道場は心を育てる場所。剣道経験者の可能性は無限大(桐木司/株式会社山陽測器 代表取締役専務)

広島県広島市に本社を構える株式会社山陽測器。設立50年を超える歴史を誇る同社は、建設現場に欠かすことのできない測量機器・測定器・試験機の総合商社です。同社の代表取締役専務を務める桐木司さんは、実は広島県の強豪道場の代表でもあります。現在、会社の新たな人材についても剣道経験者に注目しているという桐木さん。道場では少年たちの心の成長を見守りつつ、仕事においては剣道経験者の持つ能力を高く評価、その将来性に大きな期待を寄せています。

プロフィール

桐木司(きりき つかさ) 1969年11月6日 広島県生まれ。広島山陽学園山陽高校(広島)に進学。高校卒業後、生家が営む株式会社山陽測器に入社。現在は同社の代表取締役専務、子会社となる株式会社山陽測器大阪の代表取締役社長を務めている。小学1年生からはじめた剣道は高校卒業以降はブランクを挟むも30代で復帰。34歳のとき、自信が代表となる心成館もみじ道場を創立。同道場は現在創立から22年目を迎える。自身の主な戦績には中国高校剣道大会出場、広島県高校剣道大会2位などがある。剣道教士七段。

株式会社山陽測器
https://www.sanyou-sokki.co.jp/

心成館もみじ道場
ホームページ:https://shinseikanmomijidojo.jimdofree.com/
Instagram:https://www.instagram.com/momiji__dojo/

事業は好調。
実業団剣道部発足も視野に

広島県広島市西区にある株式会社山陽測器本社
山陽測器が取り扱うのは建築や土木の現場では必要不可欠な測量機器・測定器
会社設立当初は測量機器の販売のみの事業だったが、現在はそのレンタル事業も展開している
精密機器だけに測量機器の小まめな修理点検も欠かせない仕事のひとつとなる

―― 広島県広島市に本社を構える株式会社山陽測器。その代表取締役専務を務めている桐木司さんにお話をうかがいたいと思います。ぜひ会社の歴史や概要などを教えてください

もともとこの会社を興したのは私の父親で、私がまだ3歳だった1972年に会社を設立し、今年で53期をむかえました。私自身は高校卒業後に入社をして、いまは働きはじめて36年目になりました。会社の事業としては、建設や土木の現場には必須な測量・計測機器システム販売、その修理校正やレンタル、業務請負などが主たる内容です。

会社創業当時は測量機器の販売のみでしたが、売った商品も修理できなければいけないということで機器の整備もはじめるようになり、その後販売が厳しくなるとレンタル業を開始、いま現在では比率的にはレンタルのほうが多いくらいになりました。そのほかにも、たとえば竹刀の計量に使うような計りも取り扱いますし、新基軸としては測量業務の支援がありますね。いまはもう土木、建築の世界では三次元の設計データが当たり前となっているので、ドローンを飛ばして計測をした三次元の設計データをお客さまに納品する業務も展開するようになりました。

また、弊社は大手ゼネコンさんの「倉庫」としての役割も担っています。お取引先であるゼネコン各社の所有機を預かり、いざ現場となれば弊社からそれを持っていく。現場が終わればまた所有機を引き取って整備して管理するという業務。現場はもう全国各地になりますから、そのたびに出荷、引き取りに出向くわけです。

―― 同業種の企業というのは多いものなのでしょうか?山陽測器さんは会社の規模としては非常に大きいようですね

測量機器を取り扱っている業者は、おそらく中四国だけでいえば6社ほどですから、決して多いとは言えないですね。 ウチの会社の規模で言いますと、広島に本社があり、そのほか山口、島根、大阪、東京にも事務所があります。東京の事務所は営業のために構えている場所で、山口と大阪には7人、島根には3人のスタッフがいて、全社を合わせると従業員は52人になりますね。従業員数では業界内でも多いほうで、全国的に見てもおそらく二番手くらいかなと思います。

―― ドローンを使用しての三次元の設計データ作成など、最新の技術をつねに導入していかなければならないんですね

そうなんです。我々の年代の人間にはよく分からないことばかり(笑)。ですから、つねに若い人の意見や考えをどんどん取り入れていく必要があるんです。もしダメだったとしても、それはそこで是正して見直していけばいい。実際に弊社のスタッフの平均年齢は33歳、34歳と若くて、彼らの新しいアイディアに会社は支えられています。

―― 企業の魅力やアピールポイント、また難しさを感じる部分などを教えていただけたら

魅力という部分でいうと、まず資格を取れることはメリットかなと思います。測量士、測量士補といった測量に関する資格が取得できますし、土地家屋調査士の資格取得を目指す社員もいるんです。そして給与面でもきっと満足してもらえると思います。おかげさまで売上総利益は好調なこともあって決算賞与も大手企業並みに渡せているのが現状。ほかの中小企業よりもお渡しできることは、企業としてはひとつアピールできるポイントではないでしょうか。

一方、我々が苦労している部分といえば人材の確保です。建築に関する仕事なるとどうしても体育会のイメージが強いというのか、人材はどうしても大手にばかり集中してしまって、我々のような中小規模の会社は人材の確保が難しい。また、建築、測量というと専門的な知識を求められるイメージがあるようですが、まったくそんなことはなくて、こちらとしては働きながらイチから教えていく準備はできています。

課題となる人材確保のために、私が頼ろうとしているのは実は剣道の縁なんです。私自身、剣道経験者はやはり礼儀などの部分でも一般の学生さんたちとは違うと感じているので、ぜひ剣道経験者を積極的に採用したいと考えています。そのためには、弊社に剣道部を立ち上げて実業団大会に参戦することも検討中で、もし剣道経験者が入社してくれれば各々学校の先輩、後輩の関係性から、継続的に入社してくれる若者が増えるのではないかという期待もある。剣道経験者求む、ということはぜひこの場でアピールさせてください(笑)。

―― 新たな実業団チームが誕生すればまた剣道界が活性化しますね。今後の展開を大いに楽しみにしています

事業の新基軸となるのが測量業務の支援。ドローンを用いて三次元の設計データ作成する
今年(2025年)、創業から53年目をむかえた山陽測器。写真は設立50周年式典での一枚

道場を設立。
子どもたちの心の成長を願い、心成館と命名する

―― 剣道の話題が出たこともあるので、ぜひ桐木さんの剣道のお話もうかがえれば。桐木さんはご自身で道場を立ち上げているそうですね

道場を立ち上げて現在は22年目の年で、設立当時は私は34歳でした。もともと通っていた道場はあったのですが、近所に住む子どもたちで剣道をやっていたのに辞めてしまっていた子が何人かいたんです。その子たちを指導したいなと思うようになったのが道場設立のスタートで、最初は使える施設もなかなか見つからなかったので屋外での剣道教室からはじめました。その後はスポーツセンターなども利用できるようになり、いまでは中学校の武道場を借りたり、小学校の体育館を借りたりしながら週に5回の稽古日を設けています。

―― 心成館もみじ道場という名前は?

私が考えさせてもらいました。心を成長させる場所でありたいという思いから「心成館」と付けて、せっかくやるのだったら競技の面でも広島県の代表として活躍できるような道場にしたいという思いから、広島をイメージさせる「もみじ」を加えたんです。

―― 22年もの歴史を重ねるのはカンタンなことではありませんね。ご苦労も多かったんじゃないですか?

少年道場といっても子どもたちだけに向き合えばいいわけではなくて、保護者の方への教育や理解をいただくことも必要なこと。むしろ私自身は子どもよりも保護者にどう理解してもらうかのほうが大切な気がしています。保護者が変われば子どもたちもまた自然と変化していくものですから。

剣道の指導については私自身の経験だけではとても教え切れませんから、そこはいろいろな道場に勉強にいかせていただいたり、講習会にも積極的に参加して知識を蓄えていったような感じです。いま現在は指導者にも恵まれて、指導陣は7人。そのなかには私の息子である竜馬も含まれます。

―― その竜馬さんの2人のお子さん、つまり桐木さんにとってはお孫さんにあたる男の子たちも道場に通っているとか

小学4年生と小学2年生の孫が2人やっているのですが、おじいちゃんとしては孫がかわいくて、厳しい剣道なんてやらないほうがいいんじゃないかと(笑)。息子が指導者ですから、孫たちに対してもときに厳しいかかり稽古をさせたりもするんですが、そういう光景を見ると思わず「もうそこらへんでやめてやれ!」と言いそうになりますね(笑)。昔、自分は息子にさんざん厳しい稽古をやらせていたのに、やはり孫となると大きく違うものですね。

心成館もみじ道場を立ち上げた桐木さん。
現在は親子三代で同じ稽古場所に立てるという幸せを噛み締めている

―― 道場の戦績、現状などはいかがでしょうか?

広島県でもっとも大きな大会があって、そこでの戦績でいうと3位入賞が一番多いものの、優勝と2位も3回ずつ果たすことができています。おかげさまで安定して県の上位には進出できるようにはなりました。人数の面でいえば現在子どもたちは多くて、全員で25人いるんです。過去には指導者の人数のほうが多い時期もあったくらいで、私たちもなんとか普及活動に力を入れた結果、この2、3年でこれだけの人数が集まるようになりました。

―― 桐木さんご自身の剣歴もうかがいたいと思います。もともと剣道をはじめたのは?

剣道は小学校1年生からはじめました。きっかけとなったのは母親で、子どものころの私が、とにかく落ち着きがない、という理由で道場に見学に連れて行かれたんです。ちょうど家から車で2、3分の距離に道場があって、見学に行ったその足でそのまま入門しました。

中学校までその道場に通い、その後は道場の先生のご紹介から高校は剣道特待で入学しました。それが広島山陽学園山陽高校という学校。当時はまだ男子校で、とにかくスポーツが盛んなところでした。剣道部の顧問を務めておられたのは広島県警師範、広島大学師範などを歴任されていた大森玄伯先生(範士九段)。大森先生の指導のもと、剣道部もまた盛んに活動していましたが、結果的に県大会ではすべて2位に終わってインターハイ出場には手が届きませんでした。私自身は2年生から選手に起用していただいたのですが、当時の4人の3年生の先輩がとにかく強くて、その4人ともに国体選手に選考されたくらいの実力者。それだけにインターハイ出場も確実視されていましたが、決勝戦で安芸高校の前に敗退。あれはとくに悔しい記憶として心に刻まれていますね。

高校は強豪として名を馳せていた広島山陽学園山陽高校に進学。
県大会の上位進出、中国大会出場は果たすものの、夢のインターハイ出場は叶わなかった

―― 高校卒業後はどういう進路を辿られたのでしょうか?

当時はすでに妻と出会っていて交際をしていたのですが、高校を卒業するあたりのタイミングで長女が誕生することが分かった。そこで「子どもが生まれるのだから働かなければ」と思い立ち、父の経営する実家の会社に入社することになりました。

仕事はもちろん家庭のこともありますから、当時はとても剣道どころではなく、8、9年ほど剣道からは離れていました。ようやく仕事も家庭も落ち着いてきた時期にたまたま出会ったのが高校時代のライバル校にいた同級生。彼は近所に住んでいたのですが、出会ったときに聞いたのが「一般の愛好家で集まって稽古会をしている」という話。なんとなく興味が湧いたこともあって、私もその稽古に参加するようになりました。久々に稽古をしてみたところ、とても楽しかったんですよね。稽古自体はもちろんのこと、毎回稽古のあとには飲み会もセットになっていて、そこでの剣道仲間との交流も実に楽しい時間でした。そうして剣道を楽しんでいるうちに、それならば昇段審査にも挑戦してみようか、とも思い立つようになった。そんな流れで本格的に剣道に復帰することになりました。

道場を設立してみれば当然稽古のメインは少年指導になります。たまに道場の指導者同士で稽古する機会はあるものの、稽古のほとんどは子どもたちの元立ちです。昇段審査に挑戦を続けるなかでは「子どもとばかり稽古しているのだから合格できないのは仕方がない」と自分自身に言い訳をしていた時期もあるのですが、ある少年道場の先生とお話をしたときに「子どもたちと稽古するのも一般同士で稽古するのも変わらない」という言葉を聞いて、それがなぜか心に響いた。その言葉があったからこそ、あきらめることなく挑戦を続けることができたのだと思います。

―― 現在段位は七段。子どもたちと稽古をしながら、見事に昇段を果たして来られましたね

子どもとの稽古は、さすがにかかる稽古にこそなりませんが、子どもならではの大胆な技や予測不可能な技に対して、しっかりと応じる技を狙っていくことで自分の剣道にも大きな収穫があったと感じています。事実、六段審査、七段審査でも私の打った技はほとんどが応じる技でした。子どもとの稽古でも充分に学べることはあると実感できましたね。

―― それでは最後に、お仕事、剣道のこれからの展望、目標などをお聞かせください

仕事に関してはおかげさまで好調ですから、いまのまま進めるべき部分については今後も堅実に進めていきたい。その上で、お話させてもらったとおり、若い人たちを採用してその考えや意見を積極的に取り入れて挑戦していくことにも取り組んでいきたいです。具体的な目標としては、営業所の拡大を考えていて、とくに近畿内で三拠点ほど拡大できたらいいなと思っています。

剣道については自分の目標と道場の目標とがありますが、まず自分自身の剣道についてはやはり八段審査が大きな目標です。非常に高くて厚い壁ですが、あきらめることなく挑戦を続けて、叶うものであれば一次審査を通過してみたいです。

道場としての目標は、広島でトップを目指すという部分についてはある程度達成できた感もあります。それでも日本一を目指して活動は続けていくつもりですが、いま私が掲げている目標は、広島で一番人数の多い道場になる、ということ。やはり子どもは宝。子どもたちがいないことには道場は盛り上がりませんし活性化もしませんから、現状に満足することなく今後も普及活動には取り組んでいきたいですね。

最後に、私の夢としては自由に使える道場を建ててみたい。私たちが所属する佐伯区の剣道連盟には7団体が登録しているのですが、その誰でもが利用できるような稽古環境を整えたいんです。みんながいつでも自由に集まれる場所をつくることができたら、それは本当に幸せなことですから。

心成館もみじ道場も創立22年の歴史を重ねた。創立20周年の記念には主催大会も開催した
広島ナンバーワンを決めるtss杯第50回広島県少年剣道錬成大会で優勝を果たした

コメント

関連記事