大学卒業と同時に家業に入社し、27歳で代表取締役に就任した藤田社長。印刷業からスタートし、フリーペーパーやイベント企画、グッズ制作、販売代理店業など事業の幅を広げてきました。目の前のコトをコツコツと誠実に取り組んできたところがコロナショックで一変。そんな中で挑戦を続ける藤田社長を支えるものと、後継者たるご子息への思いなどを伺いました。
プロフィール
1969年京都市生まれ。平安高等学校(現.龍谷大学付属平安高等学校)から金沢経済大学(現.金沢星稜大学)に進学。卒業後、精好印刷株式会社に入社。印刷事業、デザイン・クリエイティブ事業、販売代理店事業、フィットネス事業を営む。剣道は小学生で始めて大学まで継続。剣道六段。所属は植柳少年剣道部。
株式会社精好
https://seiko.kyoto/
5Rで通えるライトなパーソナルジム FITABLE
https://www.instagram.com/fitable_seiko/
父が創業した精好印刷。5歳の頃から家業を継ぎたかった
― 会社の創立は昭和39年なんですね
弊社は父である藤田 貢が1964年に創業しました。最初は精好印刷という個人事業で、名刺の印刷機1台からスタート。1992年に社名を現在の社名である株式会社精好に変更しました。いまは、祖業といえるデザイン・印刷事業に加えて、イベントの企画・運営、ノベルティグッズの企画・販売、バイオ式生ごみ処理機の販売を中心とする販売代理店事業などを展開しています。一番新しいのはフィットネスジムの経営で、フランチャイズ経営から始めて2025年1月からはオリジナルのジム「FITABLE」としてリニューアルオープンしました。
― 印刷業以外は藤田社長の代から始められたんですね?
そうです。大学を出てすぐに父の会社に入社したんですけど、大学を卒業した年の5月に父が入院、8月には他界したんです。その後しばらくは母が名義上の代表を務めていて、僕の長兄が専務、次兄が常務、三男の僕が営業という体制。でも金融機関とのやりとりなんかをする上で母が代表を続けるのは難しくて、子どもの頃から家業を継ぎたいと主張していた僕が代表に就任しました。
事業は、社員から「こんなことをやりたい」という声が挙がって始めることが多かったです。コロナ前に発行部数7万部までいってたフリーペーパー「go baaan(ゴ・バーン)」なんかはそうでしたね。そのほかには、もともと格闘技好きでプロレス業界のエンターテインメント性に魅力を感じていた僕が『みちのくプロレス』を観に行ったことがきっかけで始まった、DRAGON GATEと広告主を繋ぐ代理店のような仕事とか。



― 三兄弟の中で三男の藤田さんが家業を継がれた
子どもの頃から家業を継ぎたいって主張してたんです。子どもじみた話ですけど、僕は昔から負けず嫌いで、兄たちが自分より早く生まれたというだけで偉そうにしてるのが耐えられなくて(笑)
兄たちに負けないためには父に認めてもらうしかない。そして、父に認められることは会社を継ぐことだと考えていました。「僕が会社を継ぐ」と宣言してて、ずっとそのつもりで親子関係を築いてきたんです。
― ご両親から商売とか事業の話を聞いておられたんですか?
まったくないです。「お父さん、おカネあるんやったら、あそこ田舎やし土地買って、いま安いけどこれから栄えていくやろうから、土地が高くなったら半分売って、売ったおカネでモノを建てて何か商売したらええねん」とか、そういうこととかを勘で言ってた感じ。
勉強も何もしないただの悪ガキでしたけど、後を継いで「それ、ええやん」って言われるようなレベルじゃない、かなり早いタイミングから後を継ぐって言ってたから、とにかくどうやってたらおカネ儲かるかなとか考えるマインド。ただ、それが子どもらしくない銭儲けとかじゃなくて、これをこうやったらこんなことになるちゃう?とか、そういうのがたまたま降りてくるときがあったりして。他の子が工作なんかをやるのと同じ感覚で、ジャンルが違うだけ(笑)
京都の田辺に鹿志館道場という立派な道場があって、小4か小5のときに出稽古に行ったんですけど、当時の田辺は高速も通ってなくて京都市内から2時間くらいかかる何もないところだったんですけど、「お父さん、ここでやったらどう?」みたいなことを言ってた(笑)
コロナショックで変わった。
いままでと同じ生き方では生きていかれへん
でも、いまはもうコロナショックにやられて頭のキレも動きも全然できてなくて挽回もできてないんですけどね。
じゃあ自分たちは何ができるかという中で、いままでなら「印刷屋は印刷をやっとかなあかん。ましてや親から引き継いだ事業ならそれをやり続けなあかん」という制限みたいなものが、周りの目も含めてあったりして、「こんなのやりたい」とか言っててもなかなかできないというプレッシャーみたいなものがあったんですけど、いままでと同じ生き方では生きていかれへんとなって、可能性があるんだったら何でもチャレンジしようと。事業を立て直すために印刷屋でも広告屋でもない状況を逆に創れるチャンスだというマインドになれたんですね。
― そのひとつが販売代理店?
そうです。ただ何でもいいということではなくて自分の中に基準はあります。
もともと食品の産業廃棄物を堆肥に変える機械を販売する会社の代理店をやり始めて、神戸物産グループの工場を経営されている先輩のところに行って、「藤田さん、なんでこんな機械を売りに来たん?」と聞かれたので、ちゃんと勉強できてない状態でもあったので、気持ちと勘で「会社と従業員、家族を守らんきゃならんですし、自分にできるのは営業しかない。ただ、ゴミ問題とか食品ロスとかSDGsとかそういうことが繋がって世の中の役に立つんじゃないかと思って」という話をしたら、まさに神戸物産がそういうことに取り組もうとしているタイミングで。先輩の会社も一度傾いて神戸物産の沼田会長に助けられたということで、「自分が力になれるんなら」と言っていただいて、3,500万円する機械を2台契約してくださった。最終的にはメーカーの対応が上手くいかなくてその2台で終わってしまったので、コロナで負ったダメージを解消するチャンスを逃してしまったんですけどね。
「出来る」「愉しい」「感謝」という3つをベースに置いた
「出来る」というのは、もともと「出来ないとは言わない」という信念は持ってましたし当然失ってはいないですけど、コロナ後は余裕がないので、ちょっと違う意味つまり「ほんとうに出来ることを考えて、これなら出来るということをやっていこう」というのを大事にしなければならなくなっています。
「愉しい」というのは、「らく」の方ではない文字を使っていますけど、自分が愉しくてみんなを愉しくできる、そんな能動的な意味を込めています。
「感謝」は、結果的に必要とされていれば助かったし有り難く思う、だから有り難うと言ってもらえるという単純なこと。だから世の中に必要とされているものを扱うとか、必要とされる存在になろう、そういう思いを込めています。
産業廃棄物のことなんかは絶対に世の中に必要とされていますし、蓄光商材とか防災関連のもの扱っているんですけど、これも、ちょっとでも防災の一翼を担えたらと思っていますし、電気でやっていることを蓄光商材にできたらSDGsに繋がる、脱炭素に繋がればいいなと。そんな風に自分の中にストーリーができているものを扱っていきたいなと思っています。僕は営業しかできないので、そういう必要とされているものを世の中に届けられるような営業をして、もちろん商売人ですからお金儲けをしなきゃならないですけど、でも、喜んでもらって役に立ってお金儲けができるのであればこんな幸せなことはないので、それが出来る会社になりたいということだけは、先代の思いを引き継いだ中で変わらないようにしたいなと。
フィットネスジム「FITABLE」

FITABLEに関しては、もともとフランチャイズでフィットネスジムをやり始めたんですけど、僕が親から引き継いでやっている商売は長男には向いていないと思ったんですが、でも会社に入ったので、彼が出来るもので「愉しくて感謝」と考えたときにこの事業がいいんじゃないかというのがあって、本人もやりたいということだったので始めました。フランチャイズの方は解約して独自でやることになりましたけど、店名もキャラクターロゴも、それぞれ彼なりに「出来る」「愉しい」「感謝」をベースに考えたものです。それを、以前ウチで働いてくれていたイラストレーターに頼んで形にしてもらいました。
人から「どういう意味?」って聞かれたときに、自分の魂のこもった言葉で話せることほど説得力のあることはないじゃないですか。なので「全部自分で考えてやれ!」と彼に言って、それでやった結果出来たものなので、既にベースにあるものはどんどん活用しながら、そこから派生してやっていけばいいと思っています。

― いまは株式会社精好の中の事業部門ですよね?
将来的には別会社にするくらい発展して、長男も経営者としての能力を身につけてくれたらとは思っています。
4つ下に弟がいて東京で働いているんですけど、彼はもともと精好に入って後を継ぐと言っていたくらいなので、どういう形になるかわかりませんけど、二人で協力して“いいとこ取り”してやっていってくれたらなという風に、経営者としての願いだけじゃなくて親として思います。
― フランチャイズではなく完全オリジナルでやっていく
その点は事ある毎に言っています。自由である分、責任が伴うということですから。
僕は、「こういうことをしたら面白んじゃないか」とか、そもそも子どもの頃からそういう発想の中でやる人間性なので、販促とか会員さんへのサービスとかがどんどん出てくるんですけど、彼とは性格がまったく違うんで(笑)、そのあたりはなかなか「それいいやん」とはならないですね。でも、ほぼ口を出すつもりがないので、言いはしますけど、彼がしないと言ったらしない。
でも、せっかくいろんなことをやってきた会社の繋がりが、京都は中小企業の社長がいっぱいいる町なので、その社長の繋がりの中でいろんな人がいろんな協力をしてくれる。そういう中でやれるのは彼にとってすごくプラスですし、バリューだと思います。
今回のリニューアルオープンにあたっても、ほとんどが仕事を納められていた後の12月28日から一気にやらせてもらったんですけど、本当に皆さんが協力してくれて。普通なら絶対にやってくれないっていう状況で、僕ら社長がそういう付き合いをしてきてるからというようなことも、ちょっとはわかってきてると思いますけど、それって損得じゃないじゃないですか。彼にこれから学んでほしいのはそこだと思います。人は損得だけで動いてくれるわけじゃないということですね。そういうことをわかって、もっと言動をしっかり勉強せなあかんで、という(笑)
― FITABLEはマシンの特長とか理論よりも、人がいないと成り立たないジムだと伺いました。
会員さん個々にメニューは設計しますけど、その日その日の調子とか気持ちに合わせてトレーニングをしてもらいます。土地柄もあるかもしれませんけど、杓子定規じゃない付き合い方が地道に支持を得るのかなと。
何でもそうじゃないですか、商売って。一回買ってもらうのも大変ですけど、二回目もって難しいじゃないですか。
ウチはいままでBtoBしかやっていない会社で、僕もBtoCは初めて。でも結局のところ相手は人なので、人で売るしかないというところは変わらないと思う。

様々なバックグラウンドが揃う。店長の大久保さんは精好の社員だが副業がプロレスラー
― ご長男はおいくつですか?
この4月で31歳になります。いまやらんといかんのです。だから去年からずっと「お前、いまやらんかったらいつやるねん!?」「もう最後のチャンスやと思ってやれよ」って言ってきた。いま汗をかいて、いま恥をかかないと、いつできるのか。馬鹿にされてかく恥とか冷や汗をかくとか、そういうことを言っているのではないので、僕の言う汗とか恥が何なのかを自分で考えてやれと言っています。そうでないと、25年後にいまの僕の立ち位置にすら届かない。いま恥をかいたって、「すみません」と頭を下げておけば、いつか通り過ぎていくので。
一番出来の悪いクソガキが腐らないように導いてくれた
― 子どもの頃は悪ガキだったと何度もお聞きしましたが(笑)
小学生の頃は本当に悪ガキだったんです。試合中に相手を泣かしたり、気に入らないやつとケンカしたり。もちろん大人に迷惑をかけるとかモノを盗んだりとかカツアゲしたりとか、そういう悪ガキではなくて、時代遅れのガキ大将みたいな感じだったと思いますけど。ガラスを割っても逃げたりしませんし、逆に素直に謝りに行ってましたから。大人にはすごく信頼されてましたしね(笑)。
ただ、剣道の試合に関しては「勝てば何をやってもええやん」と思っていたのは事実で、それに対して、高学年になって試合に出る中で「勝つだけではダメだ」と吉田先生(故・吉田市太郎範士)にすごく怒られて。「剣道をやっている子は立派だと言われるような、お手本になる剣士にならなきゃいけない」と諭していただく機会が増えたんです。先生の言葉の意味は、時間が経つにつれて少しずつわかるようになってきました。
試合は自分だけ勝ってもダメじゃないですか。一緒に試合に出る仲間とか、稽古してくれる先輩・後輩がいなかったら剣道はできないので、いろんな人の中で自分は支えられているんだと、子どもながらにぼんやりと考えるようになったんですね。その教えはいまでも自分の中で生きています。
僕は親戚の中でも「一番出来の悪いクソガキ」と言われていたんですけど、先生が腐らないように導いてくれた。6年生のときには武道館の全国大会に個人の京都代表で出させていただけましたし、道場でも全国大会に出場できました。また最終的に、会社の剣道部に「植柳」の冠を付けてもらえないかという有り難いお話もいただけました。

プライスレスな縁の部分を大事にしたい
コロナでたくさん社員が辞めましたし、「ひどい社長や」って言われたこともあります。でも、しんどい状況ですけど、「まだ挽回できるチャンスをもらえるくらい僕はツイてるし全然大丈夫」と、そう思ってずっとやっています。
だから、頑張って事業をやっている人と何か一緒にできたらいいなとか、頑張っている人と一緒にいる機会を増やすことで自分の人生も広がるとかビジネスチャンスも広がるかな・・・というのもあったり、プライスレスな縁の部分を大事にしたいなと思っています。
― 直接的にすぐメリットがなくても、ということですね
そう。だから剣縁も、何かやったからすぐに直接結果が出るというような期待をしているわけではなくて、こんなところに出してもらっている以上は恥ずかしくないように生きよう、頑張ろうと自分なりに思っている部分があります。たまたま同い年の集まりである獅子冴会でも、剣道の戦績でいえば“ひと山ナンボ”の位置でしかないのに、中心になっている人たちが仲良くしてくれる中で、剣道の戦績は天地が逆さまになっても変わらないですけど、でも続けているうちには入らないけれども剣道に関わっていたおかげでこんなご縁があって、自分がいま活躍せなあかんと思う場所にチャンスがもらえたりとか、そういう人間としての成長を得られるような機会があったりとか、目先の損得というよりも、自分がその価値のある存在でいられるかどうか自分に問えるという意味でも、有り難いです。

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