名門・京都大学、大学院で学んだ中塚佳寿紀さんは、
2022年に自身の会社を設立。
「建築家コミュニティ」というその社名が示すとおり、
主に建築設計士をお客様として
CADソフト「Rhinoceros(ライノセラス)」を販売しています。
同時に、「真剣」の屋号で個人事業主としても活動もスタート。
こちらでは特定の事業にこだわらず、
自由な仕事を展開させているそうです。
大手企業での勤務を経て独立した中塚さんにその半生をうかがえば、
「人口減少の時代を元気に生きぬくこと」という、
独立を経てたどりついた人生観が語られました。
プロフィール
中塚佳寿紀(なかつか・かずき)
1986年1月28日、香川県生まれ。香川県立観音寺第一高校から京都大学に進学。修士号まで取得したのち、住友林業株式会社に入社する。住友林業時代にはインドネシアでの駐在も経験し、9年弱ほどの期間勤務。その後転職し、IT企業での勤務を経て2022年12月に株式会社「建築家コミュニティ」を立ち上げ、2023年4月に独立。個人事業主としての屋号は「真剣」。剣道は中学校の部活動からはじめ、現在段位は六段。千葉県・浦安本部道場に所属し、二人のお子さんとともに稽古に励んでいる。
株式会社建築家コミュニティ
https://www.kenchikuka-community.com/
ふたつの職場で「アナログ」と「デジタル」を経験
独立ではその「真ん中」に目を向けた

――― 株式会社建築家コミュニティを営む中塚佳寿紀さん。会社のお名前自体とても個性的ですが、その由来と事業内容をぜひ教えていただきたいと思います。
中塚 この会社の決めごとはひとつだけで「建築設計者さんがお客様」ということです。現状では、主にCAD(コンピュータ上で製図を行うためのツール)ソフトの販売代理店事業を行っています。
会社名のとおり建築設計者のコミュニティもつくっているのですが、そこは私が価値を提供するというより、私が親しい建築家さんに教えを乞う場になっています。将来的にはコミュニティ内でお互いを助け合ったり、学び合ったりできる場になっていけばうれしいですが、今はまだまだ私自身が力不足です。
メインとして取り扱っているのは「Rhinoceros(ライノセラス)」というソフトで、これはアメリカの「Robert McNeel & Associates(マクニール社)」という会社が開発しているものです。近年は3Dプリンターを使用して家具や建材を制作するなどの取り組みが増えてきています。壊れた家電の廃盤になった部品なども自作して修理してしまう人や、中には住宅をまるごと3Dプリンターでつくってしまう会社もありました。それらはどうやって設計しているのか、いろいろな建築設計者さんや起業家さんたちにお話を聞いてみたところ、このライノセラスの存在を知ったんです。
もともとライノセラスは船舶を設計するためのCADソフトだそうで、曲線や流線形を正確に描くことに長けています。近年は建築の世界でも直線的なデザインではなく、曲線や流線形が多用されたデザインが増えていますし、3Dプリンターをはじめとした機器類の進化もあって、業界の垣根を越えて受け入れられるようになったようです。スポーツブランドの高機能なシューズやジュエリーをはじめとしたアクセサリーの設計、ペットボトルをつくるのにも使用されるなど、その汎用性が高いことも大きな特徴のひとつと言えます。
とはいえ、当時の私自身はそもそもこのソフトの代理店をやろうなんて考えもしておらず、コミュニティ内での勉強会くらいの気持ちで購入を検討していたんです。可能な限り多くの人間が使えるように、30人ほどが使用できる商品を問い合わせたところ、これは学校法人にしか販売できないプランだと教えてもらった。さらに商品のことをことあれこれ聞いているうちに、あちら側から「代理店をやってみますか?」と提案いただいたのがきっかけとなりました。
――― 建築設計者向けにCADソフトを販売する仕事……と聞くと、少し変わった仕事のようにも思いますが、それをやってみようと踏み込んでいったのはどうしてなのでしょうか。
中塚 自分でライノセラスを操作したこともありませんでしたし、最初は自分がそれを売っていくこともイメージできませんでした。代理店登録はしたものの数カ月は放置していて、別の仕事の方向性を考えていたと思います。
ただ、ある時に子どもたちとのドッジボールで転倒して、頭を打って脳震盪になったことがありまして、記憶が一時的に曖昧になったり、それで1カ月は安静に過ごさないといけなかったり、という状況になりまして、不思議なことに、脳の状態も落ち着いたころには「このソフトの販売でいこう!」という心境になっていました(笑)
もともと、建築設計者へのイメージは、自分の父親が「建築設計者はかっこええな」と言っていたとか、ほんとに些細ですがいいイメージが積み重なっていたと思います。最初にお世話になった住友林業でも、たくさんの設計者さんがいて、部署が違って交流の機会は少なくはありましたが、会社の競争力の根幹を担っている、すごい人たちだなと思っていました。生来不器用な私には、絶対に適性がない仕事でもありますが……。
私自身は住友林業に入社して、最初は建材流通の仕事で社会人の基礎を教わって、その後にインドネシアに赴任して森林管理の仕事をしました。住友林業では、かなり「アナログ」な経験ができたと思います。日本だと「いまだにFAXを使うなんてアナログだ」という話もあると思うのですが、インドネシアの現場では、みんな文字が読めないので、紙とペンすら通用しない究極のアナログ体験をしました。
一方、住友林業から転職して、独立する直前まで勤めていたのはIT企業で、こちらの仕事はいわば「デジタル」。奇しくも「アナログ」と「デジタル」の対極とも思える仕事を両方経験することができ、自分の世界観を広げることができたと思います。
話が横道に逸れましたが、今の仕事の話に戻ると、CADソフトは「アナログ」な建築業界で使用される「デジタル」ツールです。これは自分の振れ幅の大きい職務経歴の中でも、ちょうど真ん中あたりに位置する、ちょうどいい仕事だったのかも知れません。「建築設計者ってすごい!」という単純でポジティブなイメージと、アナログとデジタルで大きな振れ幅を持った経験知が、たぶん脳震盪をきっかけにユサユサとうまく揺らされて、おさまりの良いところに落ち着いたんだと思います。

――― 現在、中塚さんはライノセラスをどのようなかたちで販売されているのですか?
中塚 当社はネットショップでの販売スタイルに特徴があります。お客さまもさまざまなカテゴリの方がいらっしゃるので、それぞれの目線で購入しやすい工夫をいろいろと考えながらやらせていただいています。
たとえば、中小企業でIT導入補助金がブームになった時には、他の代理店より先駆けて、いち早く補助金を活用した分かりやすい購入動線をつくりました。
ほかにも、建築学科の学生さん向けの取り組みもあります。学生には割引プランがあるのですが、エビデンスとして学生証をコピーしたり、学生向けの規約を読ませて申請書を作成したりと、少し手続きが煩雑だという課題がありました。そこで、まとめ役の学生さんにクラスメイトを取りまとめてもらって「10人分で発注したらさらに割引」といった売り方をしています。いつの時代もクラスの中心人物っているもので、何十人ものクラスメイトを束ねる強者もいたりして、コチラとしては「友だちが多い学生さんなのかな」とちょっと微笑ましい気分にもなりますね。
私自身はただ「売る」「買う」のみにフォーカスするのではなくて、たとえば学割のプランについても、クラスの皆さんでワイワイしながら相談してもらって、みんなが仲よくなるきっかけになったらいいな、という思いもあるんです。商品をただ購入するだけでなくて、どこか人と人とのつながりに貢献できたら私もうれしい。そんな考えをもとにしながら仕組みづくりをしているので、そこはちょっとほかの代理店さんとは違う部分かなと思います。
――― 建築家コミュニティとはまた別に、中塚さんのやられている「真剣」という事業は?
中塚 「真剣」は個人事業主としての屋号なんです。お会いする方に「建築家コミュニティ」という名刺をお渡しすると、やはり必ず「建築家さんなんですか?」と質問されてしまう(笑)。私自身は建築家ではないですし、「この名刺だと建築以外の話がしにくいな」という違和感があって、もう少し幅広く可能性を残す意味でこの「真剣」を準備しました。
名刺に「真剣」と書いてあれば文字どおり、真面目に一生懸命やる、という表明になるのはもちろんのこと、「実は剣道をやってます」という話もしやすいですし、自然体で仕事をすることができる気がしています。一方で屋号の字体は手書きにして柔らかいイメージにしているのですが、私自身どこか頭がかたくなりがちな部分があるので、その自戒の意味も込めたもの。
また、名刺にはキャッチフレーズとして「人口減少の時代を元気に生きぬく」と掲げています。最近は、これこそが一番大事なことかなと考えているところです。どういう意味かというと、人口が少なくなっていくこの社会では、あまりビジネスの拡大ばかりを重視しすぎた場合、どこか空回りしてしまうんじゃないかと思うんです。もちろん自分の仕事には誠意をもって取り組むべきで、その結果として事業が拡大すれば素晴らしいことです。ただ、社会全体が縮小しているのに、どの会社もみんなが拡大を目標にしていくなんてことは、逆に不自然ではありませんか。そんな中で大事なのは、人口が減少していくこの時代をじっくりと味わって、楽しく元気に生き抜いていく姿勢じゃないかなと、そう考えています。
私自身のことを振り返ってみると、独立してから収入は減少したかも? しれませんが、心身ともに元気ですし、毎日を生き抜いている実感があります。息子達といっしょに剣道する時間もとれて、自分にとっては本当に幸せな毎日を過ごせていると思います。
いま「真剣」で取り組んでいる事業はいくつかあるのですが、特にこの剣縁に登録することを想定して2年間準備してきたのがあって、これはいわゆる「知育ポスター」の剣道版です。小さなお子さんのいる家庭で、お風呂の壁に九九の暗記とかアルファベットの読みかたなど子ども向けの基礎知識を記したポスター教材を貼っているところって意外と多いのではないでしょうか。少年剣道をしている家庭には、その剣道版があってもいいじゃないかなと思ってこれをつくりました。
我が家の話になってしまいますが、子どもとの稽古から帰ると、いっしょにお風呂に入って汗を流します。そこでは「今日の稽古はがんばったね」とか、ときには「今日はここを注意されてたね」なんて言うこともありますが、必ずその日の稽古を振り返るんです。もしかすると、お風呂の壁に剣道版の知育ポスターがあれば、子どもの会話も弾んでいい反省にもなるかも知れないし、世の中にはまだなかったので自分でつくってみようかと。
このポスターには低学年の子が先生から必ず教わるような基礎的な内容が書いていて、購入してくれた知人からは「幼稚園の子が、握り方に気をつけるようになりましたよ」といった声も聞く事ができました。これはリップサービスかも知れませんが、こういう剣道好きな者同士の、楽しいやり取りを媒介できる商品って、なんだか味わいのある商品だと思いませんか。

中学時代からはじめた剣道を継続
いまは親子で取り組む稽古が楽しい
――― 現在は小学5年生と小学3年生のお子さんたちと剣道に取り組んでいるという中塚さん。ぜひご自身の剣道歴も振り返ってください。
中塚 私は香川県観音寺市の出身で、剣道は中学校の部活動ではじめました。もともと小学校時代は水泳をやっていたんですけど、中学校に入ると学校には水泳部がなかったんです。中学でもなにかしらのスポーツはやりたいなという気持ちがあったのですが、小学校からの経験者に負けるのは嫌だなという気持ちもありました。地元があまり剣道の盛んな地域ではなかったことから剣道部には初心者が多かった。それならば中学校からはじめてもみんなと横一線でスタートできると思ったのが入部したきっかけですね。
中学校ではいい先生に恵まれたんです。日本体育大学出身の先生で、当時その先生が教えてくださったのは「間合の攻防を楽しまないといけないよ」ということでした。私たちは初心者ですから、いま思えば「間合の攻防」なんてとても理解できるレベルではないにも関わらず、「そこが剣道の楽しいところ。間合の攻防を楽しめるような剣道をしなきゃいけない」と初心者に対しても、いつも攻防の機微のところを説いてくださった。先生とはいまも交流があるのですが、当時に先生の言っていたことの意味が分かってきたのがようやく最近。過去を振り返るたびに、当時のそのご指導には感謝の思いを抱かざるを得ません。
高校は観音寺第一高校に進みました。恩師の先生から道場を紹介していただいて、そこにも入門。高校時代は部活動とその道場との両方に通って過ごすことになります。
観音寺第一高校は進学校ですが、私が入学した当時の女子の先輩方がとても強い方々で、見事にインターハイへの出場を果たすんです。しかし、その先輩たちが卒業されたあと、自分たちの世代では部員も減ったりして、なかなかうまくはいきませんでしたね。当時、私の学年は男子部員が二人になってしまって、試合で勝つために自分たちなりに一生懸命やりはしたものの、思うような結果をあげるまでには至らずに高校生活を終えることになります。
京都大学に入学するにあたっては、とくに剣道部に入ろうという意思はなかったんです。いざ剣道部の新入生勧誘に声をかけられるとなぜか無意識に「入ります」と即答してしまい、入学式の翌日にはもう稽古していました。やっぱり、高校剣道で燃え尽きるまでやれていない、という感じがあったんだと思います。
京大剣道部では同級生の人数も多くて、みんなで競争できる環境で稽古ができたのはとてもよかったですね。結果的に目立った戦績は残せていないですけど、試合に出る7人の選手には入ることもできましたし、高校時代にはとても勝つことのできなかったレベルの相手にもたまには勝てたりして、自分なりにレベルアップできたんだと思います。
――― 大学卒業後は、大学院に進んだんですね。
中塚 学生のときに剣道に没頭してしまったために、今度は勉強のほうが消化不良になってしまった部分がありまして(笑)。もうちょっと学びたいなという気持ちがあったので大学院に進むことにしたんです。大学院時代も変わらず大学の部活動へOBとして顔を出して稽古をしていましたが、直前まで4年生でしたから部活にいるのは知っている後輩ばかり。かなり気楽な感じで稽古に顔を出し続けていましたね。
社会人になってからも剣道はずっと継続していて、住友林業に就職してからは大阪では住友系の会社による剣友会の泉剣友会でお世話になりましたし、東京に異動してからは、また住友系のご縁で三井住友海上の百錬館道場に通わせていただきました。インドネシア駐在中もジャカルタ剣友会に所属して、当時はナショナルチームのコーチを務めさせていただいた。2018年の世界選手権大会にインドネシアチームのコーチとして同行させてもらったのは、自分にとっては大きな経験になっています。


中塚 日本に帰国して、住むようになったのは千葉県の浦安市。ついつい部屋を選ぶ前に、近くにどんな道場があるかは調べていました。そして入居したマンションの最寄りの道場が浦安本部道場でした。家からのアクセスのよさもさることながら、私が浦安本部道場をいいなと感じたのは当時いた子どもたちの所作でした。ちょうど全国大会でベスト4に入賞した小学6年生たちがいたのですが、彼らはあいさつも返事もしっかりしていたし、自分自身でしっかりと考えたうえでさっと動けるようなすばらしい子たちだったんです。まさに「強豪」を体現するような、大人の私から見ても「カッコいいな」と思える子どもたちがいたことが、私たち親子が浦安本部道場への入門を決めた大きな理由となりました。
いまはふたりの子どもたちといっしょに浦安本部道場へと通う日々を送っています。私自身は子どもの元立ちを務めたりしながら、いまは仕事の自由が利くこともあって、週に5回のペースで子どもたちと剣道を楽しんでいます。
――― とても充実した日々を送っておられるのがわかります。それでは最後に、お仕事と剣道の中塚さんのこれからの目標などをうかがいたいと思います。
中塚 仕事においては、今後もライノセラスの販売を軸にはしつつ、働き方というか「こういう流れで仕事をすると効率化できる」といったワークフローも提案していけたらと考えています。まだ漠然とした希望ですが、せっかく大学でも業務でも木に関わってきたので、木材を使った「モノづくり」には関わってみたいです。
剣道に関しては、子どもたちに負けないようにしたい(笑)。子どもたちは浦安本部道場で先生方に基本を丁寧に指導いただいていて、本人達も正剣を目指して、素振りや切り返しなどでも一生懸命まっすぐに振ろうとしていて、親としてはまぶしいばかりです。私はといえば、まだまだお世辞にも剣風が良いとは言えなくて、道場の先生が子どもに教えているのを横で聞きながら、自分自身もこっそりと勉強中。将来、子どもたちから「お父さんと稽古をしてもつまらない」なんて言われないように稽古を積んで、動ける体型も維持しつつ、子どもが成人したころには変剣の隠し玉の技で「あっ」と言わせてやろうと画策しています(笑)。


































