高校時代の部活動から剣道をはじめ、
過去には大手百貨店での勤務経験もある尾島慶宣さん。
武道と仕事のその両方で異色の経歴を誇る尾島さんは、
2025年にSEO・Web広告支援の会社を立ち上げ、
現在はその代表取締役を務めています。
まったくの独学でWebマーケティングを学んだという努力もさることながら、
現在に至る道のりをうかがうなかで見えてきたのは人間的な魅力。
自分自身の気持ちと向き合い、その都度大きな決断をしてきた半生からは、
尾島さんの明るく、そしてたくましい人間性が感じられました。

プロフィール
尾島慶宣(おじまよしのぶ)
1986年8月6日東京都生まれ。郁文館高等学校(東京)から武蔵大学に進学。大学卒業後、大手百貨店・株式会社松屋に勤務し、実業団剣道大会にも参戦。30歳のときに松屋を退職すると、家業である印刷会社に入社。同社に勤務しつつ、2025年にWebマーケティング会社「株式会社NOBUテクノロジーズ」を立ち上げる。剣道は高校時代から始め、現在まで継続。築地警察署で毎週木曜日の夜に開かれる築地木曜会、渋谷区の金王道場などで稽古に励んでいる。剣道五段。
株式会社NOBUテクノロジーズ
https://nobu-tech.co.jp/
信じる道を進んだら
時代の変化に対する「怖さ」が消えた
――― 株式会社NOBUテクノロジーズの代表取締役CEOを務める尾島慶宣さん。まずはご自身の営まれる会社について、その事業内容をおうかがいできればと思います。
尾島 株式会社NOBUテクノロジーズは、Webサイト制作・Webサイト保守・SEO対策・Web広告運用などを行っているWebマーケティング会社です。なかでもWebサイト保守については、月額5万円(税別)ほどの比較的低予算からご相談いただける点を特徴としていて、美容院さま、不動産会社さま、クリニックさまなど、さまざまなお客さまをご支援しています。
もともと私は家業の印刷会社に勤めながら、個人事業主としてWebマーケティングの仕事をしていました。ただ、この事業をより本格的に展開していこうと考えたときに、個人事業主には限界があると感じ、2025年に株式会社NOBUテクノロジーズを設立しました。
――― 尾島さんはWebマーケティングの世界のどのような部分に魅力を感じたんでしょうか?
尾島 やはり一番は「Webマーケティングは、これからも成長し続ける業界だ」と感じたことですね。私は30歳のときに、自分自身で新しい商売を立ち上げようと考えたのですが、そのときに「今後どんな時代になっても必要とされる分野は何だろう」と考えました。そのなかで、私が可能性を感じたのがWebマーケティングの世界だったんです。
私は以前、大手百貨店・株式会社松屋に勤務していました。ちょうど私が入社した2009年頃というのは、eコマースやオムニチャネルという言葉が少しずつ広がりはじめた時代でした。当時はまだ現在ほどネット通販が一般的ではなく、「洋服販売がネットに置き換わることはない」という認識の方も多かったように思います。しかし現在では、洋服をネットで購入することが当たり前になり、時代は大きく変化しました。
そうした変化を実際に目の当たりにした経験から、私は「これからは成長していく業界に身を置きたい」と考えるようになりました。そして、自分一人で商売をするのであれば、Webマーケティングしかないと思ったんです。
もちろん、当時の私はWebについてほとんど知識のない初心者でした。ただ、自分の将来を考えたときに、「もうやるしかない」という感覚でしたね。そこから独学で勉強を重ね、少しずつ仕事として形になっていきました。
実際にこの世界に飛び込んでみると、自分が想像していた以上に可能性を感じることができました。「この分野は今後もなくならない」という手応えを持てたことで、時代の変化に対する漠然とした不安も、以前より小さくなったように思います。
――― Webマーケティングの専門知識はどこで学び得たんですか?
尾島 完全に独学ですね。その点に関しては、本当に苦労しました(苦笑)。私はもともとWeb業界の人間ではありませんでしたし、30歳で松屋を退職した時点では、専門知識もほとんどありませんでした。
ただ、会社を辞めて環境が大きく変わるなかで、「このままではいけない」という危機感は強かったですね。家業の印刷会社も決して大きな会社ではありませんから、自分自身で何か力をつけなければいけない、という思いがありました。
ですから当時は、「負けたくない」という気持ちだけで必死に勉強していました。書籍を読んだり、実際に自分でサイトを作って試したり、とにかく手を動かし続けた感じですね。いま振り返ると、気合と根性で乗り切った部分もかなり大きかったと思います(笑)。
――― 尾島さんがかつて勤務していた松屋は誰もが知る大手百貨店です。どのような経緯で入社して、そしてなぜ退職を決断したのかにも興味があります。
尾島 松屋を選んだのは、本当にご縁だったと思います。もともと自分自身でもよく利用していた百貨店でしたし、大学剣道部の先輩が先に就職されていたことも大きかったですね。松屋には実業団剣道部もありましたので、先輩に相談したところ、「剣道を続けるならいい環境だと思うよ」と勧めていただき、それが入社のきっかけになりました。
入社後は婦人服やハンドバッグ、宝飾時計などの販売促進や店舗運営に携わり、本当に多くの経験をさせていただきました。会社員としてはありがたい環境でしたし、周囲の方々にも恵まれていたと思います。
退職の直接的なきっかけとしては、やはり家業の存在が大きかったですね。30歳という節目を迎えるなかで、「一度家業に入ってみよう」と考えるようになりました。
ただその一方で、自分のなかには昔から「いつかは自分自身の力で商売をしてみたい」という思いもあったんです。私は昔から、良くも悪くも「自分がカッコいいと思えるかどうか」を大事にしてしまう性格でして(笑)。当時の自分にとっては、会社の外に出て、自分自身で仕事をつくっていく人生に強く惹かれていた部分もありました。
もちろん、退職した直後は不安もありましたし、「本当にこれで良かったのかな」と後悔した時期もありました。ただ、いま振り返ると、あの決断があったからこそ現在の自分があるのだと思っています。
――― その後もまた心の声に従い、独立した尾島さんですが、立ち上げたNOBUテクノロジーズの現状はいかがでしょうか?
尾島 お客さまについては特定の業界に偏ることなく、美容院さま、不動産会社さま、クリニックさまなど、多岐にわたります。
現在は、SEO対策やリスティング広告、Meta広告(Instagram・Facebook広告)などを組み合わせながら、お客さまの集客支援を行っています。少し前までは、Web集客といえばSEO対策やGoogle検索広告が中心でしたが、最近はSNS広告、とくにMeta広告の伸びを非常に感じています。
ただ、一方で「これだけやれば大丈夫」というものでもありません。業種やエリア、ご予算によって成果の出やすい方法は異なりますので、SEO・検索広告・SNS広告などをバランスよく組み合わせながら、お客さまに合ったご提案をすることを大切にしています。
また、ホームページについても“作って終わり”ではなく、継続的に更新し、最新の状態を保つことが重要だと考えています。そのため、細かな更新対応やSEO対策、Webサイト保守などについても、月額5万円(税別)ほどから対応させていただいています。


高校時代から剣道をスタート。
目指すは人生初の「大会優勝」

――― 尾島さんご自身の剣歴もぜひ教えてください。まず、ご出身はどちらになるんですか?
尾島 東京都の渋谷で生まれました。剣道については大した試合戦績などは残せていなくて、そもそも剣道自体、高校の部活動ではじめたんです。
――― それは一般的な剣道の経歴と比較すると、かなり遅めですね。
尾島 もともと中学校では柔道部に入っていたのですが、当時は体重も30kg台で非常に小柄な子どもでした。それもあって試合をしても負けてばかりで、結局つまらなくなって柔道は辞めてしまったんです。その後、高校に進学するわけですが、その高校がいまは強豪校として名前が通っている郁文館高校。私の在学中から剣道の推薦入試制度はあったようですが、それもスタート間もない時期だったこともあって、当時は戦績豊富な生徒が入学してくることもなく、辞めてしまう部員も多かったような印象です。私自身はやはり中学校で柔道を辞めたことにどこか負い目があったのか、高校でもなにか武道をやってみたい、という思いがあったので、剣道部を選びました。郁文館は中高一貫校で、私は数少ない外部からの進学者。顔を見知った同士の剣道経験者の部員が稽古をしているなか、知り合いのいない初心者がジャージ姿で道場にいるのは非常に居心地が悪かったのですが、自分なりに真面目に取り組んだ結果、みんなが受け入れてくれた。私自身は試合も小さな支部大会や練習試合くらいしか出場することはできませんでしたが、やはり高校時代は自分の人生のなかでも本当に大切な時期で、いま当時を思い返して頭に浮かんでくるのが映画の「スタンド・バイ・ミー」。二度と戻らない少年時代を描いた名作として名高い作品ですが、映画のなかで少年たちは冒険を終えたあとそれぞれの道を歩んで疎遠になる。映画の最後、大人になった主人公が語る「彼ら以上の友だちに出会うことはなかった」という言葉は、私自身にもどこか重なる部分があります。大学、そして社会人となってからも多くの仲間に恵まれましたが、それでも高校時代の仲間たちは、自分にとって人生の原点のような存在なんです。
――― 尾島さんは大学でも剣道を続けるんですね。
尾島 進学したのは武蔵大学で、私の数少ない自慢といえば高校同期のなかでも、大学で体育会剣道部に入部したのは私だけというところでしょうか。高校から剣道をはじめた私の立場からすると、そもそも高校で面をつけたのも入部から半年ちょっと経った時期ですから、しっかりと剣道に取り組んだ時期は実質1年とちょっとくらい。「果たしてこれで剣道をやっていたと言えるだろうか」と自分自身疑問に感じたものですから、大学でも体育会剣道部を選びました。大学での日々も、私にとっては貴重な経験が多かったですね。高校時代は「初心者の尾島」と言う扱いでしたが、大学となればそうはいかない。いち部員として、みんなと同じ土俵で戦うことになるわけで、選手に選ばれなかったり、ギリギリ補欠に入ることができたりと、高校時代に味わうことのできなかった、喜びや挫折を体験しました。一番の思い出は、武蔵大と学習院大学、成蹊大学、成城大学の四大学で争われる定期戦。私も出場することができて、いつも3位、4位という結果に終わる武蔵大が2位に入賞することができたんです。あれは本当にうれしかったですね。

――― 大学卒業後は実業団剣士となるわけですね。
尾島 勤務先の松屋には剣道部があったとはいえ、専用で使用できる道場などはありませんから、稽古は部員各自に任されていました。私自身は勤務する松屋銀座の近くの築地警察署で毎週木曜日に開催される稽古会に足を運ぶようになり、いま現在もお世話になり続けています。築地以外でお世話になっているのは渋谷にある金王道場で、こちらは32、33歳のときに大学剣道部のコーチを任されたことで、どうにか稽古量を増やそうと考えて通うようになった道場。家から通いやすいという利点もあって、もうこちらにも長くお世話になり続けています。だからいまの稽古のペースは週に1、2回で、築地木曜会と金王道場のどちらかに行くか、その両方に通うか、といったところです。
――― それでは最後に、お仕事と剣道のそれぞれにおいて、尾島さんの今後の目標をお聞かせください。
尾島 中長期的には、海外進出にも強い興味を持っています。日本は今後人口減少が進んでいくと思いますし、これからの時代は国内だけでなく、海外に向けて価値提供していくことがより重要になると感じています。実際、私自身もアメリカ・シリコンバレーへ視察に行きましたが、日本とはまったく違う空気やスピード感を感じました。だからこそ、今のうちから英語の勉強も含めて、少しずつ準備を進めています。
また、仕事については、単発的な仕事だけではなく、継続的に価値提供できる「仕組み」をしっかり作っていきたいと考えています。たとえば百貨店勤務時代、売り場では毎日大きな売上が立っていましたが、それは個人の力だけではなく、百貨店という仕組みそのものが機能していたからだと思うんです。ですから私自身も、お客さまに継続的に価値を提供できるようなWebマーケティングの仕組みづくりを大切にしていきたいですね。
剣道については、直近の目標でいうと六段審査の合格でしょうか。五段まではストレートで合格してきたのですが、もう六段は何度か落ちてしまっています。だから次こそはなんとか合格したいですね。そして、試合に関しても達成したい目標があって、それは「大会で優勝すること」なんです。高校時代から剣道をはじめたこともあり、これまでなかなか優勝を経験することができませんでした。だからこそ、どんな規模の大会でもいいので、人生で一度は頂点に立ってみたいんです。
高校から剣道を始めた人間でも、ここまでやれるんだ、という姿を見せたい気持ちもありますしね。いまは後輩たちにも手伝ってもらって、「自分が優勝できそうな大会はないか」とリサーチしているところです(笑)。簡単ではないと思いますが、いつか必ず優勝してみせたいと思っています。


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