東京大学を卒業後、1年間の銀行勤務を経て予備校の現代文講師として活躍する藤井健志先生。予備校や塾に通わず東京大学に合格した超秀才ですが、小学校の頃は「日本一」を目指して剣道に打ち込んでいたそうです。その藤井先生がなぜ予備校講師を選んだのか?
また、藤井先生は全国の進学校で高校生への直接指導や教員研修も行っています。「現代文を学ぶ意味」、そして「相手が言いたいこと」を正確に捉える力、挫折や失敗を糧にするメンタリティについて伺いました。
そして奥様の藤井淳子さんは東京大学を卒業後は専業主婦になるも、子育ての中で臨床心理学に興味を持ち、大学院に通って資格を取得したという経歴の持ち主。
現場に強い心理士として自治体での子ども家庭支援や航空自衛隊の心理療法士など多様な経験を積み、このたび独立して心理カウンセリングオフィス「バーブシカの庭」を開設、新しい一歩を踏み出しました。多様なご経験について、そして独立した背景にある思いを伺いました。
プロフィール
藤井 健志(ふじい・たけし)
1969年東京生まれ岡山育ち。岡山一宮高等学校を卒業後、東京大学に進学。卒業後は銀行勤務を経て予備校に転職。その後、個人事務所として「藤井健志事務所」を立ち上げる。カリスマ現代文・小論文講師として代々木ゼミナールで授業を受け持つほか、教育委員会委員、医療ガバナンス研究所研究員も務める。
剣道は岡山宗治道場で小学校2年生から始める。中学校時は全国大会で当時今宿剣道クラブの鍋山隆弘選手に敗れ個人戦3位。高校時代は団体戦で県ベスト4。個人では中国地区ベスト8。
藤井淳子(ふじい・あきこ)
愛媛県新居浜市生まれ。新居浜西高校から東京大学に進学。大学での専攻はロシア文学。子育てをする中で臨床心理学に興味を持ち、放送大学、文教大学大学院人間科学研究科修士課程を経て自治体の子ども家庭支援や防衛省の心理職として20年以上勤務。2023年星槎大学大学院にて博士号(教育)取得。2026年4月に独立し、心理カウンセリングオフィス「バーブシカの庭」を開設。
剣道は高校から始めて大学時代も剣道部に所属。
心理カウンセリングオフィス「バーブシカの庭」
https://ba-bushika.com/
もともとの専攻はロシア文学。
専業主婦から心理療法士の道へ。
――― 東京都国立市の(一財)中本達也記念館・臼井都記念「芸術資源館」にお邪魔しています。とても居心地のいい空間ですね。カウンセリングルームのイメージが一変しました。
淳子 中本達也さんと臼井都さんという二人の洋画家のアトリエ兼住居で、地域の子どもたちが集まる場所だったんです。お二人が自力で段階的に建てていったそうで、いまも館長さんを中心に手作りで修復をしているので、すごく静かで温かく、誰でも受け入れる包容力のある空間になっています。
一般財団法人 中本達也記念館・臼井都記念 芸術資源館
https://www.nu-art.tokyo/first/

館長さんを中心に手作りで増築や修復、装飾を手掛け、温かい空間を生み出している
――― 東京大学で剣道部にも在籍された藤井淳子さんですが、専攻は心理学だったのですか?
淳子 実は文学部のロシア文学科(現.東欧文学科)なんです。精神医学と違って心理学は人文科学系からのアプローチなんですけど、学生時代は心理学の領域にはほとんど興味がなくて(笑)。
――― それが、心理学の道に入られたのはどういうキッカケだったのでしょうか?
淳子 私は学生結婚で卒業と同時に出産したんですけど、それって私の望んだ道だったはずなんです。私は両親が共働きだったので、「おかえり」って言われる家に帰ったことがなくて、「普通の家」みたいなものに憧れがあって。ところが家庭に入ってから自分自身が不安定になったというか、「これでいいんだろうか」という漠然とした不安に苛まれるようになって。それで、当時生まれたばかりの長女を抱っこして買い物に行ったときに立ち寄った本屋さんで臨床心理学の本をちょっと見たら、すごく面白くて。今の自分に当てはまるなとか、ちょっと客観的にみたら自分も少し安定するんじゃないかな、みたいなところがきっかけで心理に興味を持ったんです。
――― そこからの入り込み方が本格的ですね。
淳子 本格的に入っていいものかということで、まず臨床心理学をかじってみようと思って、放送大学に学士入学したんです。それが長男が生まれた直後の24歳頃。ちょっとかじってみて本当に好きだったらやってみようと思って、そこからです。で、とても面白いなと思ったんですけど、臨床心理士の資格試験は臨床心理系の大学院を出てないと受けられないんです。それで、大学院に行かせてもらいました。
――― 東京大学の大学院に行かれたのですか?
淳子 いえいえ。東京大学は大学院に行くのに外国語がふたつ要るんです。ロシア語は無理って最初から思ってましたし(笑)、とてもじゃないけれど、子どもを育てながら英語以外の言語までできないなと思って。それで、なんとか通える範囲の臨床心理系の大学院を探して、埼玉の文教大学に行きました。
――― 大学院を出た後に国家資格を取得されたわけですね?
淳子 それが、臨床心理士は民間資格なんです。国家資格はつい最近の2017年に公認心理師という資格制度ができて、医師の指示のもとで動くものです。臨床心理士の方が自由度は高いのですが、やはり国家資格を持つことで信用が担保されるという側面はありますので、制度ができたときにこちらも取得しました。
――― 臨床心理士としてのキャリアは、どういった形でスタートされたんですか?
淳子 市役所の子ども家庭支援センターという部署で、9年ほど勤めたのがスタート。子育て不安のお母さんがメインだったんですけど、あっという間に要支援家庭というか児童虐待防止の側面が強くなっていきましたね。
健志 臨床心理士の資格を取る大学院が終わったタイミングで、石原都政で市区町村レベルにも心理の専門家を置く政策を採った。それで、大学院を終えて次どうしようかって言ってるタイミングで市報に心理職の募集が出て、「ダメもとで採用試験を受けてみればいいじゃん」なんて言ってたんだけど、募集枠は1枠。心理の専門家が心理を生かせる正規職は少ないらしくて、試験を受けて帰ってきたら、「すごくいっぱい受験生が来てた」って言ってたな。で、最後の4人くらいの集団面接で、「自分以外は東北大学とか慶応の大学院をストレートで出てきた24歳とかの若い子で自分だけ30歳。すごく弁も立つ人たちだったから落ちてると思う」って言ってたんだけど、数日後に合格の知らせが来た。
淳子 全然覚えてないなぁ。
健志 当時の市長さんが巡り巡っていまも近しいところにいるんだけど、彼から聞いたのは、「いやもう、奥さんは子育て経験をなさって、いろいろ経験されている方だから、この人しかいないって私は言ったんですよね」って。ちょうど子育て支援課に配置したいと市の側も思ってたところに、おそらく唯一、子育て経験ありでしかも地元の人が来たってことだったのかな。きっとご縁だったんだろうね。
淳子 市役所での仕事が、相談室があって悩んでる人が来て…というのじゃなくて、扉が開かない家に行かなきゃいけなかったりとか、相談室という枠じゃないフィールドワークみたいなのがどんどんメインになっていったので、それはよかったなと思います。そのときは「これって心理の仕事かなぁ」なんてブーブー文句を言ってたんですけど(笑)。
淳子 近藤さん(芸術資源館長)と知り合ったのもそのときで、主任児童委員という子ども家庭版の民生委員みたいな立場でいらっしゃって、厚生労働省から委託を受けて福祉的な動きをしてくださる民間の方なんですけど、人間が誰しも持っている遊び心にすごく自然にアプローチができる方なんです。家庭を見るとかじゃなくて、とりあえず子供と遊ぶみたいなところから入っていける方で、楽しくご一緒させていただきました。
健志 「カオスの中から、現場からすべて始まる。専門バカになったらあかん」って上先輩(編集注:剣縁法人会員・医療ガバナンス研究所の上昌広理事長。東大剣道部出身)がよく言うけど、たしかに心理士がカウンセリングルームに籠って、「相談したいです」って来られる人だけを相手にするのは間口が狭いようには感じるかな。
淳子 人工的な感じにはなっちゃいますよね。子育て広場もそうだったんですけど、遊んでる人が普段話してる中でポロっと・・・みたいなのを拾うのが現場だったので、よかったと思います。

写真は中本達也氏のアトリエだった部屋。カウンセリングルームとして利用される。
北からの光が心を穏やかにするそう
――― ここは、藤井さんのキャラクターも含めてとても居心地がよい場所なのですが、外に出るアプローチはどのようにやっていくお考えでしょうか?
淳子 そのあたりは、それこそやってみないとわからないなと思っているのと、もしニーズがあるんだったら、例えば、うちの母とかも80代で足も悪くなってるんですけど、まぁ話したくて仕方ないんですよね(笑)。もしかしたら、ここに来られないけど話したいっていう人がいらっしゃるんだったら、いまはオンラインという形がありますけど、そういうのもあんまり使い勝手がよくないとう方がいらっしゃるので、それもありかなと思ったりしているところです。なので、カチッと決めるというよりは、やってみてどんどん、この建物と同じで建て増してもいいし、修復してもいいかなというふうに思ってるんです。
――― うちの親も同じです。たまたま一緒に暮らしているので話し相手になれますけど、話し相手が身近にいないとか自分から求めに行くのが得意じゃないという方は多いと思います。
淳子 そうなんですよね。じゃあ、そういう方が医療を使うか?行政のお悩み相談みたいなのを使うか?というと、みなさん、やっぱりちょっと違うって感じられると思うんですよね。病気じゃないし、行政のお世話になるもの・・・みたいなところで、意外とそういう受け皿が乏しいなと思っていて、だからそういうところをなんとなく担えればいいのかなというイメージはあります。
東日本大震災後の福島でスクールカウンセラーを経験。
関心領域がトラウマケアへ。
――― キャリアに話を戻しますが、市役所を辞められた後に防衛省に入られたんですか?
淳子 思うところがあって市役所を辞めたんですけど、東日本大震災が起きたあとのタイミングだったんです。当時、臨床心理士の界隈でもあっちにスクールカウンセラーが不足しているという話が出ていました。少しずつ除染も進んで学校を再開しましょうとなったときにスクールカウンセラーがいないと。そんな中で、比較的人材が豊富な東京都から派遣するという話が出たので、ちょっとだけですけどそっちに行かせていただきました。そのときに、児童虐待の対応をしていたところからつながるんですけど、トラウマケアの方にだんだん興味が絞られてきたんですね。そして、福島に行った後で次どうしようかなと考えてたときに防衛省の募集が出て、そのときも息子の野球繋がりの自衛官の方がいらして、とても優しい人なので、「あんな人がいるんだったら大丈夫じゃない?」ってことで、全然普遍的なものではなくて個人レベルの話で「いい人いるし」みたいな感じで(笑)。
健志 見事に合格したんだけど、なんと配属もその方と同じ基地になったんだよね。これもありがたいご縁。市役所と防衛省の間の期間は、緊急派遣のスクールカウンセラーとして週一回、南相馬に通って向こうの子どもたちのカウンセリングをしてたんですよ。僕はどちらかというと北寄りの相馬だったんだけど、彼女は南側、原発の影響も津波の影響もより大きかったところに通ってた。
――― 私はトラウマと呼ぶような強烈な体験を直接はしていないですが、阪神淡路大震災の応援に派遣されたときに海上のタグボートからみた無数の黒煙はいまも脳裏に焼き付いています。震災などを直接体験された方のトラウマはいかほどかと思います。
淳子 やっぱり理屈じゃないというか、「もう終わったんだよ。昔のことだよ」って言ったとて!というところがあるんですよね。トラウマって難しい問題だなと思いますし、たぶん個人で抱えるというよりも、ほんとうに社会で抱えていかないといけないものなんだろうと思うんです。
淳子 自衛隊に入ってからもトラウマを前提とした訓練とかがありましたし、虐待とかは、例えば親から「あんたはかわいくない」と言われたとか、そこだけを切り取ったらそんなに大したことないと思うかもしれないけれど、これが毎日毎日続いていったらという累積トラウマみたいなのもあったりして、そういったところのケアをどうしたらいいんだろうというのは課題として、追究というか考え続けてきていたところです。それこそ、私たちも50年以上生きてきていて、トラウマのない人なんていないと思うんです。震災を目撃したというのもそうですし、組織や人を信頼できないと思った経験なんかも累積すると結構しんどいもので、トラウマになるんですよね。病までいってなくてもトラウマを抱えている人とか、ちょっとよみがえってくることって結構みなさん持っておられるので、安心して、こんな感じなんだなって振り返られるような場所っていうのがあってもいいんじゃないかなと思います。

――― 防衛省では具体的にどんなことに取り組まれたのでしょうか?お話しいただける範囲で教えてください。
淳子 当初は自殺予防がメインで、カウンセリングや各種の予防教育を実施していたのですが、少し前から、レジリエンス・トレーニングという、強く持続的なストレスに日常から備えておくっていうトレーニングを担うことになったんですよね。
淳子 自衛隊ってまだトラウマケアまではいっていないのですが、トラウマの一次予防、起こるであろうトラウマに備えるにはどうしたらいいかという訓練は始まっています。一次予防なので、自衛隊に特化していないというか、その内容の大本もPRPというアメリカの大学で始まった大学生のうつ病予防ということで開発されたレジリエンス教育なんです。それをそのまま持ってきてるので、どなたにも応用が利く内容です。特別な準備がいるというものではなくて、普段家族とどういったやり取りをすることで、何かがあったときに、物理的には離れていても精神的にはきちんとコネクトできているか、そういうふうなところを。あとは捉え方ですよね。「こうなったらお終いだ~」みたいな捉え方ではなくて、「こうなったら大変だけど、こうもあるしあーもあるし」といったいろんな選択肢を常に持っておける状態を備えておくとか、そういうような日常レベルの割と一般的な内容をいち早く取り入れているかなという印象はありました。
――― 心理の世界って、対処療法というよりも普段の生活と連動していて、トレーニングとかで人間は変わっていけるという前提に立ってるんですね。
淳子 そうですね。ひとつは、トラウマって体に焼き付くんですよね。大きい刺激を受けたときって。なので、米軍なんかは体を整えるトレーニングもするんです。そのときに心拍数も上がるし変な汗も出てるし、そういう状態を整えるトレーニングで、聞いたらくすっと笑っちゃうと思うんですけど、ツボをたたくんですよ。あっちの世界って割と東洋哲学みたいなのも科学的に取り入れて、マインドフルネスもその流れですが。それと同様に経絡というツボですね。グワーってトラウマに体が反応している状態をきちんとした日常モードに戻すツボがあるんです。それを普段から、例えば血だらけの写真を見て、やっぱり反応が起こるんですけど、そこでツボをタッピングして慣らすっていうトレーニングをしたりとか。自衛隊はそこまでいってないんですけど、割と実践レベルのトラウマ対処トレーニングはイスラエル軍とかアメリカ軍はやっているんです。
――― そのツボは知っておきたいですね(笑)。
淳子 そうなんですよ。例えば絶対に落とせない試合前の過緊張とか、そこでタッピングを入れると日常モードに近い状態に整うとか、いろんな応用ができるものなので。トラウマケアって。
健志 俺が中学生のときは、あんまり緊張しないんだけど、たまにもう「ぐぁーっと行きすぎちゃってるな」ってときには、試合場を見回して剣道専門じゃないけど生徒の引率のためだけに来たような人を探して、その人を見つけたら、「いまから俺が一世一代の試合をやるけど、あの人は俺が勝とうが負けようがあんまり関係ないんだろうなぁ」って思ってから、もう一回気持ちを作り直して出ていくっていうのをルーティンにしてたな。
淳子 それはとても理にかなってると思う。人の字を掌に書いて飲み込むとか、聴衆をかぼちゃだと思うとか、そういう日常の工夫ってすごく大事だと思います。
健志 剣縁稽古会の前に10分間トークとかで、「今日こんな心持ちでやってみたらどうですか」みたいなのをやらせてもらったら面白いかもしれないね。
淳子 私も逆にちょっと聞きたいなと思ったりしてたのが、剣道の最初と終わりに黙想するじゃないですか。あれはやり方って教われるものなんですか?
健志 どういうふうな心持ちとかはあまり教わらないんじゃないかな。
淳子 私も教わらなくて、みんながこうやってるからこうっていう形しか知らないので、例えば鍋山先生とかはどういう黙想をしてるんだろう?って。それこそ、仏教ではああやってみんな黙想みたいなのをするんですけど、あまり系統立て・理論建てされていなくて、マインドフルネス瞑想を理論建てたのってマサチューセッツ工科大学の先生なんですよ。あっちで科学的に論理建てて爆発的に流行った。で、そのマインドフルネス瞑想がすごくいい、不安であったりとか乱れている気持ちを落ち着かせるのにすごくいいということで、名だたる企業がどんどん研修化していってるんですけど、じゃあ大本の黙想をやってる日本の武道家のみなさんって、どういう心持ちでやってるのかなというのが聞きたくて。マインドフルネスの理屈はいっぱい聞くんですけど、なにせ逆輸入なので。
健康群の人たちにも使ってほしい。
“頑張ってる人”がちょっと立ち止まれる場所でありたい。
――― バーブシカの庭が、どんな方にどんなことを提供したいという点を改めてお聞かせください。
淳子 病でもなく、それこそ行政にお世話になるでもなく、いってみればその手前の健康群の方にも利用していただきたいと思ってまして、それこそ“頑張ってる人”って、どこかちょっと立ち止まる場所とかがなかなかないんですよね。なので、そういう方がちょっとホッとする場所であってもらえればなぁというふうに思ってます。
――― 自分が何か悩んでいるとかストレスを感じているという強い自覚がなくても、気軽に足を運んでいいと。
淳子 そうなんです。そういうイメージなんです。アスリートがメンタルコーチをつけるのは、よりよいパフォーマンスをすることであったりとか、自分が気づいていないところを第三者から見てどうかというところを確認したりという意味があったと思うんですけど、アスリートではなく一般の方でもそういう視点があってもいいんじゃないかなとも思います。子どもさんの指導とか自分の悩みじゃないけど相手にどう関わってあげたらいいのかという、いわゆるコンサルテーション、そういうところもなかなか相談する場がなかったと思うんです。なので、自分のことではないけど、例えば家族とどう関わっていくか、いま関わっている生徒や子どもさんとどう関わっていくかというのを、一緒に考える場というふうな形で使っていただけるといいのかなと思います。
淳子 ほんとうは、こういう小さい事業を立ち上げるときは「ターゲット層、コア層を決めろ」って、創業塾でも必ず言うんですけど、なかなか…“頑張ってる人”?とかそういうファジーな感じで。頑張っていれば必ず傷つき体験が出てくるし悩みが出てくるし、というので、どうしても私は“頑張っている人”という言葉が出てきてしまうんですけど(笑)
――― 我々は藤井さんとご縁をいただくことができているわけですが、自分に合ったカウンセラーをどう見つけるか、アドバイスをいただければ。
淳子 臨床心理士と公認心理師はひとつの軸かなとは思います。ただ、資格ということだけではなくニーズ(前者は内面のアプローチが主要な役割、後者は環境面の調整が主要な役割、等)に応じて、入口の指標のひとつとして見ていただければと思います。あとはもう、その人のバックグラウンドになるかと思います。純粋に臨床心理学を学んできた人もいれば、ちょっと進路変更をした人も多いんです。もともと企業にいたとか、割と背景がいっぱいあるので、その人がどういう道を歩んできたかを見てみると、自分が相談したいことにフィットする人を選びやすいかなとは思います。
健志 マッチングの問題だから、一度相談して合わなくても、その人をカウンセラーとして否定するわけではないから、変えてもいい。
淳子 私も、もしここでも「藤井さんじゃなくて、もうちょっとこういう領域に詳しい人いますか」って言っていただいたらお繋ぎできると思いますし。心理士は心理士でネットワークを持っているので、率直に言ってもらえればと。
――― そういうことがわかっていると足を運びやすくなりますね。
淳子 医療もネットワークでケアをしてますけど、心理も然りと思っていただけるといいかなと。それと、臨床心理学者の東畑開人さんは、「心がひとつ存在するためには必ず心がふたついる」って言うんです。要は、人と話さないと自分の心って見えてこない部分もある。自分の心は自分の中にあるとみんな思ってるんですけど、実は誰かがいてくれないと自分の心は見えてこない部分もあるので、そういう場に使ってもらえるといいかなと思ってます。
健志 去年の東大入試の現代文が「猿の鏡像認知」、つまり猿が鏡に映った自分の姿を自分と認識できるかっていう実験の話なんだけど、群れの中で育った猿は自他の区別がつくから最終的に鏡に映っているのが自分だってわかるんだけど、一匹だけ隔離して育てた猿は最後までそれが自分だとわかるようにならないって。それと通じるよね。

淳子さんが手にしているのは、開設記念に健志さんの親友で剣縁個人会員の鍋山隆弘先生から贈られた「銭婆(ぜにーば)」
予備校は、大学での学びに「備えるための学校」
――― 健志さんについては、「ジュケン道」など剣縁でも折に触れてご紹介していますが、改めて現在のお仕事について教えてください。
藤井 僕のメインの仕事は代々木ゼミナールの現代文・小論文講師です。授業を受け持っているのは代々木校、福岡校、新潟校。サテライトの授業も担当しているので、全国に配信される映像での授業もありますよ。震災以降、ボランティアで不定期ではありますが福島にも顔を出しています。
――― 講演のお仕事もしていると伺いました。
藤井 そうですね、講演では予備校講師としてお話をすることもあれば、親や教育委員の立場からお話をすることもあります。僕はPTA会長の経験があって、そのご縁で国分寺市の教育委員もやらせていただいているんです。ですので、教育関係はわりと幅広くお話ができます。最近は各地の進学校から単発でお仕事をいただくことも多く、教員研修やPTA総会で講演をすることが増えました。
――― 現代文の授業では、どんなことを教えていらっしゃるんですか?
藤井 僕が教えているのは「入試の現代文」なので、「学校の国語」とは違う特殊な部分があります。まず大前提として、入試の現代文には「大学の先生が、学生に読めるようになってほしいと考えている文章」が選ばれているんです。合格して、大学に入学した後に必要な読解力が試されています。基本的には、出題された文章をきちんと理解できているかどうかのテストなんですよ。読む側は、自分はどう思うかの前にまず、「筆者が言いたいこと」を考えないといけません。
――― 大人でも「相手の言いたいこと」を受け取れていない人が多い気がします。
藤井 「相手が何を言っているのか正しく理解すること」は大学に入ってからも社会人になっても、ずっと使うことですよね。社会人になってからも文書のやりとりは必須ですし、議論を交わすにしても、まずフラットな目線で相手の言っていることを捉えないといけない。予備校は「予め備える学校」と書きます。大学に入るためじゃなくて、大学で学ぶため、あるいは将来働く時に備えるための学校なんです。
テクニックよりも「相手の言いたいこと」を正確に捉える力を養う
――― まず第一は「文章を読んで言いたいことを正確に捉えること」なんですね。
藤井 はい、そして本文だけでなく質問の文脈を理解した上で、適切な解答を判断できなければなりません。
――― 質問の文脈というのは?
藤井 例えば、「藤井さんはどこ住んでるの?」と聞かれたとします。この質問を東京都内の人たちとの会話で聞かれたとしたら「西国分寺です」と答えるけど、僕が授業を受け持っている新潟校でしたら「東京です」と答えます。「西国分寺です」と言われてもわからないと思うので。逆に東京都内の人たちとの会話の中で「東京です」と答えたら、東京駅の近くに住んでるのかと勘違いされてしまう可能性があります。

――― 「選択肢の選び方」といった、テクニックを教える授業もあるのですか?
藤井 もちろんありますよ。例えば、設問文に「最も適当なものを選べ」と書いてある場合、正解の選択肢は正解だからこそ最適な表現をしてないことがあります。あえて選びにくい表現を出題者がしているんです。選抜のためのテストですから。そこを計算に入れて選択肢を選ぶことは当然必要です。
藤井 例えば「怒りが表に出ないよう我慢している女の子」を、比喩表現で「霧のかかった表情」と描写していたとします。この描写の意味を回答する問題で、選択肢に「感情を覆い隠して」「怒りが滲み出て」の2つがあったら、少し迷いませんか?「感情」は「喜怒哀楽」の全てを含みます。だから「感情を覆い隠して」だと正直、説明としては不十分なんです。でも他の4つ選択肢が誤りであれば正解にするしかありません。慣れてる僕らからすると、この不自然さから逆に正解の匂いがします。逆に「怒り」の部分が合っているからと「怒りが滲み出て」を選んでしまうと不正解になってしまいます。「覆い隠してる」んだから「滲み出て」いる訳ではないんですよね。
――― 確かにこれは、迷いますね。
藤井 数学や理科みたいに「絶対的な答え」を探そうとすると、的外れになっちゃうんですよ。厄介なのは、「国語の的外れ」はたまに的に命中してしまうことですね。現代文は全然勉強していない子もたまに命中してしまうんです。だから「ま、できる時もあるし」といった態度になりがちです。特に、入試をうまくくぐり抜けた経験のある子は「国語なんて結局運だよね」と考えるようになってしまう。剣道でも、必然性がないままたまたま当たった一本は再現できませんよね。
――― ちょっとわかる気がします。
藤井 僕は「選択肢を選ぶコツ」や「抜き出し問題の解答の見つけ方」とかいった入試特有のテクニカルな部分はとっとと大人に種明かししてもらったほうがいいと考えているんです。本文の内容がわかっているのに、選択肢が不十分で迷って間違えてしまうような場面は、社会に出てからはほぼないでしょう。しかもセンター試験の現代文は設問1つに8点近く配分されているので大打撃です。正解の理由がわからなければ「これやる意味あるのかな」と感じるだろうし、国語に不信感を持たれてしまう。でも、「正解だからこそ、こういう表現になっているんだよ」と教えてあげると、もともと国語力を持っているのに発揮できなかった子ができるようになったりします。教え子が大学生になって「家庭教師で国語を教えてます」なんて言ってくれる時は嬉しいですね。
藤井 学校の国語の先生でも、「問題を解く」作業をしっかりやっていない方だと、設問の対処の仕方についてはっきりしないままになっていることがあるんです。学校で教えていらっしゃるくらいだから国語も好きだし、国語力もあるんだけど、入試の現代文とはまたちょっと違うんですよね。なので、生徒に上手く伝えるために、進学校で教員研修に入らせていただくこともあります。

「人生は、自分次第」。挫折もいつか糧になる
――― 冒頭でおっしゃっていた、「入試の現代文はちょっと特殊」の意味がわかりました。
藤井 繰り返しになりますが、重要なのは志望大学の先生が「読んでほしい」文章をちゃんと読めるようになること。だから授業が始まる春先には「読めれば解ける。その前提で勉強しよう」とまず伝えます。特に、僕の授業は浪人生が多い。18・19歳の子が1年・2年同学年の子達から遅れるのって、その年齢の子たちにとっては大事件じゃないですか。僕らくらいの年齢になったら気にならないけど。しかも年々少子化で浪人生は減ってるんですよ。
――― クラスのなかの浪人生も減ってるってことですね。
藤井 ええ、しかも9月・10月くらいから推薦入試が始まります。学校にもよるのですが、中堅どころの学校は推薦で進学する子が多い。周りの子の進路が確定していく様子を半年以上眺めて、必死で勉強して、へとへとになって「1年遅れてしもた」「うわぁ、浪人してしもた」って顔をして予備校に来るんですよ。
藤井 でもね、せっかく僕の授業を受けてもらうからには、盤石な学力をつけて、「運よく現役で受かってたら、きっといま大学の先生が言ってたことわからなかったかも。予備校で勉強してよかった!」って思ってほしいんです。
そして、これからの人生は、君達次第でどうにでもなるとも伝えています。例えば、僕には中学校3年生まで「剣道で日本一になる」って夢があったんですけど、全国大会の準決勝戦である剣士に負けて、その夢を砕かれてるんです。

子供の頃の夢は、剣道日本一
――― 中学校の頃に、全国で3位になられているんですね!剣道は何歳から始めたのですか?
藤井 小学校2年生です。僕、小学校に上がる直前に転園したんですよ。環境がガラッと変わってしまい、岡山弁を喋れないのもあって、おとなしくて消極的な子供でした。通知表にも「真面目に頑張ってますけど、すぐ涙が出ますね」みたいなことを書かれていたそうです。
藤生 そんな僕を見て母が心配したんでしょうね。スポーツでもやらせればマシになると考えたみたいなんです。僕の通ってた学校にはスポーツ少年団があって、ソフトボールか剣道のどちらかをみんな習っていました。当時、時代は王貞治の全盛期。迷わずソフトボールの見学に行ったら、ちょうど練習試合をやってたんです。いま思うと難しいボールだったんですけど、キャッチャーがエラーしてしまいました。すると、チームの監督さんが「キャッチャー、ちょっとこい」って。そして、スパーンとビンタしたんですよ。
――― めちゃくちゃ怖いですね!(笑)
藤井 ええ。それを見た瞬間、「母さん、僕、剣道やろうかな?剣道の方が向いてると思うな!」と伝えました(笑)。そんな経緯があったので、他の同期の子よりも2〜3週間遅れてのスタートでした。始めてみたら剣道の方が全然しんどくて「嫌だ〜」と思いながらも週に3回、母が道場に連れていってくれました。
藤井 でも、ある日送り迎えが母から父になったんです。うちは学生服屋だったんですけど、ちょうど剣道の練習の時間帯にたくさんお客さんが来ていて。忙しくなってきたので母が送り迎えをするときは、父が店番をすることになったんです。たぶん、だんだん接客がめんどくさくなっちゃったんですよね。ある日「俺が剣道の送り迎え行くわ」と言い出したんです。父は、めちゃくちゃ運動神経がいいんですよ。水泳で県で準優勝、テニスで優勝したりとスポーツ万能でした。僕は鈍臭いので、父はきっと見ててイライラしたんでしょうね。「朝、早起きして素振りしろ」って言われたんです。
藤井 「お母さん、送り迎えしてよ〜」と不満に思いながらも、素振りしたり走っているうちにレギュラー陣と戦えるようになり、3年生の時にAチームで試合に出るようになりました。その頃から自信が出てきて、剣道が楽しくなってきたんです。さらに、4年生の時に5つ上の先輩が全国優勝し地元に優勝旗を持ってきました。「僕が通ってる道場は日本一強いんだ」って思ったらもっと剣道が楽しくなってきて。「僕も絶対、日本一になったろ」と決意したのが小学校4年生の8月でした。
――― 小学校の頃から日本一を目指してたんですね。
藤井 ええ。そして個人戦は全国大会で準決勝までいきました。準決勝まで順調に勝ち進み、正直調子も悪くなかったんです。「このまま、いける」そう思いました。でも、準決勝で対戦した福岡の鍋山隆弘選手に完敗しました。しかも、午後からの団体戦の一回戦でも鍋山選手が所属するチームと対戦し、また負けているんです。夢を打ち砕かれるには充分な敗北でした。

藤井 でも、僕はあの時負けて良かったと思っているんですよ。剣道で頂点を目指すことは諦めたけど、その負けがなかったら、予備校講師としての僕はいまここにいません。しかもこの話には続きがあって、大人になってから鍋山選手と再会しているんです。彼はその後も剣道の道を極めて、現在は筑波大学の准教授と剣道部監督を務めています。一緒に福島県にボランティアに行ったり、つい先日は代々木ゼミナールのYouTubeチャンネルで対談もしました。

藤井 人生って、本当に何が起こるかわかりません。学生時代に自分の夢を打ち砕いたやつが、大人になってから親友になって、しかも彼のおかげで仲間がどんどん増えて、幸せを運んでくれている。だから、学生たちには「人生何があるかわからないよ」って話をしてるんです。「今年も東大落ちても、もしかしたらそれがきっかけで総理大臣になれるかもしれないぜ」って。でもそう話すと「総理大臣とか高望みはしないんで、東大に入れてください」と返されるんですけどね(笑)
自分に向いてるのは、「教える仕事」
――― 日本一の夢は砕かれたものの、高校でも剣道は続けているんですよね。
藤井 ええ。岡山一宮高等学校に進学しました。当時、岡山は変わった進学形式だったんです。5つある市内の普通科高校の、どこに通えるかわからないんですよ。合格者が割り振られる形式で、僕はたまたま岡山一宮に進学しました。

藤井 でも、剣道部員はたくさんいて楽しかったですね。みんな自由なスタンスでやりたいようにやってました。同学年とも仲が良くて、僕らが高校2年生の時に県でベスト4になりましたよ。準決勝で倉敷高校に負けたんですよね。僕が勝てば、何とかなった試合だったんですけど…。

藤井 東京大学に進学してからも、運動会剣道部(体育会剣道部)で剣道を続けて、師範の紹介でカナダに留学して向こうで剣道した経験もあります。
――― 大学に進学なさってから、すぐに予備校講師を目指されたんですか?
藤井 当時は景気もよかったし、東大の卒業生は官僚になったり、大手企業に就職して出世を目指す流れがありました。なので、せっかく教育学を勉強していたのに、その流れに乗って銀行に就職したんです。でも、全く向いてないなと感じて辞めました。僕は学生結婚で当時子供もいたので、家族も養わないといけない。「自分に向いてる仕事、自分にできそうな仕事って何なんだろう?」と考えた時に、やっぱり人に教える仕事かなと、思ったんです。限られた選択肢の一つが予備校講師だった訳です。
――― 向いてるって思ったのはなぜですか?
藤井 剣道でもそうだったんですけど、教えるのが好きなんですよね。ネガティブな反応も含めて、相手の反応を見ながら駆け引きをするのが好きなんです。生徒たちは、僕の教え方がダメだと「わからない」って顔をするし、うまく伝えられたら「おぉ!」って顔をするし。あんまり教えすぎても相手は頭を使って考えなくなります。教えることと、自分の頭を使って問題解決させるバランス…駆け引きしている感じが、今も昔も楽しいですね。あとは、現代文を「つまらない」って思っていた子が面白さを感じてやり始めるとか。
――― 何かを「面白い」って感じさせるのはすごいことですね。
藤井 やらされてる感が出るとたちまち面白く無くなるんですよ。だから。させるんじゃなくて、「するようにさせる」って感じですね。
コロナが終息するまで、毎日素振り
――― お忙しいとは思いますが、剣道はどれくらいの頻度でやられてますか?
藤井 全然やってないですね。3年で2回、2021年は1回だけです。でも、2021年の4月9日から毎日素振りはしています。冗談半分で「コロナが収束するまでやります!」って宣言して、正直「1・2ヶ月で終わるやろ」と思ってたら、なかなか収束しない(笑)しかも、昨年の秋口くらいまで「週に1日、福岡に泊まる日は休み」と決めてたんですけど、先輩がFacebookを見て組み立て式の竹刀を送ってきてくださって、毎日できるようになりました(笑)そこからは、1日も休んでいません。本数はその日によって違って、10本だけの日もあります。でも、毎日振ってるとヘタなおじさんなりにではありますが上手くなりますよ!
――― 継続は力なりですね。現代文の本質だけではなく、テクニックの話も聞けて大変勉強になりました。また、夢を打ち砕いた相手と大人になってから再会し、親友になったと言うお話も素敵です。本日はどうもありがとうございました。

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