あきらめず、 最後の最後まで考え抜く (沢辺敦志/株式会社ユナイテッドリバーズ 代表取締役)

ウェブマーケティング代行業、
そして不動産仲介業と、大きくふたつの事業を営む沢辺敦志さん。
一見まったく異なる業種ではありますが、
沢辺さんはその柔軟な思考で、
それぞれの事業で学び得たノウハウをそれぞれのビジネスに巧みに応用させています。
剣道は小学1年生からはじめたものの、
途中には長いブランク期間を過ごしたリバイバル剣士でもある沢辺さん。
再び竹刀を握るに至ったきっかけは、
いまは亡きかつての恩師へのある思いでした。

プロフィール

沢辺敦志(さわべ・あつし)
1985年11月4日千葉県生まれ。千葉県立千葉高校から早稲田大学に進学。大学卒業後、大手不動産情報サービス会社に勤務する。同社を退職後、ウェブマーケティング代行業を営む株式会社ユナイテッドリバーズを設立し、現在は不動産仲介サービス「イエフリ」も運営する。剣道は小学1年生からはじめ、高校時代には剣道部の主将を務めた。大学時代は一時期剣道サークルに所属したものの、以降は剣道から離れる時期が長く続く。38歳のとき、学生時代の友人の誘いから剣道を再開。剣道四段を取得している。

株式会社ユナイテッドリバーズ
https://united-rivers.com/

不動産仲介手数料無料機構イエフリ
https://iefree.co.jp/

犬用歯磨きジェルワンオーラ
https://wan-ora.com/

YouTubeチャンネル「イエフリのメガネ不動産さわべ」
https://www.youtube.com/@meganehudousan

ウェブマーケティング代行業と不動産仲介業
両分野の学びをそれぞれに応用

――― ウェブマーケティング会社を経営しながら、不動産仲介業も展開しているという沢辺敦志さん。ご自身の営まれている事業の内容について、ぜひご説明をいただければと思います。

沢辺  ウェブマーケティング代行業をやりながら不動産仲介業をやっているという例はあまり多くないこともあって、毎回自己紹介をするとやはり「えっ?」と驚かれることが多いですね(笑)。
 私自身は大学を卒業したあと、不動産売買・賃貸物件情報サイトを運営する会社に勤務していたんです。とは言っても当時は不動産業自体に直接タッチしていたわけではなく、担当していたのは「引越し一括見積りサービス」の事業開発とマーケティング。会社にはサイトの制作・開発の専門部署もあるにはあったのですが、当時の私の仕事ではあまりその部署の人材を使わせてもらうことができなかったんです。自分自身でやらなければいけないことが多くて、とても大変ではありましたが、幸いSEO対策については制作の人の手を借りなくとも単純にできる仕事ではありました。
 仲のいい先輩からの助言や、自分なりの研究を重ねて、その成果を会社のサービスに反映させ続けていたところ、3ヶ月ほど経過したタイミングで成果が3倍になり、同様のサービスを運営している大手企業の業績を一気に抜いてしまうという、思いもよらない好結果に恵まれました。
 これに大きな自信を得たこともあって、以降もやりがいを感じながらその仕事に取り組んでいたのですが、勤務して4年ほど経過したタイミングで持ち上がったのが部署異動の話。自分なりにマーケティングの仕事に熱意はあったし、今後もこの分野でがんばりたいという意欲もあったので、そこで思い切って独立を決断したんです。
 独立当初にはじめた仕事は、SEO対策がメインでした。たとえば「引っ越し見積もり」というキーワードで検索をかけたときに、ご依頼主のサイトが検索上位に表示されるようにするのが私の仕事で、いまでもご相談をいただければ対応しています。
 当時ご依頼をいただいていたお客さまの多くは、余裕をもって費用を先出しできるような企業規模ではありませんでした。また、検索上位に上げること自体の難易度も上がってきていたこともあって、2018年からは弊社が制作費用や広告費用も負担し、お客さまの代わりに広告宣伝を行なって、問い合わせや売上などの成果が出たら費用をいただく「完全成果報酬」へとサービスのメインを切り替え、これがご好評をいただいて現在に至ります。
 いまとなってはウェブマーケティングの世界にも大きな変化があって、動画やSNSでサービスを探す方が増えているのを実感しています。弊社でもそこにはしっかり対応していて、自社の不動産仲介サービス「イエフリ」の事業でYouTube動画を300本以上、自社で制作・公開してきているので、そのノウハウが蓄まっているんです。それを活かして、お客さまのYouTubeチャンネルの運用や、動画を広告に使って問い合わせ・売上をアップさせるコンサルティング、運用代行支援も行なっていて、案件によっては、動画やSNSの運用についても、お問い合わせや売上に応じた完全成果報酬でお取引をさせていただいています。
 不動産仲介業の「イエフリ」は、コロナ禍の時期からはじめた事業です。
きっかけは、2018年あたりかそれ以前から、ある不動産仲介会社さんの支援をさせていただいていたこと。弊社のスタッフが電話、メール、LINEでアピールをして、ご案内が取れればそれをお渡しし、成約すれば売上を折半するという形で対応させていただいていたんです。
 コロナ禍の直前には、対応しきれないほどお問い合わせが来るようになっていたのでフリーの宅建士(宅地建物取引士)の方も探して契約し、営業までを弊社で支援するようになりました。
 世のなかのあらゆる職業で業務が停滞したコロナ禍のなかでも、そのサイトに関してはなんとか好調を保つことができていて、そこまで対応してきたことや、自社で契約していた宅建士とのやり取りもあったこともあって、支援先にも相談のうえ、2021年に自社でも不動産仲介業を展開することにしたんです。
 そのタイミングで私自身も宅建士の資格を取得しました。想像以上に覚えることが多く、受験は2回しましたが、なんとか合格することができました。久しぶりに勉強ばかりの日々を過ごして苦痛だったので、もう二度とあんなに勉強はしたくないですね(笑)。

――― すばらしい努力だと思います。沢辺さんのウェブマーケティング代行業ではまずひとつ「完全成果報酬」という特長がありますが、不動産仲介業においての強みとなるとどんな部分にあるのでしょうか。

沢辺  不動産仲介業とウェブマーケティング代行業とでは、それぞれの事業に応用できる部分が多いんです。たとえばウェブマーケティングのノウハウを活かして、物件販売の情報を動画や写真を使って分かりやすくアピールする。その結果、集客が強化されて2週間で83件の資料請求を獲得できた実績もあります。そして不動産仲介業で活かすことができたものを、今度はウェブマーケティングの分野に応用することも可能です。
 先ほども少し触れましたが、2、3年前くらいから「イエフリのメガネ不動産さわべ」(登録者数1.6万人、2026年8月現在)というYouTubeチャンネルを開設して自ら動画に出演しているのですが、これは不動産に関する情報をお伝えする場であるのと同時に、実はウェブマーケティングの実験の場としても活用しているんです。ここで効果のあったやり方はウェブマーケティングのお客さまにもいい具体例としてご提示できる。いま、お客さまには、住宅関連企業様の他に、美容外科クリニック様や人材紹介会社様、法人向けのサービスを提供されている企業様など、様々な業種のお客さまがいらっしゃるのですが、それぞれ分野は違えど、成果地点として設定しているのは「お問い合わせをいただくこと」ですから訴求すべき内容の本質は近しいものになるんです。
 ただし、私たちが自前で実験して効果のあったやり方で、お客さまの案件も同じ成果を得られるかと言えばそう簡単にはいきません。条件、状況に応じて柔軟に対応させていただくことをつねに心がけています。
もうひとつ、サービスの強みととらえているのが「徹底的に問題解決に取り組むこと」。ご依頼者のご相談をうかがっているなかでは、「あと一周、トライアンドエラーをすればきっとうまくいくのに」という段階でひとつの施策や、Google広告・メタ広告・LINE広告・X広告といった、それぞれの広告媒体での成功をあきらめてしまわれているケースも少なくないんです。
 私自身がひとつの広告媒体をあきらめるのは、本当に最後の最後の段階。
契約期間内には絶対にその媒体をあきらめることなく考えに考え抜いて、具体的な解決策をご提示できるように努めています。

――― 沢辺さんの柔軟性、という部分を表わす事業のひとつとも言えるのか、ホームページを拝見していて気になったのが「犬用歯磨きジェルワンオーラ」という商品の販売ページ。これはまたウェブマーケティング、不動産とは大きく違った……。

沢辺  ああ、これはコロナ禍でちょっと時間の余裕があった時期につくったものなんです(笑)。他社さんの製品のアフィリエイトサービスからスタートしたもので、ワンちゃんのお口のなかを健康な状態に保つための歯磨きジェルなのですが、ジェルの粘度が高いぶんお口に留まりやすい。近年はペットも介護が必要になるケースが増えたりと健康問題への関心も高く、おかげさまでこの商品も多くのご好評の声をいただいています。

沢辺さんの運営する不動産仲介サービス「イエフリ」のホームページ

自分も先生のように」
38歳からの剣道再挑戦

大学時代に剣道を中断。長く剣道からは離れていた沢辺さんだが、剣友の誘いから38歳で復帰。写真は仲間たちと千葉県社会人大会に出場したときのもの

――― お仕事の話に続いて、沢辺さんの剣道の歩みもお聞かせいただければと思います。

沢辺  剣道は小学1年生のときからはじめました。地域の公民館を利用する道場に入門したのですが、実は自分としては本当は空手をやりたかったんです。しかし空手の道場が家からはちょっと遠くて、さらに母はなんとなく空手よりも剣道のほうをやらせたかったのか、うまく剣道のほうに誘導されたような感じです。
 小学校のころは友だちと遊ぶ時間がなくなるのがイヤで、ずっと剣道は辞めたかった。ちゃんと数えても100回以上は「辞めよう」と思っていたと思います(笑)。実際に親にも自分のそんな思いを伝えてはいたのですが、親は毎回決まって「辞めていいよ」と言ってはくれるんです。ただし、必ず「先生には自分の口で辞めると言ってこい」と。道場生のみんながいる前で、先生に「辞めます」を言うのは小学生にとってはかなりハードルの高いことですから、結局は何も言えずに稽古をして帰宅して、そしてまた稽古日になればイヤだなと思いながらも道場に向かって、とそんな日々を繰り返して過ごしていました。
 そのあと中学校でも剣道を続けた私は、高校は県立千葉高校へ進みました。高校でも剣道部に入部したのですが、剣道部はそれなりに熱心に活動していたこともあって、地区のブロック予選を勝ち抜いて、県大会でも2回戦くらいまでには進出できるような感じだったんです。序盤戦敗退ではあっても、私自身は中学時代には県大会にも出場できませんでしたから、中学時代よりも活気のある部活動で剣道に取り組めることに充実感を覚えつつ、楽しく部活動に取り組めていました。しかし、自分たちの代が最上級生になると剣道部の雰囲気にもちょっとした変化があって……。
 当時私は部の主将を任されていたのですが、自分と周囲のメンバーとの間で剣道に対する熱量の差が出てくるようになってしまったんです。有名なバスケットボールマンガの「スラムダンク」で、キャプテンの選手が周囲の選手から「お前とバスケするの息苦しいよ」と言われてしまうシーンがありますけど、まさにあれに近い状況になってしまった。結局、私はチームをうまくまとめることができず、高校最後の大会でもあまり勝ち進むこともできなかった。どこか消化不良のような状態で高校時代を終えることになってしまいました。

小学1年生から剣道をはじめた沢辺さん。当時はあまり剣道に熱心ではなかったと語るが、ここで生涯の恩師と出会うこととなる
中学生時代の沢辺さんの勇姿。このころ、ケガに苦しむ沢辺さんを救ってくれたのは道場で指導を受ける恩師だった

――― そのあと、大学は早稲田大学に進学されたそうですね。

沢辺  そうなんです。大学でも体育会の剣道部を見学はしたんですが、早稲田の剣道部はやはりレベルが高いので「これは自分にはちょっと無理かな」と。ただ、剣道には興味はありましたから、大学の体育会ではなく剣道サークルに所属したんです。しかし、サークルはサークルでこちらは「飲み会文化」がすごかった。私にはちょっとその雰囲気が合わなくて、結局サークルも半年ほどで辞めてしまいました。それ以降、剣道は大学の授業でちょっとやる程度になり、剣道からは離れて過ごす時期が長く続くことになります。

――― 再開のタイミングときっかけは?

沢辺  38歳のころですね。きっかけは、仕事の付き合いから大学サークル時代の友人との交流が復活し、そのときの会話の流れで稽古に誘われたからです。
 実は剣道の再開に関してはずっと後悔の気持ちがあって、もともと剣道をはじめた道場ではずっと剣道がキライで過ごしていた私ですが、中学時代にケガで苦しい時期があったとき、小学校のころからお世話になっていた道場の先生が私のことを気にかけてくださって、わざわざ学校の部活動にも指導に来てくださるようになったんです。先生と一緒に稽古を重ねるなかで私にも大きな変化があって、それまでは「やらされている」という感覚のほうが強かった剣道がどんどんと楽しくなっていきました。同じ道場の仲間たちよりも先生と長い時間を過ごすことができていたことも、どこか誇らしいようなうれしい記憶として残っていて、あのころの思い出はいまも私にとっては大事な宝物なんです。
 剣道から距離を置いて20年近く経ったころ、私の育ったその道場が閉鎖するという噂を耳にしました。私は「ここでもう一度先生にお会いして、自分も剣道を再開しようか」と剣道再開のチャンスをうかがっていたんですが、運悪くそのタイミングで世間はコロナ禍となってしまい、そこからまたしばらく先生にはお会いできない時期が続きます。
 先生とやっと再会できたのはコロナ禍が明けたタイミングでしたが、久しぶりにお会いした先生はすでに認知症の症状が進行していて、私のこともほとんど覚えておられないような状態になっていました。そして、そして、再会の喜びも束の間、それからほどなくしてお亡くなりになってしまった。私の心に残るのは後悔の気持ちばかりで、「もっと早く会いに行けばよかった」、「もっと早く剣道を再開しておけばよかった」と、いまもまだそんなことばかり考える日々を過ごしています。
 私を剣道に誘ってくれた学生時代の友人ですが、彼はしっかりと剣道を続けていたこともあって剣友の数も多いんです。長野県の飯田市で毎年開催されている大会があるのですが、友人は仲間たちと誘い合って毎年その大会に出場をしていた。私もまたその友人から「飯田市の大会にいっしょに出てみない?」と声をかけられたわけですが、剣道自体が久しぶりの再開なうえに、いきなり試合に出るとなるとこれはもう普通に道場に通っているだけでは練習量がとても間に合わない。そこで慌てて探したのが剣道の個人指導で、大会本番までに10回くらい集中的に指導を受けて、なんとか試合ができる状態にまで戻してもらいました。その個人指導の先生からは「悪くないからこれからも継続してみては?」と褒めていただいたこともあって、そこから本格的に剣道を再開することになったんです。

※沢辺さんが利用し、ホームページも作成した剣道の個別指導、個別コーチング「ケントレ」
https://www.samurai-sword.jp/

――― 現在の稽古のペースとなると?

沢辺  再開した当時はまだ四段を取っていなかったので、昇段審査を受けるためにも自宅近くのさくらつつみ会という道場に所属し、いまもそこに通いつつ、大学時代の友人たちとも月に一回くらい集まって稽古しています。
 それと、フリーの稽古会である「HAGAKUREY (@hagakurey2018)」などにも時々参加しているので、現在の稽古のペースとなると月に2、3回程度でしょうか。

――― それでは最後に、お仕事と剣道の今後の目標、展望などを教えていただければと思います。

沢辺  仕事については、以前までは不動産の買取再販売事業もやってみたいと考えていたのですが、いまはマーケティング事業に注力したいと思っているんです。お客さまとの関わり方も少しずつ変化してきていることもあり、今後は場合によっては顧客企業への出資なども検討していて、より深い関与を通じてもっと事業成長を支援できたらいいなと考えています。
 剣道については、今後もケガなく継続して、いずれ段位も七段まではいけたらいいなと思っています。再開した以上は少しずつでも前に進みたいですし、亡くなられた恩師の先生からいただいたご縁や教えを、自分なりにつないでいくことも私の大事な役目なのかなと考えるようになりました。いまでも稽古のときにはかつての出身道場の手拭いを身につけているんですが、思えば亡くなられた恩師の先生もリバ剣で、60歳を過ぎてから七段を取得されたような努力家でもありました。だから私もまた「あの先生のように」という思いで、いま剣道と向き合っているんです。

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