っています。そちらばかりに集中してしまえば立ち行かなくなるのは明白ですから、しっかりと企業の破産などにも取り組まなければいけないと思っています。私自身は、志しさえ高ければスキルはなくてもかまわない、とは思っていなくて、やはりスキルのない人間が志しや情熱だけで取り扱っても結局は被害を与えるだけ。我々は専門職ですからそれこそ職人みたいなもので、日々己の技術を磨き続けなければいけないという思いはありますね。

頭脳を使って勝負できることが
剣道の大きな魅力

小柄だったという少年時代の堀江さんが得意としていたのは出ばな小手。試合での取得技のほとんどがその技だったという。

――― 剣道四段という堀江さん。ぜひご自身の剣歴もお聞かせいただければと思います。

堀江  剣道をはじめたのは小学校2年生からです。当時の私は毎冬になると必ず風邪をひくような虚弱体質で、そんな私を心配した母親が「なにかスポーツをやろう」と。あのころの地元での選択肢となると、野球か剣道くらいしかなくて、先に剣道をはじめていた友だちもいたものですから、それならば私もと地元の道場に入門しました。いざ剣道をはじめてみると、それなりに楽しく稽古はしていましたが、一人背の高い同級生がいて、彼の面打ちを受けるのが本当にイヤでイヤで(笑)。とくに私は背が小さいですから、彼に打たれると竹刀がしなって後頭部にまで巻き込んでくるので、何度も「もう辞める!」と泣いたものです。それでも中学校でも剣道部に入部して、地域の大会レベルではありますが、小学生時代や中学生時代には上位に入賞したこともありましたね。

――― 高校は地元を離れて大阪府の学校に進学するんですね。

堀江  いまでこそ生まれ故郷の橋本に戻って生活をしていますが、実は当時の私は田舎暮らしがイヤで、故郷を捨てたくて仕方なかったんです。私が進学した初芝富田林高校は地方の進学校的な学校で、剣道部もまた先生が4人ほどいらっしゃるような充実した環境でした。しかし、ここでは私は剣道部には入部することはありませんでした。将来的な話題として、ウチはそれほどお金持ちな家でもなかったこともあって、大学に進学したとしても基本的には下宿は禁じられていたんです。ただし、「もし京都大学にでも受かるのであれば、そのときは一人暮らしを許してやる」と。先ほども言ったように、当時の私は「絶対にこの橋本から出たる!」という思いがありましたから、意地でも京大に受かりたい。となると、高校時代はどうしても勉強に費やさざるを得ず、また通学にも片道1時間かかっていたこともあって、剣道部への未練はありつつも入部を断念することになりました。とはいえ、剣道自体は好きでしたから、時間があるときには気分転換がてらに地元の道場に顔を出して、細々ながらも剣道を継続してはいました。

――― 猛勉強の甲斐あって、見事に京大に合格されると。

堀江  大学では体育会ではなくて、「指薪会」という剣道同好会に入会したんです。私はワガママな人間で、いざ都会に出てみればいろいろなことを経験したくなった。体育会剣道部に入部するとどうしても稽古だけの学生時代になってしまいそうだったので、剣道は同好会を選びつつ、いろいろなサークルにも所属して学生生活を楽しみました。当時の同好会は人間関係もよくて、私にとっては本当に楽しい思い出ばかりです。同級生たちもいまでも社会で大活躍していて、医学部生だった主将はいま京大医学部で教鞭を執っているようですし、副主将は裁判官になっています。他にも大手自動車メーカーやメガバンクなどで出世している同級生もいますし、そんな仲間たちの活躍には大きな刺激を受けますね。

――― 自分自身で選ぶ自由があるなかで、ちゃんと剣道を継続したんですね。

堀江  剣道はキライではなかったんですよね。私自身の感覚で言うと、剣道は頭脳で一本が取れる、というイメージがあるんです。もちろん球技などにもロジックはあるんでしょうが、他のスポーツ競技よりも剣道には論理を感じます。頭を使うことで、運動神経がいい相手にも勝てるというところに、私自身は大きな魅力を感じていたんです。しかし、剣道は学生時代までで、実はそのあとしばらくは剣道からは距離を置くことになります。私が司法試験に合格したのは27歳のときで、8年間京大にいて、ちょうど9年目になんとか弁護士になることができたわけです。いざ弁護士になってみるとやはり多忙で、「やりたいな」という思いはありつつも、なかなか定期的に稽古をすることは叶いませんでした。

第17回伊都地方少年剣道大会・小学校高学年男子個人の部で2位に入賞したときの銀メダルを手に、思い出話に花を咲かせた。

――― いつ、どんなきっかけで復帰することになったんでしょうか。

堀江  弁護士としてしばらく大阪の事務所で修行していたのですが、弁護士になって5年目くらいのとき、当時はすでに結婚もしていて、新しいマンションでも購入しようかという話になったんです。実家に帰るのはそれこそ盆と正月くらいで、日頃はあまり顔も出すこともなかったのですが、そんなときに偶然にも両親ともに体調を崩したんです。結果的に重大なことにはならず、両親ともにいまも健在なのですが、そのとき思ったのは「いつかすればいいと思っていた親孝行だけど、それをする機会がなくなるかもしれない」ということで、ちょうど新居の購入も検討していたこともあり、「地元に帰るならこのタイミングしかないかもしれない」と。それが34歳のときでした。

堀江  橋本に戻ってもなかなか剣道を再開することはなかったのですが、いまから4年ほど前、小学5年生だった息子が「剣道をやる」というので、そこで私も復帰することになりました。入会したのは地元の八幡剣友会という道場で、当時はコロナ禍ということもあってみんなマスクをしながら稽古をしていたので「いま剣道はどうなっているんだ⁉︎」とかなり驚いたのを覚えていますね(笑)。世のなか的にも剣道界的にも大変な時期でしたが、私にとっては幸いだったこともあって、復帰してすぐに大人同士で稽古ができたことはありがたかったですね。本来は少年道場ですから、少年指導が稽古のメインとなるところ、コロナ禍もあってか、一時的にですが、子どもたちもウチの息子を含めて3人しかいない状況になってしまっていたんです。それ自体は残念なことでしたが、大人の先生方とじっくり稽古ができた環境は私にとっては非常に恵まれていたと思います。

堀江  復帰してすぐは切り返しをやるだけでも足がもつれて転んでしまったり、いまもまだ右手にガチガチに力が入ってしまったりと直すところばかりなのですが、復帰してすぐに「落ちてもええわ」というくらいの気持ちで昇段審査にチャレンジしてみた結果、運よく四段に合格することができました。いま道場では、子どもたちへの基本指導をさせていただいていて、ありがたいことに小学校高学年の人数もちゃんと5人制の団体戦が組めるくらいまで増えてきたんです。道場の稽古は水曜日と土曜日の週に2回で、仕事の都合もあって毎回の稽古に参加することは難しいものの、それでも継続して取り組んでいます。やっぱり少年指導というものは本当に難しくて、「どう伝えればよくなるのだろうか」と悩んでばかり。ときには「僕が先生じゃないほうがいいんじゃないか」と落ち込むこともありながらも、子どもたちはカワイイですし、大きなやりがいを感じますね。

――― それでは最後に、剣道と、そしてお仕事の堀江さんの今後の展望を聞かせてください。

堀江  剣道についてはまずはケガなく続けていきたいと思っています。いま子どもたちを指導する立場にあるわけですが、私自身がそうだったように「細々とでもいいから続けていくといいことがある」ということを伝えたいですね。そのためにもまずは自分自身がケガなく健康でありつつ、厳しい部分が大切なのは承知のうえで、「剣道って楽しいな」と思えるような指導を心がけていきたいと思います。

堀江  自分自身の剣道については、試合と昇段があるでしょうか。リバ剣してから3試合ほど経験しましたが、やはり勝つことはなかなか難しい。一度くらいは試合で勝ちたいですね。昇段審査については、はたして自分がいまちゃんと四段の剣道ができているのか甚だ疑問ではありますが、それでも五段審査には挑戦したいという思いはありますね。自信を持って受けられるのを待っていたら永遠に受けることができないので、どこかで思い切るしかないですね。

堀江  仕事については、目の前のお客さまに寄り添って全力を尽くすことがひとつ。それと同時に自分のスキル技術に磨きをかけることを怠らない。そして、自分のライフワークとして障害のある方への支援はずっと続けて行きたいな考えています。それを実現するための切実な課題として、人員を増やしたいという思いがあるんです。いまウチの事務所は弁護士である私と、そのほかには司法書士が1名、社会保険労務士が1名、事務局1名いて、合計4名で運営しているのですが、なんとか弁護士をもう一人増やしたいなと思っているんです。

堀江  現在、弁護士が増えているのはやはり大都市の東京ばかりで、私のような地方の弁護士の立場からすると、「都会」という、いわゆる「レッドオーシャン」にわざわざ飛び込んでいく若い方が多いというイメージを抱いています。実際には地方のほうが圧倒的に人手不足。ウチの事務所も営業活動にそれほど力を入れているわけではないにも関わらず、普通に日々仕事をしているだけでご依頼をいただける現状です。もちろん東京や大阪などの大都市には大都市なりのよさはありますが、地方で弁護士をやってみると、自分の存在がこの土地のインフラなんだと思えてきて、大きなやりがいを得ることができるんです。ですから、ぜひウチにもどなたか弁護士の先生に来ていただきたい。それがもし剣道をやっているような方であれば、そんな喜ばしいことはありません。

コロナ禍に剣道復帰を果たした堀江さん。所属の八幡剣友会では少年たちへの基本指導を任されている。

「一度くらいは勝ちたい」と話していただいた後に開催された紀の川剣道錬成会で、堀江さんは見事な二本勝ち を収めた。

コメント

関連記事