お客さまのご要望に100%お応えするために(本間秀之 / 株式会社アクアコーポレーション 代表取締役)

大学卒業後、大手総合商社に勤務し、仕事に剣道にと情熱を持って向き合っていた本間秀之さん。

いまからおよそ10年前、中国駐在期間に頭を悩ませたのが任地のクリーニング事情でした。

実は生家がクリーニング店を営む本間さん。

日本が誇る高いクリーニング技術を知るだけに、ここで海外におけるビジネスチャンスの可能性を感じ取ります。

すぐさま勤務会社を退職、クリーニング事業へのチャレンジをはじめた本間さんは現在、日本では4店舗を経営し、さらなる事業展開もその視線の先に見据えています。

紆余曲折あった、仕事の、そしてご自身の剣道の歴史をうかがいました。

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プロフィール

本間秀之(ほんま・ひでゆき)

1968年東京都生まれ。早稲田大学本庄高等学院(埼玉)、早稲田大学理工学部出身。大学卒業後、大手総合商社である丸紅株式会社に入社。同社に20年間勤務するも中国駐在中時の体験がきっかけとなり退職。ブランドクリーニング専門店・株式会社アクアコーポレーションを立ち上げ、現在に至る。小学1年生からはじめた剣道は社会人となっても継続。商社勤務時代には実業団大会にも参戦経験がある。現在剣道四段

株式会社アクアコーポレーション (AQUA Corporation Limited)

商標 「クリーニングア&ブランドケア AQUA(アクア)」

新宿本店

電話:03-3368-4848

HP:https://aqua2012.com

E-mail:aqua@kpb.biglobe.ne.jp

商社を退職後、独立して一店舗目にオープンしたのが新大久保駅近くにある新宿本店。現在は鍋屋横丁店、新高円寺店、修理専門の「be FRESH」と4店舗を経営する

商社マンから転身
求めたのは「特長と付加価値の高さ」

──ご自身が代表取締役を務める株式会社アクアコーポレーションが運営する「クリーニング&ブランドケア AQUA(アクア)」。その主な事業内容などをぜひ教えていただければ。

 私は大学を卒業後はずっと大手総合社の丸紅株式会社に勤務していたのですが、東京で15年ほど勤めたあとに中国の広東省の広州市というところに駐在することになったんです。その当時の中国のクリーニング事情はというと、技術のレベルが低くてちょっといいスーツなどを預けるのがためらわれる状況でした。

 周りの同じ駐在員、日本人や欧米の方々にも話を聞いてみると、やはりみんな「いや、そのとおりだよ」と言う。安価なワイシャツや綿パンツなどであれば諦め半分でクリーニングに出すけれど、ちょっと高いスーツなどは一時帰国するときにまとめて母国に持ち帰ったり、どうしてもというときには高級ホテルに持っていってわりと高額な価格を払ってクリーニングをお願いしている、と。

 私がなぜ中国でそんなことが気になったのかというと、実家がクリーニング業を営んでいたからなんです。実家はいまも事業を継続していて会社自体は兄が継いでいるのですが、私も学生時代には国家資格であるクリーニング師を取得して、当時父が営んでいた工場でアルバイトをした経験もあるんです。

 日本のクリーニングの知識、その技術の高さをある程度理解していましたから、中国の事情を知ったとき、「もしかしたら中国でクリーニング事業を展開できるかもしれない」と考えたんです。日本のクリーニング技術があれば、まずは現地の駐在員を取り込むことはできるし、中国の富裕層も狙える。それが頭に浮かぶと、すぐに日本に帰国、そのまま会社を辞めたんです。

──思い切った決断ですね。日本に帰ってからはご実家の会社に?

 最初の1年間は父の営むクリーニング店で修行をしましたが、会社自体は兄が継いでいましたので、私自身がやりたいことに対し、あくまで修行というかたちでお世話になりました。実家では知識や経験を蓄えつつ、今後の展開を考えている中国へも視察に出向いたりしたのですが、現地でいろいろと見聞きするうちにもともとある程度懸念していた課題が次々と浮き彫りになってきました。

──どのようなことでしょうか?

 主に費用の問題ですね。店舗の家賃であったり設備投資の問題などもそう。中国での事業展開のリスクの高さがどんどん明らかになるに連れ、まずは日本で自分でやりたいしっかりとした事業基盤をつくることが先決だと判断して、そこで自分の会社である株式会社アクアコーポレーションを2012年に立ち上げました。

 まさにゼロからのスタートを切ることになったわけですが、そこで考えたのはやはり単なるクリーニング店であってはいけないということ。特長のある、そして付加価値の高い事業にしなければならないと考え、そこで出てきたのが店名にも謳っている「ブランドケア」というワードです。

 私が事業をはじめた10年前はハイブランドの商品、バッグや靴などのケア事業はまだあまり見られなかった。しかし、私自身はその分野の需要は非常に高いと感じたので、一般のクリーニング事業と合わせて「クリーニング&ブランドケア AQUA」をオープンしたんです。

 いまは新宿本店と呼んでいるこの新大久保駅前の店がオープン一店舗目なのですが、実はこの場所を選んだのにも大きな理由があるんです。

 ハイブランドの商品に馴染みのある職業といえば、やはりホステスさんやホストさんなどの水商売の方々。水商売にお勤めの方々はどうしても、いいモノを着て、いいモノを持って、というのが仕事上のステータス。日本でも最大の歓楽街といえば新宿の歌舞伎町ですが、この新大久保という街はそこで働く人たちのベッドタウンとしての横顔を持つんです。まずは水商売系の方々からの需要を見込んでこの新大久保に一号店をオープンしたところ、おかげさまで狙いは的中。多くのお客さまからのご依頼をいただくようになりました。

 その後はいろいろなご縁を頼りつつ、2店舗目を東京中野区の鍋屋横丁にオープンして、3店舗目を新高円寺駅直結のクイーンズ伊勢丹のなかにオープンしました。

──ハイブランド商品のケアという戦略は、お店の特長と付加価値としてしっかり支持を得ているんですね。

 対応させていただく商品はなにもハイブランド商品に限定しているわけではないんです。商品に寄せる思いの強さは人それぞれで違います。たとえばご家族の形見の品であればそれが高額なものでなくとも思い入れは強いはず。その人にとって何物にも代えがたい大事な一品なのであれば、それはもうこちらも大切にケアさせていただいています。

 AQUAではオーダーメイドクリーニングをメインにしているので、受付と工場が併設しています。ですから、自分たちで商品をお預かりして、自分たちで洗って仕上げてシミ抜きをして、そしてお客さまにお渡しする。働いているスタッフ全員が、すべての工程をひと通りできるだけのスキルを身に着けているのですが、そこまでして初めて、お客さまから「ここまでキレイにしてくれてありがとう」と評価の言葉をいただけるんです。

 たとえばお預かりした商品を集中工場などに持っていけば、すばやく大量にクリーニングすることもできるでしょうが、それではどうしてもお客さま個々の声を聞くことができない。どのような商品をお預かりするのであれ、お客さまの要望に100%お応えすることがAQUAの特長と付加価値になればと考えています。

──コロナ禍においては多くの業種の方が苦しみましたがクリーニング業界はいかがでしたか?

 やはり苦しかったですね。サラリーマンの方々の出勤も制限されたこともあってとくに一般クリーニングなどは苦戦しました。しかし、その時期に増えたのはやはりブランドケアのジャンルでした。コロナの自粛期間を利用して断捨離を試みる方が増えたようで、その過程で押入れのなかから昔購入したハイブランドのバッグがカビだらけで見つかったとか、お母さまの形見のボストンバッグが出てきた、そういった商品が持ち込まれる例が増えました。

 AQUAではクリーニング、カラーリング、リペア(もとのきれいな状態に戻すこと)だけでなく、リメイク(もとの製品から新しい製品を生み出すこと)も承っています。たとえばお母さまの形見のボストンバックの例ですが、この商品は普段の生活で使えるようにハンドバックにリメイクしたいというご依頼でした。

 街にもリアット、靴専科等バッグ、靴クリーニング&修理のお店はたくさんありますが、その多くは靴修理屋さんがベースであることが多いんです。となれば、やはり素材自体のクリーニングやシミ抜きなどにはあまり専門性がない。

 とくにバッグはカラーリングをすると商品価値が下がってしまうので、クリーニングや染抜きだけでどこまできれいにできるかが腕の見せ所。布製のバッグの美しい仕上がりについては、手前味噌ながら他のお店ではなかなか実現できないクオリティと感じています。

クリスチャンディオールのボストンバッグ(写真左)をハンドバッグ(キーホルダーはサービス)にリメイク

一般のクリーニング取り扱いだけではなく、ブランドケアに可能性を見出した本間さん。その狙いはズバリ的中。AQUAならではの特長&付加価値として広く認知されるようになった

新宿本店2階スペースの工房で作業に取り組むスタッフたち。女性が多く、修理やクリーニングを専門的に学んできた彼女たちの手さばきはまさに「職人」だ

店舗にディスプレイされたリメイクの一例。ハイブランド商品に限らず、思い入れのある商品をいろいろなかたちに加工、長く愛用できるように
依頼により預かった商品が美しく仕上がれば本間さんもこの笑顔。「お客さまのために」の精神は本間さんがAQUAを経営するにあたってもっとも大切にするところ

剣道に賭けた学生時代
宮崎・高千穂への旅はいまも良き思い出として

──本間さんご自身のこと、そして剣道の経歴などもぜひうかがえれば。もともとのご出身は?

 東京の中野区の出身で、剣道は小学1年生からはじめました。まずは兄が先に剣道をやっていて、私もそれに続くかたちではじめることになりました。

 もともと兄がはじめたのは父親の影響で、父自身は剣道の経験はないながらも書道の先生で、厳格な人柄もあって武道を好んでいたんです。父は所属の剣道クラブ「南中野剣道クラブ」の会長なども務めて、ずいぶんと熱心に剣道に携わっていましたね。

 中学校は地元の学校に進学して、その後、高校は埼玉県の早稲田大学本庄高等学院に進学しました。

──高校はご自宅からはずいぶんと遠いですよね?

 そうですね。私の兄は剣道強豪校の早稲田実業学校に進学していて、私も家族からは兄と同じ進路を勧められていたのですが、やはり当時は思春期ということもあって親元を離れて生活してみたいという願望があったんです。そこでまだ開校して間もない早大本庄を自分で探して受験しました。

 高校当時は下宿生活。剣道部にも入部をしましたが、学校自体の歴史がまだ浅くて、私が2期生。先輩も一学年上の人たちしかいないので、剣道部には入りながらも「遊びながら」といった程度の活動でしたね。

 高校時代の思い出は、私が高校1年生の時、兄(高校3年)と一緒に組んだ団体チームで中野区の大会で優勝したことです。兄が強かったですね。さすが早実剣道部で揉まれた経験が出ていました。中野区という狭い範囲でしたけど大変嬉しかったですね。

──しかし、大学は強豪の早稲田大学に進学して剣道部にも入部するんですね。

 高校時代の後悔、ではないですが、大学ではまたちゃんと剣道をやりたいなと思いました。当時の早稲田剣道部はまた強豪選手揃い。同期生には高校時代にインターハイ個人優勝を果たしている竹中栄一君がいて、一学年下にも同じくインターハイ個人覇者の市川竜太郎君がいました。

 私は大学では理工学部で学んでいたこともあって、部活動への参加は週に3、4回ほどでしたが、それでもレベルの高い周囲の部員たちとの差をどれだけ縮められるのかをテーマにして、なんとか食らいついた学生時代でしたね。

 結局、大学では選手として活躍することはできませんでしたが、いまでもいい思い出となっているのが卒業旅行の九州への旅です。

 理工学部で過ごした日々ではどうしても研究に没頭せざるを得なかったのですが、学生生活最後の1年間だけはなんとか剣道をがんばってみたいという思いが私にはあったんです。ですから4年生の1年間のみはとにかく剣道に集中をして過ごしました。剣道部員として4年間の活動をまっとうしたあとに再び研究室へと戻ったので、大学の卒業自体は同期の仲間たちからは一年遅れになりましたが、その卒業旅行としてレベルの高い九州を巡って警察などに出稽古をお願いする旅を企画したんです。

 その旅程のなかでうかがったのが宮崎県の高千穂高校でした。何度も全国制覇をしている超強豪高校の高千穂は私の早大同期の竹中君の母校でもあります。ですから卒業生である彼に頼み込んで合宿に参加させていただくことにしたんです。

 竹中君自身はすでに社会人でしたから合宿に同行してもらうことはできませんでしたが、現地では彼のお父さんに移動を手助けしていただいて、本当にありがたかったです。

 高千穂で指導にあたられていた吉本政美先生も当時はまだご存命で、合宿中の生活は先生のご自宅にお世話になりました。学校では現役高校生たちと同じ練習に取り組ませてもらって「日本一になるためにはこれほどまでに稽古をしなければいけないのか!」というほどの衝撃を受けましたね。

──いまうかがうと大変貴重な話であり、当時からすれば相当勇気のいる行動ですね。大学卒業後に就職された丸紅は有名な企業であり、剣道部も熱心に活動しているイメージがあります。

 もともとは研究職を志して大学に入学しましたが、時が経つにつれて、白衣を着て研究の日々を送る生活はあまり自分には向いていないと感じるようになりました。

 そこで大学剣道部の縁を頼って就職先を探したときに候補に挙がったのが商社の丸紅でした。

 会社員時代は仕事も剣道も楽しくやらせてもらいましたね。丸紅剣道部は三井住友海上さんの道場・百練館の法人会員だったこともあって、そちらでもよくお世話になりました。

 実業団剣道界の錚々たるトップ選手が揃う稽古ですから刺激的でしたし、幸せを感じました。

 私はその後、中国に駐在しますが向こうでも剣道は続けていたんです。剣道からは離れたのは日本に戻ってきて自分で会社をはじめてからで、少し仕事が落ち着いてきたら再開したいとは思いつつ、なかなか休みもままならないまま時間だけが過ぎてしまいました。

高校時代のよき思い出となるのが兄弟で出場した中野区の大会での優勝。当時の大会ではお兄さん(写真右)の活躍が大きかったという
早稲田大学時代には剣道専門誌「剣道日本」の取材を受け、当時の剣道部の雰囲気が誌面で紹介された。指導陣の前に整列している学生たち。写真手前から2人目が学生当時の本間さん
同じく「剣道日本」の誌面より、稽古後の集合写真。写真手前、床に寝そべっている学生のすぐ後方、Tシャツ姿で首にタオルをかけているのが若き日の本間さんだ
大学卒業後、商社勤務時代も継続。多忙な業務の傍ら、熱心に稽古を続けてきた

広がりを見せる事業展開、店舗経営
剣道は「今年中にはまた竹刀を握りたい」

──それでは最後に、お仕事とそして剣道と、これからの目標や夢などあれば教えてください。

 仕事については5店舗目のオープンも視野に入っていますし、いま新たに展開している事業としては衣類の修理、オーダー服作成、リメイクを専門とする「be FRESH(ビーフレッシュ)」があります。

 東京都中野区のこのお店はもともと1957年に創業した「松本洋服店」のお直し部門としてスタートした老舗なんです。もともと仕事でのお付き合いがあり、その技術力の高さにはとにかく驚かされるばかりでしたが、近年はご店主の体調の問題もあってお店を閉めようかと悩まれていた。熟練の職人の方々が多いですから、その技術と我々の技術とを融合することができたら特殊なチームが出来上がるぞと考え、AQUAの修理部門・店舗としていっしょにやらせてもらうことにしました。今後は衣類の分野でも「いいものを長く」というお客さまからのご要望に応えられるようにしていきたいです。

 剣道についてはできるだけ早く復帰したいですね。私は段位はまだ四段ですが、なんとか六段くらいまでは昇段したいという希望があります。

 剣道は一生続けられるすばらしいもの。自分の体調を健やかに保つためにも、なんとか今年中には竹刀を握らたらいいなと考えています。実は防具に関しては、復帰を見越して結構以前に購入してあるんですが、それをなかなか卸すことができていなくて(笑)。

──独立して剣道からは離れていたとはいえ、熱意がスゴいですね。

 小学校のときからはじめて、社会人までそれなりに長く経験してきたことで、やはり剣道は自分の生活の一部となっていると感じます。付き合いのある剣道仲間も多いですし、剣道をやっている人と話をしてみると、皆さん「厳しさ」をしっかりと知りつつも、「遊び」や「楽しみ」についても理解が深い人が多いですよね。  私自身、そういうメリハリのある相手と接するのは楽しいですし、自分自身もそうありたいと感じています。

AQUAのクリーニング、カラーリング、リペアのブランドケア事例の一覧

アクアコーポレーションが運営する衣類の修理専門店「be FRESH」では写真のような依頼を受付中。修理品はAQUA各店舗でも受け付けている
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電話03-3383-4686
住所〒166-0011
東京都杉並区梅里1-7-7 新高円寺ツインビルB1 クイーンズ伊先端新高円寺店内
株式会社アクアコーポレーション新高円寺店
電話03-5378-6689
住所〒164-0001
東京都中野区中野6-15-12 1F
株式会社アクアコーポレーションbeFRESH店(修理専門)
電話03-5386-8450

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