イメージをカタチにするおもしろさ。ご依頼には可能なかぎり寄り添いたい(藤田靖人/株式会社ハートランドエンジニアリング 代表取締役)

風の力を帆に受けて海原を航行するヨット。そのデザイン、製造などに携わっていた設計事務所が異分野とも思える建築業界に進出。そんな異色の成り立ちを誇るのが、東京都恵比寿にオフイスを構える株式会社ハートランドエンジニアリングです。
現在代表取締役を務める藤田靖人さんはまだ若く、過去のヨット製造の現場に立ち会った経験はないものの、建築の専門家としていまの会社を運営しています。ご自身は剣道家であり、いま現在も毎週稽古に足を運ぶ藤田さん。興味深い会社の歴史と仕事に賭ける思い、そして中学生時代からはじまるその剣歴を振り返っていただきました。

プロフイール

藤田靖人(ふじた・やすひと) 1980年2月1日香川県生まれ。観音寺第一高校(香川)を卒業後、前橋工科大学に進学し、大学卒業後は同大学大学院で学ぶ。大学院修了後は設計事務所での勤務を経て、ハートランドエンジニアリングに入社。30歳のときに代表取締役に就任する。中学校の部活動ではじめた剣道は高校でも継続。ブランク期間を経て東京・渋谷区にある金王道場で復帰を果たす。現在、剣道五段

株式会社ハートランドエンジニアリング
https://heartland.engineering/

緻密な技術を要するヨットの製造。
それを応用して建築業界に挑んだ

他の設計事務所からハートランドエンジニアリングに転職してきた藤田さん。
15年前、自身が30歳のときに代表取締役に就任した

―― 株式会社ハートランドエンジニアリングの代表取締役を務める藤田靖人さんにお話をうかがいます。設計や建築を事業としているハートランドエンジニアリングさんですが、会社のホームページを拝見したところ、会社自体の成り立ちには海を走る船・ヨットが大きく関連しているようですね

そうなんです。実は僕自身は転職して入社したため、ヨットとはなんの関連もないのですが、会社を立ち上げた当時のオーナーで現取締役会長の方がもともとヨット乗りであり、同時にヨットのデザイナーでもあった。だからかつては自分たちでデザインしたヨットに乗って、海外のレースなどにチャレンジしていたようです。

―― ヨットレースに関する詳しい知識はないのですが、海外などでは非常にメジャーなスポーツと認知されているという話を聞いたことがあります

そうですね。海外だと一般的にレースが開催されていて、それが毎回注目されているようですね。

前オーナーたちはヨット自体の設計はもちろんのこと、ヨットに使用されるマストや金物も自分たちで設計・製造をして日本国外に販売していて、それがこの会社のベースとなる事業なんです。

ヨットというものは非常に緻密に設計されており、水に浮いた構造物としては力学的にも非常に満たされているわけですが、いまから35年ほど前に欧米でステンレス製のヨット部品を建築に利用するという手法が流行したんです。その流行が日本にやってきたとき、このハートランドエンジニアリングに大手ガラスメーカーさんから「ヨットの設計における素材知識や製造知識をぜひ建築に活かしたい」というお声がけがあった。当時のオーナーを含めたスタッフたちは、もちろん建築の分野においては全員が素人の状態でしたが、そのガラスメーカーさんの依頼に応えるかたちでマリン応用製品の開発・製作・販売に着手し、思い切って建築の分野に飛び込んだと聞いています。

―― 藤田さんご自身はどのようにしてこの会社に関わってくるのでしょうか?

僕は、大学は群馬県にある前橋工科大学に進学して工学部建築学科で学びました。大学卒業後はそのまま同じ大学の大学院に進み、大学院修了後にはある設計事務所に勤務していたんです。その当時、このハートランドエンジニアリングのお仕事を手伝っていただいたのがそもそものご縁のはじまり。僕がその設計事務所を辞めるというタイミングで「それならこちらの事務所を手伝ってくれいないか?」とお声がけをいただき、入社を決意しました。それが17年ほど前のことで、当時僕は27、28歳くらいでした。

代表取締役をやらないか、と提案をいただいたのは30歳のときです。もともとこの会社を立ち上げた当初のスタッフは皆さん60代から70代とご高齢になっていて、その下となると僕を含めた20代後半から30代前半の若いスタッフしかおらず、中間層がスポッと抜けていたんです。会長がどのような理由で僕に声をかけてくださったのかは分からないのですが、せっかくのお声がけということもあって受けさせていただくことにしました。

「机上だけではなく実際にヨットに乗って自然を感じて勉強しなさい」と何度もセーリングに連れて行ってもらったそう。
人生経験が豊富で面白く、仕事だけでなく本当に人生の様々な事を教えてくれた会長や先輩方との一枚

―― 現在のお仕事内容などを教えていただければと思います

設計事務所さんからお声がけをいただいて、そのご依頼主がつくりたいもの、デザインしたいもののお話をうかがい、それを実現にまで導く仕事ですね。

現在、ウチのスタッフは僕一人のみ。僕自身は設計業務しかできませんから、材料メーカーさんなどの業者さんに声をかけさせていただき、ご依頼を実際にカタチにするためにはどうすればいいのかを相談させていただくんです。どういった材料や組み立て方で、どのような支持方法であれば依頼されたデザインが実現するのかなどをコストの見積もりなども含めてまとめ、提案をさせていただく。僕たちはゼネコン企業さんのもとで仕事をさせていただくことになるので、僕たちの提案内容がそこで認められればお仕事として取り組むことができる、という流れです。お話が決まれば設計をスタートして、その設計管理と現場の取り付け管理までを責任をもって担わせていただいています。

取り扱う案件はもちろんプロジェクトごとに違っていて、住宅やその窓周りやサッシ周り、鉄骨や階段周りだったり、外観でデザインされている部分だったりと多岐にわたりますから、その時々にいただいたお話の内容に真摯に向き合うことが重要ですね。

住宅メーカーではないだけにどうしても「イチから設計をしてモノをつくる」ことになりますから、スピードが重視されがちな現代の価値観とはどこか相反する部分はあるかもしれませんが、お客さまに思い入れやこだわりがあるのであれば、僕は可能なかぎりその実現のお手伝いをさせていただきます。けっこうな無理難題であってもできるだけ具現化できるようお手伝いする(笑)。それがいまの会社のやり方であり、僕がアピールしたいポイントとなります。

―― 藤田さんが感じる、このお仕事の魅力はどのような部分にあるでしょうか?

建築もファッションと同様に流行り廃りがあるもので、お仕事をいただくたびになにかしら記憶に残る部分があるのはひとつの魅力と言えると思います。僕自身は昔から「モノづくり」に興味があって、高校時代に建物を設計する建築家という仕事があることを知って憧れの気持ちを抱きました。いまも昔と変わらず「思い描いていたものがカタチになる」ということに楽しさを感じていますし、そこへの興味は尽きませんね。

ハートランドエンジニアリングが手がけた仕事のひとつが玉川高島屋S・C本館のファサード(建物正面の外観)改修。
有名建築家・隈研吾氏の設計によって建物中層棟に歩行者様アーケードが増築された
千葉・鋸南町にある2023年10月オープンの「都市交流施設・道の駅保田小附属ようちえん」。
有名な意匠・構造建築家が手掛け、ハートランドエンジニアリングは「わっか」と名付けられた屋外回遊路の鉄骨工事で参画した
意匠と構造の考え方・条件を擦り合わせるように計画された凸凹な形状の鋼板で作られた自由曲面の個人住宅の屋根。
本当に作れるのか、どのような作り方が適しているのかを確認するために協力工場でモックアップによる試作を行った

楽しさに彩られた剣の道。
いまは「継続」を目標に稽古に励む

―― 藤田さんご自身の剣道歴もぜひお聞かせください。もともとのご出身は?

出身は香川県の三豊市というところです。剣道をはじめたのは中学生のときで、小学校から仲のよかった剣道経験のある友だちが剣道部に入部するというので、当時仲のよかった何人かの友だちみんなで剣道部に入りました。中学校の剣道部には顧問の先生もおらず、外部指導者の方がたまにいらっしゃるような環境だったので、当時は部活動がひとつの遊び場みたいな感覚。仲間でワイワイやっているような剣道部だったので、とにかく楽しかった記憶があります。

そのあと高校は観音寺第一高校に進学して、そこでも剣道部に入部しました。学校は進学校だったのですが、剣道部はしっかりと活動していて、まるで遊びのようだった中学生時代とは大きく環境が違いました。とは言っても、専門の指導者の方がいて練習が毎日ある、という強豪校出身の皆さんにとっては当たり前の環境だっただけなのですが、当時の僕にとってはこれがとても新鮮で、ここで初めて「剣道部ってこんな感じなんだな」と理解できたような気がします。

中学生時代はもちろん、高校時代も大会などでは戦績は残せませんでしたが、そのどちらも「楽しかった」という思い出が強く残っています。高校剣道部も僕が入学したときには2年生の先輩が一人もおらず、部活にいるのは3年生だけ。あまり上下関係もなく、いい雰囲気で剣道に向き合えたという印象が強いので、中学、高校と僕にとってはとても恵まれた環境だったように思います。

―― 環境によっては剣道に嫌気がさしてしまいそうな年代ですが、藤田さんはむしろ剣道の楽しさを知ったんですね。高校を卒業したあとというのは?

高校卒業後は1年間の浪人生活を経て前橋工科大学に進学したわけですが、大学自体が決して大きな規模ではなかったこともあって、体育会の部活動やサークルにも剣道部はありませんでした。だから、そこからはしばらく剣道から離れることになります。

大学院を修了し、就職のために群馬から東京へと出てきて設計事務所に勤務したのは1年間ほどの期間。そのあとはもういまのハートランドエンジニアリングに転職して現在に至るわけですが、剣道についてはいまから10年前の35歳のときに復帰しました。その年齢くらいになると、やっと週末に休みを取れるように生活が変化してきた。しかし、いざ急に時間ができてもなにをしていいかが思い浮かばず、結局剣道を再開してみようかと考えるようになったんです。とりあえず自宅から一番近い剣道具店さんに足を運び、お店の方に「僕の家から通いやすそうな道場はありますか?」と質問したところ、おススメいただいたのが現在通う渋谷の金王道場でした。

現在通うのは渋谷区にある金王道場。
写真は道場の仲間たちと東京道場対抗剣道大会に出場したときの1枚

―― それからはずっと継続されているんですね

基本的に道場に行けるのは週末だけなので、土曜日か日曜日のどちらか、あるいはその両日かに参加するようにしています。ムリをするとキツくなって続けていけなくなってしまうと思うので、あくまでも自分自身が楽しく剣道ができるペースを保ちながらなんとか継続しています。

―― 復帰を果たして、社会人として取り組む剣道の感想は?

僕がかつて所属してことがある団体は中学・高校の部活動だったので、周りにいたのは同年代の仲間ばかり。いま人生で初めて道場に所属しているわけですが、周りにいるのは子どもから年配の方までと年齢層が幅広く、初級者から高段者までとそのレベルの幅も広いのがとても新鮮です。道場ではただ剣道をするだけではなく、いろいろな方からいろいろなお話をうかがうことができるので、どこか自分自身の世界が広くなったよう感覚があって、とても楽しいですね。

―― それでは最後に、お仕事と剣道の今後の展望などあれば教えてください

仕事については引き続きいまの業務を楽しんでいきたいです。その上で、僕も年齢も40代半ばになってきたので、もっと若い世代の建築家の方々への助力と言いますか、彼らがつくりたいと思うものが実現できるよう、積極的にお手伝いをしたいという思いがあります。

剣道については、続けられる範囲で続けることを心がけたい。たとえば昇段審査なども剣道を続ける以上は受けようとは思いますが、何年後に何段を受審して、とあまり厳密に目標設定してしまうと、どこかで気持ちが重くなる部分があるかもしれないので、そこはその都度の気持ちに素直に取り組もうかと。

僕が所属する金王道場の先生方は本当にスゴくて、皆さんまさに「ライフワーク」として剣道に取り組んでいる。それに比べれば、いまの僕はまだまだそのレベルには至らない。だからこそ「辞めないように続けること」をいまの一番の目標として、これがいずれ金王道場の先生方のように「剣道はライフワーク」と言えるまでに変化できたら、それは僕にとって新たな成長だと考えています。

2024年2月に五段審査に合格を果たした藤田さん。
今後も昇段審査への挑戦は続けるつもりだが、あくまでマイペースに剣道を継続することがいま現在の一番の目標だという

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