有益な情報を入手したり、個性的なエンタメを楽しんだりと、いまや我々の日常生活に欠かせないコンテンツとなった動画共有プラットフォーム・YouTube。
その世界で、日本刀系YouTuberとして人気を誇るのが、「藁斬り抜刀斎」こと池田憲人さんです。
剣道、居合道、抜刀道の三つの武道を修める池田さんが、昨年8月から地元・福島県郡山市において日本刀・武道具のお店をオープン。
オリジナリティあふれる商品が揃う「武修堂」にうかがい、お店を開店するまでの経緯といま、YouTuber活動に賭ける思いなどをお聞きしました。
プロフイール
池田憲人(いけだ・のりと)
1983年10月12日福島県生まれ。郡山商業高校(福島)を卒業後、日本大学工学部に進学する。大学卒業後は運送業、コンサルタント業などに勤しむ傍ら、YouTubeチャンネル「藁斬り抜刀斎」を開設。日本刀系YouTuberとして活動をはじめる。2024年8月、後継に悩んでいた武道具店の店舗を買い取り、自身の剣道、居合道、抜刀道の豊富な知識を活かした日本刀・武道具の専門店「武修堂」の運営をスタートした。小学校3年生から剣道、高校生から居合道、社会人となって抜刀道をはじめ、現在は剣道四段、居合道錬士六段、抜刀道三段の段位を取得。主な大会戦績には、剣道では福島県インターハイ予選個人戦3位、居合道では東北居合道大会優勝、全日本居合道大会福島県代表、抜刀道では全日本抜刀道連盟全国大会で九連覇の記録を持つ
合同会社武修堂
YouTubeチャンネル「藁斬り抜刀斎」
www.youtube.com/@warakiribattosai
「会社員」から「武道の人」へ。
「好き」を求めて武道具店の経営にチャレンジ

──YouTubeチャンネル「藁斬り抜刀斎」を運営されている池田憲人さん。日本刀による試し斬りや日本刀に関する知識を中心としたそのチャンネルは登録者数26万人を誇る人気のコンテンツです。そんな池田さんが昨年8月、福島県郡山市に日本刀と武道具のお店をオープンしましたが、それがこの「武修堂」ですね。
池田 もともとこの場所で10数年ほど営業していた武道具店さんがありまして、そこを引き継ぐかたちで私が経営をすることになりました。以前の武道具店の代表の方には、私も小学生くらいのころからずっとお世話になっていたんです。その方はそもそも店舗を持たない車での移動販売から武道具店をはじめられ、その後ご自身の年齢も考えてお店を出すようになったのが11年前。しかし昨年、ついに体調を崩して病院に一週間ほど入院された。それがきっかけとなっていよいよ引退を考えるようになったそうで、「誰かこのお店を続ける人はいないだろうか?」と相談を受けたんです。当時私は会社勤めの身だったのですが、「それなら俺がやろうかな」と。私自身、すでに刀の修理などを副業としていたこともあって「いずれは刀屋さんをやってみたい」という思いはあったんです。とはいえ、刀自体はそんなに需要が高いものではないので、そこはひとつ悩みどころではあった。また、剣道具店も競技人口が減っているだけに剣道具だけ取り扱うにも不安が残る。そんなところで相談を受けたので、日本刀と剣道具の両方を専門的に扱うお店ならば、と考えたんです。
──会社員を辞めるというのは大きな決断だったんじゃないですか?
池田 うーん、すでにYouTubeもずっとやっていたこともあって、たとえば視聴者さんからは完全に「武道の人」というイメージを持たれているんです。しかし、実際の私はといえば武道とはなんの関係もない仕事をする会社員。そのギャップには私自身もどこか違和感を覚えるところがあったので、「失敗してもいいから好きなことをやってみよう!」と思ったんです。シンプルな話、好きなことで稼げるならやっぱりそれが本望ですから。
──それまでは会社員としてYouTubeの動画を更新していたんですね。
池田 そうなんです。いままでは運送業、コンサルタント業といった武道とはまったく関係のない仕事をしながら、土曜日、日曜日の休日は撮影に集中して、平日の仕事の終わったあとに編集をするという生活を送っていました。
──YouTubeチャンネル「藁斬り抜刀斎」はいつから、どのようなきっかけでスタートしたんですか?
池田 東日本大震災が発生した2011年からです。当時、私は運送業の会社に勤務していて、休日も関係なく仕事に没頭する日々を送っていました。そんなときに起きたのがあの震災。福島第一原子力発電所の爆発があって、福島ナンバーの車が他県に入れなくなったり、そもそも燃料自体が入ってこなかったりで、もう仕事が一気になくなったんです。ただただ時間を持て余す日々を過ごすなか、ふと思い出したのがある抜刀道の先生のこと。私自身はそれまで剣道と居合道はやっていたのですが、20歳のころにその先生と出会い、一度抜刀道を勧められていたんです。当時はちょっと道場に遊びにうかがった程度で終わっていたのですが、震災のときになぜか抜刀道を思い出した。当時は時間だけはありましたから、すぐに先生のもとに足を運んでそのまま入門したんです。当時の自分の心境を振り返ってみると、仕事を失った状態のまま、ただ下を向いて暮らしていることがイヤだったんだと思います。なにもないならばなにか新しいチャレンジを、と自分なりに考えたんでしょうね。
そこで最初は自分の稽古の記録用としてはじめたのがYouTubeでした。当時はまだYouTuberという言葉すらなく、動画で収入を得るという発想もないような時代。ただおもしろ半分な気持ちで「自分で撮った動画がネットにアップできるんだな」というくらいの興味でスタートさせたものです。それがいつしか視聴者さんから反響をいただくようになって、自分自身もさらにおもしろくなってきて。「もっとちゃんと動画をつくればもっとたくさんの方に観ていただけるのかな」と7、8年前から少しずつ編集にも凝るようになりました。
──会社員との両立は大変だったのではないですか?
池田 いや、やっぱり自分の好きなことをやっていただけなので苦ではありませんでした。実際いまも撮影についてはしっかりと企画・立案をするようなこともなくて、本当に自分でやりたいものを撮っているだけ。台本のようなものも準備しておらず、たとえばゲストで出演してくださる方にも「思ったまましゃべってくださるだけでけっこうです」とお伝えしているくらいです。
動画の収益もあるにはありますが、やはりそれも再生数に応じたものになるので安定感には欠けます。そういった点でもYouTubeのみを生活の糧にするのは危険だと感じていましたから、なにか別に安定した仕事は必要でした。いま現在も動画の収益については、なにかしら武道に還元するための費用に充てているだけですね。
──とはいえ、動画の最高再生回数は一千万回を超えるものもあるとうかがいました。その人気の要因を、ご本人はどのように分析していますか?
池田 やっぱり実際に刀を使ってモノを斬る、というところが興味をひいたんだと思います。たとえば剣道であれば人口も多いので、実際にYouTubeで剣道をやる人もいるでしょうが、それが刀で実際になにかを斬るとなればグッと限られてくる。私としてはそこが強みかなと思っています。
ありがたいことに、このお店を開いてからは視聴者さんが訪ねてきてくれることも多いんです。関東からも足を運んでくださいますし、北海道からいきなり飛行機で来てくれた方もいました。自分としては「こんなオッサンにわざわざ会いに来てどうするのかな」とは思うけれど(笑)、それでも「いつも動画を楽しんでいます!」と言っていただけることは私にとってはこの上ない喜びですね。
──すでにお店のオープンから一年以上が経過しましたね。
池田 おかげさまで、いまはとても忙しく営業させていただいています。そもそも剣道具店として長く営業していたお店なので、以前から来てくださっていたお客さまもそのままご来店いただけていますね。
──剣道具に関してもこだわりを感じます。たとえばホームページを拝見すると日本刀の鮫鞘とともに剣道の鮫胴もアピールされています。
池田 私自身が鮫鞘を愛用していて、私の抜刀道の師匠の一人が鮫革製品を手がける職人でもあったんです。私もはじめはお客として依頼をする側でしたが、いつしか興味が高じて自分でもつくりたくなった。そこで先生にお願いをしてつくり方を教わり、自分が使うものであればひととおりは自分でつくれるようになったんです。
その先生は職人としていくつかの武道具店に商品を卸していたんですが、いまから5、6年前に事故で亡くなってしまいました。急に亡くなられたことで困ったのは武道具店さんで、先生と取り引き途中だった商品がいくつかある、と。そこでその商品をつくるよう頼まれたのが私で、以降は先生の仕事を受け継ぐようになりました。
──まさかご自身が手がけられるとは驚きました。日本刀に関しては、専門的な知識がないのでおうかがいしたいことばかりです。そもそも日本刀ユーザーとなると、どんな方が多いのでしょうか?
池田 日本刀のユーザーとなると、大きくふたとおりいるんです。まずは蒐集家というか愛刀家というか、美術品として刀が好きな方がひとつのパターン。もうひとつは剣術を嗜んでいて、実際に使う方とのふたとおりですね。一般的な刀屋さんの場合、美術的観点に基づいた営業をされていることがほとんどで、剣術家の方が求めるような刀には対応していないところが多いです。その点でいえば私の場合は使う側でもあり、鑑賞刀も好きなのでそのどちらにも対応が可能。そこが珍しい部分かもしれません。
日本刀の値段というのはピンキリで、安いものでは十万円台のものからで、上となるとそれこそキリがないのですが、うちで取り扱っているものでは百数十万円くらいの刀でしょうか。
商品の取り揃えについては、私自身が選んだのもあれば、買い取りをした刀もあります。お店の「のぼり」にも書かれているように、私は刀剣の買い取りにも力を入れていて、基本的にはお客さまの持って来られた刀はすべて買い取ることにしています。刀が持ち込まれる理由はというと、愛刀家の方がご高齢になって終活をはじめたというケースもある。そういう方が「家族に刀を遺していくわけにもいかないから」と来店くださるわけです。私がすべての刀を買い取る理由は、それはシンプルに「刀がかわいそう」だから。いままで何百年と残ってきた刀なのに、持ち主の都合で捨てられるのはあまりにも気の毒です。その刀自体はもしかしたら「なまくら」かもしれないけれど、それでも綺麗にしてあげて次にかわいがってくれる方に受け渡す。そうやって次代につないでいくことも、私の大事な仕事のひとつです。



剣道、居合道、抜刀道を修める武道家として
YouTube、武道具店経営を通じて武道に貢献したい


──「藁斬り抜刀斎」こと池田さんは、YouTubeの動画内でも剣道、居合道、抜刀道を披露していますが、それぞれとの出会いから現在に至るまでの歩みをうかがいたいと思います。
池田 出身はこの福島県郡山市で、剣道は小学3年生からはじめました。きっかけとしては親からなにか運動をするよう勧められたことで、当時から武道に憧れがあったものですから、自分で剣道を選びました。親に町道場の宏武館道場に連れて行ってもらい、その足で即入門し、そこから大学まで相楽芳三先生に学ばせて頂きました。
道場での稽古は厳しくもあり、楽しかったですね。いざはじめてみればやはり「勝ちたい」という思いが出てくるもの。とくに自分の親もバレーボール経験者だったこともあって、「人に勝ちたかったら人の倍練習をしなければならない」と教えられていましたから、小学生時代には週に7回もの稽古に励みました。
中学校、高校でも部活動に入部をしつつ、そのあとに道場に通う日々を送りました。私が進学した郡山商業高校(福島)はとくに剣道強豪校ではありませんでした。当時世の中は急速な情報化、IT化が進んでいたこともあって、私自身も将来性を見据えて情報処理科で学ぶことを目的に選んだ学校です。剣道部に入部してみれば部員は少なくて、同級生は2人だけ。普段の練習では私がその二人を指導し、自分の稽古は道場でするという日々でした。大会にも出場しましたが、団体戦はやはり3人で出場していることもあってなかなか結果には恵まれることはなかった。しかし、個人戦ではなんとかインターハイ予選でもある県大会で3位入賞。インターハイへの出番こそあと一歩で叶わなかったものの、自分としては日頃の取り組みが結果となったのでとてもうれしかったのを覚えています。
居合道をはじめたのは高校時代からです。小学校、中学校と剣道の稽古に励んでいたところでテレビでアニメ「るろうに剣心」の放送がはじまったことで、「刀ってカッコいいな」と憧れが強くなった。通っていた宏武館では居合道も教えていたこともあって、高校に進学するタイミングで、先生にお願いをして居合道も教わることになったんです。
高校卒業後は同じく郡山市にキャンパスのある日本大学工学部へと進みました。剣道部は熱心に活動しており、ここでは大学OBであり全日本選手権大会で3位入賞の経験田崎智春先輩(日大東北高校教員)にご指導をいただきました。
──そして、そこに抜刀道が加わったわけですね。
池田 そうですね。社会人となって抜刀道もはじめるようになると、やはりメインは居合道と抜刀道のふたつとなってきました。剣道の場合はどうしても稽古相手が必要となるところ、居合道と抜刀道については一人でできる。忙しい社会人としては自分の好きな時間に稽古できる点は非常に魅力的ですし、実際に継続がしやすいですね。
抜刀道をはじめ、全日本抜刀道連盟に加盟したわけですが、はじめた初年度にその団体が主催する全国大会で優勝してしまいました。抜刀道もやはり剣道や居合道と同様に、剣道は剣道、居合道は居合道と取り組む人がほとんどです。そんななかで、たまたま私には剣道と居合道の素地があった。それが初年度で優勝することができた要因だと思います。まぐれでも一度優勝を経験するとやはりおもしろさは増すもので、コロナによって大会が中止となるまで、全国大会では九連覇という結果を残すことができました。もちろん競技人口に関しては剣道や居合道よりも少なくはありますが、競技者が世界中にいることはひとつ特徴として挙げられるでしょうか。全国大会となると参加者が世界の各地から集まってくるのは、抜刀道ならではの新鮮な光景でした。
──剣道と居合道を両立させているだけでも珍しいなか、そこに抜刀道も加えている人となると日本中探しても見つからないかもしれません。武道の世界で非常に稀有な存在ともいえる池田さん。ぜひ今後の展望をお聞かせいただければ。
池田 これから、というよりも、YouTubeをはじめたころから考えていたことなのですが、私には一人でも武道をやる人間を増やしたいという思いがあるんです。YouTubeをはじめた当初、たとえば人に居合道の話をしても必ず「それってなに?」と聞き返されるんです。剣道こそさすがに日本人で知らない人はいないでしょうが、居合道、抜刀道は圧倒的に一般の方からの認知度は低い。そもそも知らないのですから、これでは広めようにも広められるものではないので、まずはその認知度を高めたいという思いがあります。いまお店で日本刀を積極的に買い取っている理由も同じことですが、歴史のある武道がこれからも長い歴史を重ねていくには、そのつなぎ役は欠かせない。それを私が担うことができたら、それは壮大な歴史に関わる意義のあることだと考えているんです。愛する武道が途絶えることがないように、そしてそれに取り組む人が一人でも増えるように、その実現のために今後もYouTubeと武道具店との両方で武道に貢献していきたいです。


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