僕は地元のために生きていく(江川侑弥/株式会社伊藤農園 販売支援課課長)

日本一のみかんの産地である和歌山県。

そのなかでも豊かな自然に恵まれた有田地方のみかんは、高級ブランドとしてその名を知られています。

同地にて柑橘類の生産、搾汁、加工、販売までを手がける株式会社伊藤農園。

その販売支援課に勤務する江川侑弥さんは、現在地元道場の少年指導に携わる剣道家です。

その胸にあるのは誰にも負けない地元愛。

愛する有田地方のために、仕事も剣道も全力投球の日々を送ります。

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プロフィール

江川侑弥(えかわ・ゆうや)

1988年和歌山県生まれ。海南高校(和歌山)、京都精華大学出身。大学卒業後に郷里和歌山県に戻り、株式会社伊藤農園に就職。仕事の傍ら、自身の出身道場でもある箕島少年剣道教室に通い、指導者を務める。同道場は近隣の地域の道場と合併、2023年4月より七彩剣の会として新たなスタートを切っている。剣道三段

株式会社伊藤農園

https://www.ito-noen.com

後継者不足に悩む第一次産業。
しかし伊藤農園には──

──和歌山県有田市に本社を置く株式会社伊藤農園さん。その主な事業内容というのは?

 基本的には有田みかんをはじめとする柑橘類を専門としていて、生産から加工・販売までを手がけています。農園自体はもともとみかんの卸問屋として100年以上の歴史があるのですが、40年ほど前から現在の社長がみかんを加工して販売できないものかと考えるようになって。柑橘類を搾汁する独自の機械をつくって販売を開始して、2009年から法人化したという経緯をたどります。

──現在は本社オフィス横に素敵な直売所「みかんの木」もオープンしています。

 みかん農家の古民家を改築しました。おかげさまで来ていただいたお客様からは「オシャレだね」と言っていただけることも多いです。2016年にオープンしたのですが当初こそそれほど客足自体は多くはなかったものが、最近では遠方から車で来てくださるお客様もかなり増えましたね。

──すでに日本全国の多くのお客様に愛されている伊藤農園さんとその商品ですが、どのようにしてアピールをしてきたんでしょうか。

 いままで多くのメディアの取材を積極的に受けたのもあるでしょうし、イベントの開催なども反響が大きかったかもしれません。年に2回、春と秋の時期に一週間限定でカフェをオープンしているんです。そこではパフェや和スイーツからカレーまでみかんづくしのメニューを提供していることもあって、かなりのお客様にご好評をいただいています。

──時代に合わせた新しい試みというのは大事なことですね。

 そうですね。やはり第一次産業はどうしても担い手が少なくて、この地域には農園もたくさんあるのですが跡継ぎ問題などから廃園する農家さんも多いんです。そういう農家さんたちに対して、ウチでは農園を買い上げたり、お手伝いをさせていただいているのが現状です。だからこそ、つねに新しい試みは欠かせないと考えています。

──第一次産業の後継者不足は大きな社会課題ですよね。

 でも、実際のところウチの会社については実は若いスタッフが多いんです。ウチの会社の新卒採用がはじまったのが12年前なのですがその採用一期生が僕。僕がいま35歳ですから、現在の社員のほとんどが僕よりも年齢が若く、20代から30代前半のスタッフが中心です。みんな農業の置かれている現状をちゃんと理解した上で、大学を卒業したばかりの若い人たちが「農業がやりたい」と志してくれる。僕たちにとっては本当にありがたい話です。

 会社には生産部という部署があって、広大な畑で農作業をするわけですが、そこで働いているメンバーは、年齢が若いのはもちろん地元出身以外のスタッフも多いんです。大学の農学部で学んだ人もいれば別分野のシステム工学を学んでいたという人もいる。生産部の仕事は畑仕事ですから本当に泥臭い部分もあります。しかし、それでも、たとえば今期の新入社員の女性でも「生産部で働きたい!」って志望してくれる人がいるんですよね。若い人たちが、働く場所を問わずに志してくれることには感謝しかないですね。

──江川さんご自身のお仕事となると?

 僕自身は営業部の販売支援課という課の課長をやっています。課自体の業務は受注やお金の管理など外には出ない窓口のような役割を担っています。でもそれだけだとちょっとおもしろくない。そこで僕自身は、たとえば通常の仕事の流れとしては営業部が販売に出て、注文に対して製造をして、それを物流のスタッフが出荷する、という一連のものがありますが、そこにはやはりムダな部分もあるので各スタッフの負担を減らせるような改善活動をやってみたり。最近では物価高がありますから仕入れに関しての交渉をやってみたりと、会社が今後成長するために強化すべき部分を見直したりしています。 

 ウチの会社は若い子たちが多い分、従業員同士も仲がいいんです。そんな若い子たちが生き生きと働ける環境をつくってあげたい。たとえば営業とか販売であれば数字で見えやすい部分がありますが、職場・職業にはどうしても数字だけではなかなか判断できない部分もある。そこについては年長者である僕が改善してあげなければ、と。だから若い子たちに「助かりました。仕事が楽になりました」って言われることがいまの僕の仕事のやりがいのひとつですね。

──江川さんのケアもすばらしいですが、なぜ多くの若者が伊藤農園で働きたがるのでしょう。

 そこはまず和歌山県自体が持つ魅力が大きいでしょうね。和歌山はみかんや桃、柿などフルーツ類が豊富な土地です。そこにビジネスチャンスを感じる人も多いでしょうし、僕自身がそうであるように和歌山に貢献したいという思いがある人も多いんだと思います。

 正直なところ、生のみかんの美味しさについてはウチはもちろんのこと、有田市の地元の農家さんであればどこのみかんでも美味しいです。僕自身も地元の人間としてそこは誇りを持っている部分ですし、地元が褒められることが何よりもうれしい。  その上で伊藤農園の魅力を語るならば、社長がこだわりにこだわり抜いたみかんジュースが最高です。製法も独特でみかんを真っ二つに割って絞るだけ。僕も最初にこのジュースを飲んだときには「コレは美味しい!」と感動しました。僕が感動したそのジュースをお客様も「美味しい! 伊藤農園のジュースはやっぱりほかと違う」と褒めてくださる。それがいま仕事をしている上での一番のやりがいですね。そんなお客様の声はお電話でもいただきますし、いまはネットのレビューなどでも見ることができる。あるレビューで「おかげでよそのジュースが飲めなくなりました」という声を見つけたときには最高にうれしかったです。

直売所「みかんの木」は古民家を改築した趣のある佇まい。
休日には多くのお客様の来店があるとか
店内には自慢のジュースはもちろん、ゼリーやジャムなど魅力的な加工品が並ぶ

つないでもらった
剣道人生

──地元出身という江川さん。剣道はいつから、どのようなきっかけで?

 僕自身は有田市の出身で、剣道は幼稚園の年長からはじめました。とはいえ、物心ついたときには竹刀を握っていたので自分ではあまり記憶は定かではありません。

 そもそものきっかけはいとこでした。僕は三人兄弟の真ん中なのですが、兄といっしょにいとこが剣道をやっている姿を見学に行ったんです。僕自身はお兄ちゃん子だったこともあって、兄が「剣道やる」と言ったので「それなら僕も」って。そんな感じで箕島少年剣道教室という道場で剣道をはじめることになりました。

 でも、いざはじめてみるとひたすら後悔(苦笑)。練習もしんどいし、イヤでイヤで仕方がありませんでした。

 小学生時代は試合でちょっと勝てるようになった時期があって「楽しい」と感じる瞬間もありました。でもそれも病気をしてしまって一時中断を余儀なくされ、回復して復帰してみると実力はまた元どおりに戻ってしまっていた。子どもの頃は剣道に楽しさを感じることは少なかったですね。

 中学校でも剣道部に入部して、県大会で団体3位の結果を残しているのですが、それはもう周りの活躍があったからこそ。先輩、同期、後輩とみんなが強かったものですから、僕は周りの選手に助けられてばかりでした。そんな調子ですから高校ではもう剣道からは離れようと剣道部のない海南高校に進学しました。

──それでは高校時代は剣道はやらずに?

 実はそれがそううまくはいかず(苦笑)。剣道はやらないつもりで選んだ学校だったのに、入学式の当日にいきなり放送で職員室に呼び出されたんです。

 そこで聞かされた話が「剣道愛好会ができる」というもの。一学年上に熱心な剣道一家の女子の先輩がいて、その先輩の働きかけで愛好会が発足することになったという話でした。僕はその顧問の先生に放送で呼び出されたわけですが、その先生が言うには、海南高に愛好会ができると聞きつけた僕の中学時代の剣道部の先生が「江川という生徒がそちらに入学するのでぜひよろしくお願いします」と何度も電話を寄越した、と。そういう経緯で、なかば強制的に剣道愛好会に入会することになりました。

 でも、結果的に高校時代は楽しかったですね。愛好会には先輩が4、5人いて同期は2人。愛好会ということで学校の施設は使えないので近くの体育館を借りて活動していました。稽古は週に3回ほどで、練習内容も雰囲気も決して厳しくはなくて、剣道をやっていてはじめて「楽しいな」と思えたのが高校時代でしたね。

 顧問の先生も、いま思えばいろいろと裏で手を回してくださったんだと思います。学校では愛好会扱いでも公式試合には参加できた。僕が高校ではじめて試合に出場したときの対戦相手が当時和歌山東高校3年生で、いまは警視庁にいらっしゃる畠中宏輔さん。そのあまりの強さに「コレはレベルが違う!」と衝撃を受けたのも高校時代のいい思い出です。

──厳しい稽古をして試合でバリバリと活躍するばかりが正しい道ではありません。高校で剣道の楽しさを知った江川さんは、その後の大学時代も剣道を続けることになるんですね?

 大学は京都精華大学というところに進学しました。今度こそ「剣道はもういい。軽音楽部にでも入ろう」と考えていたんです(笑)。

 でもあるとき剣道部の道場を覗いてみたら、そこにいたのが二刀流をやっている先輩。二刀流なんてはじめて目にしたものですから「ああやって構えるんや! 小太刀ちっさいな!」と驚いて「稽古してみたいなあ」って。そこで自分の人生で初めて自主的に剣道を選んだんです。

 学生時代はもう勉強もそっちのけで、部活動が楽しかったですね。剣道の基礎基本から学び直すことも楽しかったですし、部活動として新入部員の勧誘に毎年力を入れていたのも楽しい思い出のひとつです。

 話を聞いてもらっても分かるとおり、僕の剣道人生はつねにどこかでコケそうになる(笑)。でもそのたびに助けてくれるのが周りの方々で「お前ここでどうにか立っておけ」と支えてくれるんです。剣道を通じて知り合った皆さんの助けがなければいまの僕の人生はありません。

職場では販売支援課に勤務している江川さん。
通常業務に加え、職場の労働環境の改善などにも積極的に取り組んでいる
和歌山県や有田市からの表彰、100%ピュアジュースのモンドセレクション最高金賞受賞など、その事業に対する評価は高い
少年時代からはじめた剣道は人との縁によって現在も継続。
地域の少年指導に尽力する日々を送る

仕事も剣道も
有田地域の発展のために

──現在勤める伊藤農園に就職したいきさつは?

 ちょうど僕が学生だった頃は就職氷河期と呼ばれていた時期で、もともとマスコミやメディア関係の仕事に憧れて主にそちらの業種を受けていました。当時住んでいた京都を中心に就職活動をしていましたが、結局は60社ほど受けても合格することはできませんでした。一旦冷静になって改めて就職先をどうしようかと考えたとき、ふと脳裏に蘇ったのはマスコミ関係の就職面接でもっとも多く質問された「あなたはなにを伝えたいですか?」という言葉でした。就職活動のまっただ中ではその問いに対する回答はとくに浮かばなかったのですが、落ち着いて考えてみたときに頭に浮かんだのは「僕は地元のことを伝えたい」ということでした。そこで一気に路線変更して和歌山へと戻ることを決めたんです。

 和歌山のみかんの歴史は古くて、生産は江戸時代からすでにはじまっていたと聞きます。実際に県をあげて産業としても押し出していますし、実は僕の実家も祖父母がみかん農園をやっていて、父は農協の職員。もともと農業は身近な存在だったんです。

 そこで地元の農業を探してみると、独自の角度から自由度の高いアピールをしていたのが伊藤農園。「ここならばおもしろいことができるかもしれない」と思ったことが就職のきっかけです。

 

──剣道もまた、大学から継続することになるんですね。

 自分の育った箕島少年剣道教室に最初は自分のペースでちょこちょこと通う日々を送っていましたが、5年ほど経ったときに転機が訪れました。道場の先生に声をかけられて、子どもたちが愛知県に遠征するのでその引率を頼めないか、と。

 その当時の子どもたちがちょうど強くて、遠征で彼らの剣道を目の当たりにしたことで大いに興味をそそられました。また、当時の保護者の方々からも「ぜひこれからも子どもたちを見てほしい」と頼まれたこともあって、そこから指導者として道場に携わるようになりました。

 箕島少年剣道教室での稽古は週に2回ですが、いざやってみれば仕事との両立はなかなかにしんどい(苦笑)。でも、それでも少年指導はおもしろいんです。僕はもう子どもたちはみんな天才だと思っています。いまの子どもたちも、たとえばこちらが試合展開についてちょっと質問してみれば「それはこういう場面で、こういう気持ちだったから」と冷静に分析していたりするので僕は驚かされることばかりです。

 実際に少年剣道をはじめてみると、やはり保護者の方々の存在も非常に大きくて。運営面でお世話になることはもちろん多いですし、ときには僕自身が個人的なことで落ち込んでいるようなときには励ましてもいただいて。少年を指導しているようで僕自身も成長させていただけているような感覚です。

──少年指導もまた新たな展開があるとか。

 今年(2023年)4月から三つの道場が合併して「七彩剣の会」として新たな活動をスタートします。もともと近隣の道場さんとは友好的な交流を続けてきたのですが、やはりどこも人口の減少は大きな課題となっています。そこで宮原少年剣友会の太田浩規先生からお声がけをいただいたのがきっかけです。

 太田先生がおっしゃるのは「どう考えても人口は減っていくし、いずれ気合と根性で乗り越えられる限界を迎える」と。未来のことを考えればまったくそのとおり、なんら反論することもないのですが、最初に声をかけていただいた3年前の時点では僕の心には抵抗感があったのも本音なんです。

──意外ですね。もともと他道場とは友好関係にあって、しかもまだ若い江川さんはフラットな視点をお持ちの方だという印象があるので。

 道場間の付き合いの難しさはよく耳にしますが、僕自身もその時点まではやはり古い道場の価値観のなかで生きていたということなんでしょうね。太田先生のお話を聞いたときにはまず「いい話だけど、実現はムリやろな」という印象を受けました。どこの道場もそれぞれ50年以上の歴史があり、それぞれで独自に受け継いだ伝統もある。それを考えてしまうと太田先生のご提案には二の足を踏むところがかなりありました。

──それがどのようにして変化したんでしょう?

 恥ずかしながら合併のお話をいただいてから、少年剣道のこと、地元で活動することを真剣に考え直すようになりました。地元のためには厳しい状況でも変わらず守っていくことが大事なのか、それとも変化を恐れずに時代に対応していくことが大切なのか。  

 僕自身は指導者となって多くの先生方と交流していくなかで自分の視野が広がった感覚があります。「守ること」も大事な側面はありますが、新しい展開にも恐れずに挑戦してつねに僕たちも学んでいかなければならないなと。そういう考えに至ったので、合併のお話に賛同させていただくことにしたんです。

 いざスタートしてみると、これからどんな発展をしていくのか僕自身も本当に楽しみです。道場ごとに稽古内容は違うので、稽古日ごとの練習内容も差ができないように調整しなければいけないのが難しいところです。

──お仕事も剣道も「地元のために」という思いが強いんですね。

 とにかくこの和歌山県有田地域が盛り上がってくれたらいいと考えています。仕事はもちろんとても大事なものですが、僕自身の考えとしては自分の生きざま、「どう生きるか」という部分が生きていく上で一番大事なことだと思っているんです。それが仕事であれ剣道であれ、自分の人生を振り返る瞬間が訪れたときに「僕は自分の人生を地元のために使ったんだ」と人に言えるようになりたいんです。

多くの若者たちが働く伊藤農園。若いスタッフが集う環境は後継者問題か課題と言われる第一次産業にあっては大きな希望の光とも言える
出身の箕島少年剣道教室で少年指導にあたってきた江川さんだが、2023年4月から近隣道場と合併、七彩剣の会として再始動をはかる。今後の活躍にも期待だ
個人会員
特典
伊藤農園の店舗「みかんの木」で3,000円ご購入いただいた会員様にプレゼント贈呈!
住所〒649-0435
和歌山県有田市宮原町滝川原498-2
電話0737-88-7053

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