剣道一家のもとに育ち、
かつては剣道強豪高校で鍛えた齋藤真実さん。
現在は亡き父の意思を受け継ぎ、
郷里・山形県で運送、土木をメインとする家業の専務取締役を務めながら、
グループ会社のいち事業として武道具店の経営にも携わります。
明るく前向きな齋藤さんは、とにかくチャレンジ精神が旺盛。
「思いついたらすぐ行動してしまう」との言葉どおり、
昨年からキッチンカーによる飲食物と剣道具の販売にも着手しました。
多岐にわたる事業のひとつひとつに誠実に向き合う齋藤さん。
自身のこと、家族のこと、仕事のこと、
そして剣道への思いを語っていただきました。
プロフィール
齋藤真実(さいとう・まみ)
1989年6月11日、山形県生まれ。酒田商業(現・酒田光陵)高校から東京農業大学に進学。大学卒業後、郷里・山形へと戻り就職するが、父・道丸さんの逝去により家業であった株式会社マルミチを引き継ぐことに。現在、同社の専務取締役であり、グループ会社で肥料、農業資材を販売する株式会社リープの代表取締役を務める。リープの事業のひとつである武道具店「クリーンロード」の経営にも携わり、昨年9月よりキッチンカーによる軽食販売、剣道具販売にも着手。剣道をはじめとする各種スポーツ大会、お祭りなどへのイベント出店をはじめた。竹刀は3歳ごろから握りはじめ、自身の主な戦績には、山形県高校総体2位、東北高校大会3位、東北実業団女子大会団体優勝2回などがある。現在段位は五段。
株式会社マルミチ
https://www.big-advance.site/c/166/1637/profile
インスタグラム
「武道具店クリーンロード」
https://www.instagram.com/cleanroad_3556/
インスタグラム
「クリーンロード・キッチンカー専用アカウント」
https://www.instagram.com/cleanroad_kitchen/
長女として、亡き父が残した会社を継承
「社長は私に任せて!」

――― 山形県東田川郡庄内町に本社を、同県鶴岡市に支店を構える株式会社マルミチ。同社の専務取締役を務める齋藤真実さんにお話をうかがいたいと思います。
齋藤 マルミチはもともと私の父が祖父から受け継いで営んでいた会社で、運送、土木などをメインの事業としているんです。私自身は東京の大学を卒業して故郷へと戻り、地元で損害保険会社に勤めたり資格を活かしてネイリストの仕事をしていたりしたのですが、父が病気になってしまったことで「会社を家族でなんとかしなければ」と。そんな父が10年ほど前に他界したことで、家業を引き継ぐことになりました。現在、マルミチの代表取締役は主人にお願いして、私自身はマルミチでは専務取締役に就任。グループ会社であるリープの代表取締役を務めさせていただいています。リープは主に建設資材の卸売事、建築資材の販売卸業を行なっていて、新たに水稲用の軽量培土や肥料入り育苗用培土などの農業資材販売も手がけるようになりました。
――― ご家族の事情とはいえ、大手の運送、土木、建築の企業を受け継ぐことはプレッシャーも大きかったんじゃないでしょうか?
齋藤 私は三姉妹の長女なんです。ですから「ウチに男の子がいれば私は自由の身になるのになあ」とは思いつつも、小さいころから「私はきっとこの家にずっといることになるんだ」って覚悟はしながら育ってきたんですよね。だから父が亡くなったときにもとくに大きな動揺はなくて、むしろ当時はまだ若かったこともあって「じゃあ私が社長をするよ、私に任せて!」っていう感じでした(笑)。とはいえ、運送業、土木業というとまだまだ「男性社会」というイメージが強いこともあって、いざそこに入っていくのはやはり勇気が必要でしたね。でも、従業員はみんな歳上の人ばかりで、私が生まれたころから……いえ、生まれる前から働いてくれている方も多いんです。だから雰囲気としてはもう「ファミリー」のような感じで、従業員の皆さんに面倒を見てもらい、支えてもらいながら、なんとかやっていけているような感じです。


――― リープでの事業のひとつには、武道具店の経営もあるとか。
齋藤 はい、鶴岡市で「クリーンロード」という名前の武道具店を営んでいます。我が家は父、母、三姉妹も含めた剣道一家で、クリーンロードはもともと父の「地域の皆さんに安く武道具を提供できるように」という思いからはじまったお店なんです。以前は会社の一角をリノベーションして、そこに防具や竹刀を置くようなかたちで営業していましたが、いまは独自で店舗を構えるようになりました。そのお店も、父亡きあとに私が受け継いだんです。
父のそもそもの願いであった「地域の皆さんに安くていいものを」という思いはそのままに。もちろん、いまは武道具の世界もネットショッピングが盛んですからそちらを選択する方も多いのでしょうけど、購入後のメンテナンスも含めて「どうにかお客さまのためになりたい」という気持ちで営業させていただいています。
品揃えについても自信はあって、最近入ってくれた新しいスタッフがとにかく剣道が大好きで、剣道具にもとても詳しいんです。私とは小学生のときからずっといっしょに剣道をやっていて、大学までもいっしょで。その子が毎回「今度この商品を仕入れてみたいんだけど」と相談をくれるので、こっちのほうがいい、とか、それなら両方仕入れちゃおうか、とか、話し合いをしながらお店のラインナップを充実させています
――― 齋藤さんがお店を継ぐようになってからの新たな変化などは?
齋藤 まずお店自体があまり「武道具屋さんです」みたいな雰囲気じゃないというか、ちょっとハワイアンっぽいテイストで(笑)。一般的に「武道具店」というとどうしても敷居が高くなりがちなので、それをできるだけ低くして、みんなが気軽に来店できるような雰囲気づくりはしているつもりです。
やっぱり人口自体が減っているいまの世のなかですから、剣道人口の減少となればなおさらです。だからこそ、剣道をやっている人ばかりを対象にするのではく、未経験の人たちにも剣道を知ってもらうことが必要だと思うんです。先日、お店を使って開催したのがシールの交換会。子どもたちの間でいまシール交換がとても流行っているので、ウチのお店を使って「シールの交換イベントをやるよ!」と告知をして、開催してみたんです。すると剣道をやっていない子たちもたくさんお店に足を運んでくれた。お店に来てみれば店内には剣道具や竹刀がたくさんディスプレイされていますから、そこで「へー、武道具のお店なんだ。剣道ってどういうモノなんだろ?」って興味を持ってもらえたらいいなって。剣道具のアイテムをただ売るだけではなくて、剣道人口を増やすなにかのきっかけになれたらうれしいですよね。

齋藤 新しい取り組みという意味では、昨年9月からスタートさせたのがキッチンカーによる移動販売なんです。これは「○○が売りたい」と思ったからはじめたワケではなくて、「キッチンカーやりたいな……。よし、それじゃあキッチンカーを買いに行こう!」とはじまった話(笑)。私は思いついたらなんでもすぐにやりたいタイプで「なにを売ろうか?」と考え出したのはそのあとのこと(笑)。いまは「おにぎりサンド」、いわゆる「おにぎらず」みたいなものですが、それを商品にして近くで剣道大会が開催されれば出店をしますし、剣道以外のスポーツイベントや地域のお祭りなどにも出させていただいています。そもそも私自身が「人と関わること」が大好きですし、剣道の大会会場でもあまりキッチンカーを見ることがなかったのでいいんじゃないかなって。スタッフは私を含めて3人いるんですが、3人揃うときには剣道具と竹刀なども持っていって販売したり、人数が揃わないときでも剣道大会のときには必ず竹刀だけでも持っていて、「おにぎりサンド」のかたわらでそれを販売しています。もしもキッチンカーの事業自体が失敗でも、あとあと車を使って移動武道具販売もアリだなって。だから「やりたい!」と感じたことはとにかくまずは行動に移してみようと思ったんです。
――― スゴい行動力ですね。実際にキッチンカーをはじめてみて、いかがですか?
齋藤 とても楽しいですね。もちろん、商品が売れ残ってしまうことがあるのはこのお仕事ならではのツラい部分ではあります。しかし、それでもやっぱり来てくださるお客さまと接することが本当に楽しい。いまはまだ商売的には損する部分もあるかもしれないけれど、まずはお店のことを覚えてもらうことが一番大事だと考えてがんばっているところなんです。現在出店している剣道の大会でいえば、地元地域の大会はもちろんのこと、中学校体育連盟主催の県大会や東北高校大会などに参加させていただいていますね。



自分の人生は剣道とともに
剣道と仕事が結びつく未来を夢見て

――― 武道具店を営み、自身も剣道一家に育ったという齋藤さんですが、亡くなられたお父さんの道丸さんはかつて全日本剣道選手権大会にも出場された名選手だそうですね。
齋藤 父も母も剣道をやっていたので、子どものころから剣道は私の生活のなかに自然と存在していたんです。はじめて竹刀を持ったのはたぶん3歳くらいで、本格的に防具を身につけて剣道をはじめたのが小学3年生のとき。地元の余目第四小学校というところで父が指導している和合道場の稽古があったので、子どもたちに剣道を教えに行く両親に毎回ついて行っていたんです。だから剣道をはじめるのは当たり前のことで、ほかの選択肢はなにもなかったという感じでしたね。いざ剣道をはじめてみると、道場に通っていたお兄さんやお姉さんたちといっしょに剣道できるのがうれしくて、それが楽しみで通っていたような感じでした。
私は三姉妹だと言いましたけど、下の妹とは8歳離れていて、三女とは12歳離れているんですよ。たぶんこの地元で剣道で有名なのは次女で、高校教員をやりつつ全日本女子選手権大会に出場した経験もあるんです。
――― 日本体育大学を卒業して、全国教職員大会などにも出場している齋藤眞紀子選手ですね。ですが、長女である真実さんご自身も強豪高校出身とうかがいました。
齋藤 酒田商業高校、いまは酒田光陵と名前が変わりましたが、その学校の出身なんです。小学校、中学校とそれなりにがんばってきたこともあって、高校もどこか剣道の強い学校に行きたいという希望がありました。山形県内には名門校の左沢高校もありますが、実家の家業のことを考えてみるとやはり商業系の強豪校も進学先の候補に挙がってきました。ウチの母親は山形市の出身で、山形商業高校に通っていたこともあって、まず母の母校が候補のひとつ。そして地元の近くにあったのが強豪校として名を馳せる酒田商業でした。そのどちらの学校にするのかでけっこう悩みはしたのですが、最終的には高校剣道にも詳しい父からの勧めもあって、酒田商業を選びました。
――― 酒田商業は剣道名門校で、とくに男子部は全国大会でも華々しい活躍を収めていますね。
齋藤 当時は男女とも熱心に活動していた時期で、男子で私の同級生にいたのが村山仁選手(現・神奈川県警)です。全日本選手権大会で3位に入賞したり中央大学でも活躍しましたが、高校3年生のときにはインターハイの個人戦で日本一になりました。
振り返れば高校時代の部活動では、本当に多くの学びを得ることができました。強豪校ですから休みとなれば必ず遠征があって、家族と過ごすよりも長い時間を仲間たちといっしょに過ごしましたね。先生方とのご縁もいまだに続いていて、たとえば今回、この剣縁さんとのつながりをいただいたのも高校時代の恩師から。高校当時から私のことをよく見てくださっていて、いま現在でも温かく見守っていただいています。たとえば私は高校時代から上段に構えるようになったのですが、体力がないのが難点だったんです。でも先生方はそれすらも承知のうえで、たとえば大会でも序盤の予選リーグでは私を起用せず、決勝トーナメントの準決勝あたりから試合に出してくれたんです。チームのみんなが勝ち上がったことでメンタル的にも上り調子でいるなか、自分だけそこにポンっと加わることになるので、そこでの気の持ちようというのか、気持ちの切り替え方みたいな調整方法を自然と学ぶことができたように思います。
――― 高校時代から上段をはじめたんですね。
齋藤 自分の剣道人生で一度だけ「剣道を辞めたい」と思ったのが高校2年のころのこと。期間としては1ヶ月ほどでしたが、当時は厳しい勝負が続いていたことがイヤだったのか、家で父親に「もう剣道はやりたくない!」とグチを言ったんです。すると父が気軽な感じで「じゃあ上段にでもしてみたら?」って(笑)。父からすれば気分転換程度の提案だったのかもしれませんが、上段への転向が私にはドンピシャでハマって、そこからまた剣道が楽しくなったんですよね。
――― 高校卒業後にはどのような歩みを?
齋藤 大学は父の母校でもある東京農業大学に進学して、大学でもマイペースに剣道をやりつつ、卒業後に故郷の山形に戻ってきました。
剣道については出身の和合道場で継続して、昇段審査に挑戦をしたり、地元で大会が開催されればそれに出場したりと、いまも楽しみながら続けているところです。最近はちょっと稽古量が減っていたのですが、この前、仙台で行なわれた六段審査に落ちてしまって。次回の審査ではぜひ合格したいので、これからまた練習量を増やしてがんばらないといけないですね。
――― 仕事も剣道も充実した様子の齋藤さんですが、仕事と剣道においての今後の展望や目標などをうかがえればと思います。
齋藤 仕事については、これまでと変わらず地域の皆さんのお役に立ちつつも、やはりもっと世界を広げていきたいという思いがありますね。近年はネットショッピングやオンラインショップの開設などはもはや当たり前の状況であるのは理解しながらも、実際のところはなかなかそこまで手が回らないのが現状です。しかし、今回剣縁さんとのご縁ができたこともあって、剣縁さんの多種多様なお仕事をされている会員の方々にいろいろと相談に乗っていただきたいなって。その結果、いまの事業をさらに拡大していけるようになればうれしいなと思っています。
剣道については、実は私のひそかな目標として、地域の子どもたちを育ててみたいという思いがあるんです。高校時代、部活動を引退したあとに小学校に剣道を教えに行っていた時期がちょっとだけあって、そこで感じたのが「あ、私は自分で剣道をするよりも、人に教えるのが好きなんだな」ということでした。出身の和合道場は、いま現在も地元の小学校でスポーツ少年団として活動しているのですが、もともとは父が「和合道場」という名前を貸し出していて、それがそのまま継続している状態なんです。かつての父の夢でもあったのが、自前の道場を建設して「和合道場」の名前で活動することだったので、私としてはなんとかその夢を叶えてあげたいと考えているんです。いざ道場を建てて活動するとなれば、それなりの時間も費用も必要にはなるとは思うんですけど、自分自身もこの地域でいろいろな先生方に育てていただいたご恩があるので、どうにかそれを実現して皆さんに恩返しができたらいいなと思っています。
もし私が少年指導に携わるようになったのならば、あまりカッチリとした団体にするのではなくて、どこの道場に所属している子たちでも来られるような場所にしたい。練習したいときに誰でも来られるような道場をつくって、たとえばその場で竹刀が折れて困ったとか、そろそろ防具を購入しないと、というときにすぐに相談に乗れるのであれば、私の仕事がそこでうまく剣道と結びつくかなと思うんです。
――― お仕事の一環でもあるにせよ、強い剣道愛を感じますね。
齋藤 剣道が好きなんですかね? でも──きっと好きなんでしょうね(笑)。いままでずっと剣道で生きてきた私ですから、やっぱり剣道しかできることがない。だからこそ世のなかのまだ剣道を知らない人たちに対して剣道を広めていくことも、私自身の大事な仕事だと思っているんです。高校時代の恩師をはじめ、私の人生は多くの剣道での出会いによって支えられてきたもの。剣道と、それに携わる皆さんへの感謝の思いがあるので、剣道人口を増やすことに貢献ができるなら、私にできることならばどんなことにでも挑戦していきたいです。これまでの出会いも、いまあるご縁も、これからの出会いも。「感謝の気持ち」を忘れずに一つひとつのご縁を大切にしながら、これからも精進していきたいですね。




































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