日本文化の「アニメ」で 世界展開をねらう (永井快昌/株式会社デジアール 代表取締役 プロデューサー)

世界的にも評価の高い日本のキャラクター、アニメ文化。ストーリー性のある映像作品はもちろんのこと、いまや多くのキャラクター、アニメはCMや広告などにも採用され、私たちの日常生活に自然に溶け込んでいます。
埼玉県和光市にオフィスを構える株式会社デジアールは、イラスト制作、アニメーション制作を手がける企業であり、代表取締役を務める永井快昌さんはなんと教士七段の剣道愛好家。
なかなか知る機会の少ないイラスト制作、アニメーション制作の裏側を、永井さんにうかがいました。

プロフィール

永井快昌(ながい・よしまさ)
1973年5月6日新潟県生まれ。朝霞高校(埼玉)から城西大学に進学。大学卒業後、企業での勤務を経て、2012年に株式会社デジアールを立ち上げる。2021年からアニメーション制作スタジオ・合同会社オニックスを設立。剣道は小学2年生からはじめ、現在は右武館(埼玉)を中心に稽古に励んでいる。自身の主な戦績には、全日本学生優勝大会出場、国体(少年男子の部)出場、埼玉県大会3位などがある。剣道教士七段。

株式会社デジアール
https://www.dig-r.co.jp

合同会社オニックス
https://www.onyx-studio.jp/

iPhone登場の衝撃で独立を決意。
「アニメ」をきっかけに、苦しいコロナ禍から脱却

広告、CMなど、キャラクターを用いたアニメーションは、いまやあらゆるプロモーションで積極的に用いられている表現方法となっている。

――― 背景、キャラクターのイラスト制作、フルアニメーションの企画制作を手がける株式会社デジアール。代表取締役であり、プロデューサーを務める永井快昌さんにお話をうかがいます。イラストやアニメなどはいまでは世界中にも広く認知されている日本の文化であり日常生活でも触れることは多いですが、それをつくる方々が具体的にどのようなお仕事をされているものなのかを知る機会はなかなかありません。まずは主な事業内容についてうかがいたいと思います。

永井  もともと私は2012年までサラリーマンをしていて、そこから独立をして立ち上げたのがこの株式会社デジアールです。独立して最初の仕事となるのが、スマートフォンのゲームアプリ。私自身、サラリーマン時代に携わっていたのがガラケーの「着メロ」や「着うた」のコンテンツ管理だったので、そこで得たノウハウを活かすかたちでゲームアプリの開発に着手しました。

永井  おかげさまで、独立すぐにリリースしたゲームはまずまずヒットしたのですが、それ以降となるとなかなかヒット作には恵まれなかった。ゲームの開発にはお金がかかるもので、開発すること自体はもちろんのこと、運用にもそれなりの費用はかかります。ゲームというものはリリースして一カ月ほどで売れるか売れないかが判断できるものなのですが、課金してくれたユーザーさんに対しては半年間サービスを継続しなければならないというプラットホームの縛りもあり、資金的にどんどん苦しくなっていきました。そんな理由もあって、2016年にはゲーム制作事業からは撤退を決定。以降はゲーム開発で養ったノウハウをスピンアウトさせて事業化しようと考え、イラスト制作やLive2D、Spineなどの技術を中心に事業展開をするようになったんです。

――― そもそもサラリーマンとして安定した道を歩まれていた永井さんですが、なぜ独立をしようと思い立ったんですか? 思い切った決断のように思いますが。

永井  きっかけとなったのはiPhoneの登場ですね。それまではガラケー中心だったところに2010年ごろからiPhoneが台頭してくるようになった。私はまさか自分が生きている間に通話するデバイスがこれほどの大きな変革を迎えるとは思ってもおらず、当時かなりの衝撃を受けたんです。同時にこれはビジネスチャンスとしても非常に大きなものだと考え、自分で仕事をしてみようと決断しました。

――― なるほど。その後、どのような経緯で事業内容にフルアニメーション制作が加わるのですか?

永井  イラスト制作などを中心に事業展開をしていたところで、世の中がコロナ禍となった。すると、そこで新規の開発のほとんどがパタリとストップしてしまったんです。新たな発注もないまま、半年間ほど売り上げのない苦しい時期が続きました。やっと開発が復活してきはじめたのがその年の秋以降で、そこからまた新たなお仕事をもらえるようになったわけですが、ちょうどそのなかでいただいた相談のひとつが「アニメーションをつくれないか」というものだったんです。お仕事をいただけるのは非常にありがたいことですから、「なんとかやってみましょう」と。そこから原画を描ける人材を探して制作ラインをつくって、2021年に立ち上げたのが合同会社オニックスというアニメーション制作会社です。最初にいただいたのはゲーム内のアニメーションでしたが、それから企業のサービスの宣伝だったり商品説明のアニメーションだったり、あるいは人材募集のための企業紹介のアニメーションなどのご依頼を、広告代理店さん経由で少しずついただけるようになりました。

株式会社デジアールのオフィスにて。 永井快昌さんの背後の壁にあるのはアニメーション製作スタジオ・合同会社オニックスのキャラクター「おに子」。

――― もともとイラスト制作という近しい事業だったとはいえ、急に「アニメをつくってくれないか」と言われて、すぐに対応できるものなんですね。

永井  当時、たまたま原画を描ける人材を知っていたことが大きいですね。いま現在も新たなアニメスタッフを募集しているのですが、これがなかなか見つからない。そういう意味では当時、タイミングよく人材を見つけられたことはかなり運がよかったのだと思います。

――― 永井さんをはじめ、スタッフのみなさんは具体的にどのような業務体制で働かれているんでしょうか?

永井  今日来ていただいているこの埼玉県のオフィスは営業拠点・管理拠点で、私自身は業務管理と営業まわりがメインの仕事となります。アニメのスタジオは愛知県名古屋市にあるのですが、そちらもオフィスには管理系の人間と作画監督がいるくらいで、実際に手を動かすスタッフはイラストにしろアニメにしろ、いまはだいたい在宅で働いているのが現状です。

――― おうかがいしているこのオフイスには、有名なアニメキャラクターと企業とのコラボ商品やキャンペーンのイラストがたくさんありますね。誰もが知る人気キャラクターと、牛丼チェーン店、たこ焼きチェーン店、エナジー系ドリンクのコラボは街中やCMなどで目にしたことも多いです。こういったお仕事も永井さんたちの手によるものなんですね。

永井  広告代理店からお話をいただいて手がけたものです。オリジナルでイチからイラストを描くのではなく、キャラクターデザインの資料をもらって「そのキャラクターをこんなポーズで描いてください」というご依頼に対応してイラストを描いていきます。以前は仕上げの段階まで手がけていたのですが、人気のアニメとなるとコラボ商品もかなりの数にのぼることもあって、受託のスタジオごとにキャラクターのクオリティにバラつきが出るようになってしまった。ですから、いまはラフの段階で納品して、最後の仕上げはその作品を手がけるアニメ制作会社にお任せする、という流れがスタンダードになってきました。

――― 永井さんはお仕事としてアニメに携わられるようになったわけですが、ご自身はアニメやマンガはそもそもお好きなんですか?

永井  すごく好きで、小学2年生のころから週刊少年ジャンプを読みはじめて、「キン肉マン」や「ウイングマン」、「聖闘士星矢」などアニメ化もされた人気作品に夢中になったタイプです。子どものころはあまりにマンガばかり読んでいるので親から心配されるほどでした。だから、いまこの仕事はとても楽しいですね。私もときどきディレクションしたりプロデュースをしたりすることがあって、自分のイメージどおりのものをつくってもらうことがあるのですが、やっぱり考えているものがカタチになるのはとても楽しいですし、それが動くともっと楽しいです。

――― アニメやマンガはいまや世界で人気のコンテンツ。人気のキャラクターが存在してくれる限り、デジアールさんのお仕事自体も途切れることはなさそうですね。

永井  たしかに現状はありがたいことに多くのご依頼をいただいていますが、最近私が脅威に感じているのがやはりAI。ある程度のキャラクターはAIがつくってくれますし、一枚の絵からアニメーションもつくってくれるので、3年後、4年後にはどうなっているのかという不安は非常にありますね。正面だけしか描いていないイラストでもAIが裏側まで表現してくれますし、それを動かせもするので、やはりこれは脅威です。現状でこそ著作権においてグレーな部分があるので私たちは使用はしていませんし、発注してくださる会社さんからも「AI使っていませんよね?」というチェックをいただいていますが、そのうちそれもなくなるのではないかと思います。

デジアール社内にディスプレイされているのは、かつて手がけたコラボ商品やキャンペーンアイテムの数々。人気のアニメキャラクターたちに新たな動きを加え、たくさんのファンやユーザーを楽しませている。ガラスケース内に並べられているロボットやキャラクターのフィギュアは永井さん個人のコレクションだ。

デジアールのPRアニメーション

自身、大のマンガ好き、アニメ好きだという永井さん。好きな作品の話題となればこの表情。

名門高校に進学も試合では苦戦。
再開した剣道は生活の物足りなさを補ってくれた

進学した高校は強豪校の朝霞高校(埼玉)。関東大会出場(写真)や国体出場の戦績を収めた永井さんだが、偉大な先輩たちの活躍には及ばず、悔しい気持ちが残っているという

――― アニメ業界という特殊な業界の方でありながら、剣道教士七段の腕前を誇る永井さん。ご自身の経歴もぜひお聞かせください。

永井  父親が外資系の会社に働いていて転勤族だったという事情もあって、少年時代は全国を転々としていたんです。生まれは新潟県ですが、新潟にいたのは3歳までで、幼稚園生のときに福島県へと引っ越しました。その後、小学校入学から3年生までは山梨県で暮らし、小学4年生から5年生の途中までは長野県に。それ以降は埼玉県に来て、いまも実家は埼玉にあります。

永井  剣道との出会いは小学2年生で、私は当時山梨にいました。「剣道ってカッコいい!」と憧れて、週に1回、体育館で稽古をしている団体に入門したのですが、そこで指導をされていたのは甲府商業高校の教員でもあった依田育憲先生(教士八段)で、依田先生が私の人生初めての師匠となります。週に1回の体育館での稽古に通ううちに、依田先生がやられている道場にも入門し、本格的に剣道をはじめることとなりました。長野に引っ越すにあたり、依田先生から紹介された権藤少年剣友会に入会して剣道は継続。埼玉に引っ越すにあたって、権藤少年剣友会の先生から紹介いただいたのが現在でも通う右武館で、入門以来、故・松井貞志先生(範士八段)が私の師匠です。

――― 高校は名門校の朝霞高校(埼玉)に入学したとお聞きしました。

永井  強くなりたい、という一心で朝霞高を選びました。当時の朝霞高は本当に強くて、国体選手を毎年のように輩出していましたし、私の一学年上の代は関東大会優勝、インターハイにも出場しています。学校には関東地区で開催されるほとんどの大会の優勝旗がずらりと並んでいるような状況でしたが、それらの優勝旗はすべて私たちの代で返還してしまって、一本も学校に持ち帰ることはできませんでした。たぶん、私たちの代以降、朝霞高もかつてのような活躍はしなくなり、優勝旗を持ち帰るようなことはなくなったように思います。私自身は先鋒に起用していただいて試合に出場することができたのですが、最高戦積は県大会で3位。国体選手も入ることができましたが、それも本大会では1回戦負けと振るわなかったですね。

永井  その後の大学は、埼玉にある城西大学に剣道推薦で進学しました。全日本学生優勝大会にはなんとか出場することはできたけれど、やはりそこでは1回戦負けで、学生時代もこれといった結果を残すことはできませんでした。

高校卒業後は城西大学に進学した永井さん。選手として全日本学生優勝大会への出場経験もある(写真左から2人目が学生時代の永井さん)

――― 大学卒業後はどのように継続してきたんでしょう?

永井  企業に入社するとやはり仕事が忙しくて、剣道から離れた時期もあったんです。しかし、25、26歳あたりから再び右武館に通い出すようになりました。当時は仕事にはもちろん一生懸命に取り組んでいたのですが、それでも生活のなかにどこか物足りなさを感じていた部分がありました。それを補うために求めたのが、子どものころからずっと続けてきた剣道で、大人になって再開してみると学生時代とは違った楽しみを感じるようになりました。

永井  現在の稽古は、時期によっては仕事でまったく剣道ができない時期もありますが、だいたい週に1回、2回が通常ペースでしょうか。右武館を中心に、私自身が関東支部のメンバーとして加盟している国際社会人剣道クラブの稽古にも参加しています。NPO団体の国際社会人剣道クラブは、剣道を通じての国際親善に寄与する団体で、全国に五百数十人の会員がいるんです。世界のチームを呼んで試合をしたり稽古をしたりという活動をしていますが、毎月1回は支部ごとの稽古会が開催されていて、私もそこに参加させていただいているんです。八段の先生方もたくさんいらっしゃる稽古ですから、私にとっては本当に貴重な稽古場のひとつとなっています。

――― それでは、お話の最後に、永井さんにお仕事と剣道のそれぞれの今後の展望をおうかがいしたいと思います。

永井  仕事の目標としては、自社オリジナルの版権キャラをつくることですね。それをマーチャンダイズ化するのもいいですが、国内外問わず展開していきたいというのが今期の目標です。アニメは日本の文化として根づいていて、ヨーロッパなどではかなり人気のコンテンツ。グッズなどもかなり売れているので、オリジナルのキャラをつくってYouTubeなどでアピールしていけたらいいなと思っています。

永井  剣道については現在段位は七段で、あと2年もすれば八段審査受審のチャンスが巡ってきます。まずはそれを目標として、自分なりに稽古に励んでいきたいです。

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