ウエティー

みんなが集える場所でありたい(植田充 / ごはんとお酒の店 植ティー店長)

奈良県奈良市の富雄にあるごはんとお酒の店 植ティー。

2023年2月オープンの新しいお店ながらも、すでに多くのお客さまが来店されています。

その大きな要因は店長を務める植田充さんの存在。

もともとはサラリーマン、その後は中学校教員に転身し、強豪チームの指導にあたってきたという異色の経歴を持つ植田さん。

現在のお店の開店に至る経緯を聞けば、剣道に対する愛情、子どもたちに対する愛情があふれていました。

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プロフィール

植田充(うえだ・みつる)

1972年奈良県生まれ。一条高校(奈良)、国際武道大学出身。大学卒業後には郷里奈良県で金融機関に勤務し、中学校教員へと転職。奈良県・十津川村の中学校で勤務をした後、富雄中学校に赴任、剣道部の指導にあたってきた。教員を退職し、2023年2月よりごはんとお酒のお店 植ティーを開店。現在は外部指導員として富雄中剣道部の指導にあたっている。指導する富雄中は、男子部は全国中学校剣道大会で団体戦3位入賞、女子部も全国中学校大会団体戦出場、個人戦ベスト8などの好戦績を残している。剣道教士七段

ごはんとお酒の店 植ティー

インスタグラム

https://www.instagram.com/uetii_123/

ご飯、お酒ともに豊富なメニューが魅力!
誰が来ても満足の品揃え

──ごはんとお酒の店 植ティーですが、まずは料理メニューの豊富さに驚かされます。お酒の肴からしっかりとした定食メニューまで、これだけの料理の準備、提供にはかなり手間や労力がかかるのでは?


 そんなに難しいことではないですよ。なんだったらこれでもメニューは絞ったほうで、本当ならばもっと出したかったくらい(笑)。まあ、営業を重ねていくうちにどのメニューが出てどのメニューが出ないかが分かってくると思うので、また変化はするかもしれませんけどね。

──お店自体は今年(2023)2月オープン。まだ新しいですね。

 僕の誕生日が1月23日なのですがその日に開店の発表をして2月9日からスタートしました。

──もともと飲食店に興味があったんですね。

 そうですね。もともとのきっかけは子どもの頃に両親にご飯をつくったら喜んでくれて、僕もそれがうれしくてね。大学生時代もひとり暮らしでしたからそのときもほとんど自炊していました。それで、ひとり暮らしだとやっぱり食材が余りますよね。たとえばキャベツが大量に余ったときには剣道部の仲間を呼んで、材料費分だけをもらってお好み焼きをつくったり。僕自身、お酒を飲むのも好きやし、ずっとこういうお店はやりたかったんです。

──オープンからまだ間もないですが、すでに多くのお客様が来店してくれているようですね。

 通し営業でランチもやっているので、昼はよその飲食店の方々が自分のお店の営業を終えたあとに来てくれたりします。夜は夜で普通に飲みに来るお客さんはもちろんのこと、部活動帰りの高校生なんかも定食だけを食べに来たりね。うちは夜でも定食を出していて、食事だけの利用をしていただいても大丈夫。とにかくみなさんに気軽に使ってもらえる店でありたいと考えています。

 お店に来てくれるお客さんはやっぱり僕の知り合いが多くて、もともとの職場の上司や同僚だったり教え子たち、その保護者だったりとご縁のある方々。ありがたいですね。

──「教え子」というお話にもあるように、植田さんはいまでこそ飲食店の店主というお立場ですが、その前までは中学校の教員でしたね。勤務していた奈良市立富雄中学校では剣道部の指導者を務めて2019年開催の第49回全国中学校大会で男子団体3位入賞を成し遂げています。

 富雄中出身の教え子たちは中学校卒業後もがんばってくれていて、昨年だけでも10人以上の生徒が各学校の代表としてインターハイに出場してくれました。  

 富雄中にももう長く勤務してきたこともあって、昨年ついに異動の時期を迎えたんです。教員である以上異動はやむを得ないことではありますが、そもそも僕が教員になった理由はやっぱり剣道の指導に携わりたかったから。もちろんまたよその中学校に異動して指導すればいいわけですけれど、いまからもう一度富雄中のような剣道部の組織づくりができるかと考えるともうそれはムリだなと。この富雄の街も好きだし子どもたちも好きだし、それならもう教員は辞めようと思いました。ずっと富雄中剣道部の指導がしたいから、いまのこのお店をはじめたんです。

 富雄中はこのお店のすぐ近くにあります。だから剣道部の指導のときにはお店の看板に「ご来店もしくは御用のある方はこちらにお電話ください」と出しておいて、電話がかかってきたらまたお店に戻ると。

 お店の営業も剣道部の行事に合わせて不定休。営業情報はインスタグラムにアップしているので、もしご来店を考えてくださったときにはぜひそこをチェックしていただければと思います。

──それでは店名の植ティーというのはやっぱり……。

 そうです、植ティーのティーは「ティーチャー」のこと。中学生たちが僕のことを裏で呼んでいる名前ですね。お店の名前もはじめはどうしようかといろいろ考えたけれど、みんなが分かりやすいこの名前にしました。「あ、植ティーの店あそこにあるわ」ってね(笑)。

お酒もまた植田さん自身が好きだという日本酒を中心に、幅広いラインナップが揃う
料理の腕前について「もと教員にしては得意という程度」と謙遜する植田さんだが、その手際は鮮やかで、あっという間に料理は完成。ちなみにお店の制服となるTシャツは富雄中剣道部のものを利用している

サラリーマン、教員、そして飲食店経営
いまに至る道は剣縁を頼って

──植田さんの異色の経歴についてもうかがいたいです。大学は千葉県の国際武道大学の出身。卒業後、ご自身の郷里である奈良県に戻ったんですね。

 そうです。そもそもは教員志望ではありましたが、当時のそのタイミングでの採用はなかなか難しかった。そこでちょっとした剣道のご縁から、地元の金融機関に勤務しました。

 自分自身で希望した職場ではなかったけれど、結果的に教員になることを考えればあの当時の社会人経験は大きかったですね。教員はどうしても学校という狭い枠のなかだけでいろいろなことを測りがちですから、社会を広く見られたことは僕にとってはプラスでした。

──その職場を退職したのは?

 10年ほど勤務してみると、やっぱりその先が自然と見えてくるんですよね。ふと自分自身の将来に思いを馳せてみたとき、あまり楽しさを見出すことができなかった。

 サラリーマン時代は職場に剣道部はありませんでしたが、自分の出身道場に戻ってずっと少年指導には携わっていたんです。そこではやはり「教えること」の楽しさを感じていましたから、また改めて教員を目指してみようと。それが32歳のときですね。

 教員となってからは十津川村に赴任していくつかの中学校に勤務しました。そのあとにいまの富雄中に異動になって。富雄中に赴任した最初の2年間は、剣道部には前任の指導者の方もおられたので僕自身は女子バスケットボール部の顧問を務めました。自分の剣道人生でははじめて、その時期にはいっさい竹刀を握らなかったですね。

 いよいよ富雄中剣道部の顧問になるというときにまた竹刀を握り出して、ちょうどそのタイミングで七段にも合格させていただきました。

──剣道をはじめたのはいつ、どんなきっかけで?

 はじめたのは小学2年生のときですが、実は最初は野球がやりたかったんです。僕の父親は奈良の出身ですが、母親は鹿児島県の出身者。その母がソフトボール経験者だったんです。だから父と結婚したあともママさんソフトに参加していて、僕も小さい頃からよくグラウンドに連れて行かれていた。自然と野球に親しむ環境で育ったんです。

 僕自身ははやく野球がやりたくて仕方がなかったけれど、体が小柄だったこともあって母からは「いまは体力的に無理やから小学2年生になったらやらせてあげる」って。

 いよいよ2年生になった頃、たまたま家族で若草山に登ろうと出かけた日がありました。ちょうど奈良公園を通りかかったところで人だかりができていて、「なんだろう?」と思って覗いてみれば、そこでは剣道の野試合が行なわれていたんです。その日は5月5日のこどもの日、野試合は春日大社の奉納試合だったんですね。

 当時の僕は剣道なんて知らなかったから、子どもたちがパチパチと竹刀で打ち合う姿を見て親に「これなあに?」と。親が「これは剣道って言うんや」と教えてくれると、なんか知らんけどそのときの僕は「これがやりたい!」って言い出した。それが剣道をはじめたきっかけですね。

──出身道場はどちらになりますか?

 奈良講武会という奈良でも一番歴史のある道場です。母親が探してきてくれたのですが、さすが母もスポーツ経験者というか、「とにかく最初に習う先生が大事や」と。そう言って自宅から通える範囲の道場のなかから奈良講武会を選んでくれました。

 実際に僕はその後、剣道を辞めたいと思ったことは一度もないんです。奈良講武会で教えてもらったから、母がその道場を選んでくれたからいまの僕があると思っています。

──出身高校の一条高校も名門ですよね。

 そうですね。奈良県では正強高校(現・奈良大附属高校)も強くて、その2校が県内でも上位に進むことが多かった。とくに僕らの代の正強は結果的にインターハイでも2位入賞を果たすほどに強いチームでした。しかし僕自身には「どうしても一条に入りたい」という思いがあったんです。その理由は当時の指導者であった松田勇人先生(範士八段)の存在。僕が小学6年生のとき、全日本剣道選手権大会で松田先生が3位に入賞された。その姿を見て「この先生に習いたい」と思ったのが一条に進学した理由ですね。

 高校の稽古はやっぱり厳しいものでしたけど、それでも僕は嫌ではなかったですね。残念ながら試合の結果にはあまり恵まれず、国体メンバーに正強の選手以外で一人だけ入れたというくらいにとどまります。全国大会で大活躍とはいきませんでした。

──その後、国際武道大に進学したのはやはり剣道を専門的に学ぶためですか。

 実際のところ第一志望は松田先生の母校でもある国士舘大学だったんです。しかしそれがうまくいかず、一般入学で武大へ。学生時代は選手候補の合宿にはずっと参加することはできましたが最終的に正選手になることは叶わなかったですね。当時の部員数はひと学年に100人。やはりそれだけの人数がいると、名前こそ知られていないけれど高い能力を秘めた選手がゴロゴロいる環境でした。  結果的に大会では活躍できませんでしたが、僕自身はやはり武大が好きで、あそこで出会った仲間たちが好きです。あの大学には自分で求めれば求めただけ成長できる環境が整っていますし、人を見る目というものも養わせていただいたと思います。

剣道を語るときにはやはり口調にも熱がこもる。「言うても剣道好きですわ。辞めたいと思ったことはありません」と植田さん

「人は財産」
長く指導に携われる幸せを噛み締めて

──最後に、今後の展望などがあれば教えていただけたら。

 お店としては現状維持ですね。すでに自分の好きなことはできているので、この環境を継続できればいいと思っています。

 お店をはじめるにあたって不安なことは多かったですが、いざやってみれば人とのつながりは教員時代よりも深くなった気がしますね。この場所があることで生徒たちも相談に来やすいし、卒業生たちもなにかと集まりやすいようです。   

 剣道関係の人たちがたくさん来てくれるのはもちろんですが、僕は教員時代は体育の授業を担当していたこともあって剣道部以外の子もたくさん来てくれるんですよ。先日もサッカー部の卒業生たちが来店してくれました。本当にありがたいことですし、このお店をはじめてよかったと思います。

──富雄中剣道部としての目標は?

 僕はずっと「目標は日本一」って言い続けています。たぶん叶うことはないかもしれませんけど、まずは狙わなければ絶対に叶うことはない。人知れず狙うぶんには勝手ですからね(笑)。

 ただ……僕自身、監督として全国大会の準決勝の舞台は経験させてもらって、そこで見た景色はやっぱりほかの試合とは大きく違ったんですよ。これが決勝の景色となるといったいどのようなものが見られるのか、そこに興味がありますね。

──植田さんはいつまでも「指導者」であり続けたいんですね。

 やっぱり指導はおもしろいです。子どもたちがいてくれるおかけでずっとドキドキワクワクしていられますし、子どもたちがいてくれるかぎり僕自身も夢を見続けられる。

 毎年一度だけ、僕は卒業式の日だけは号泣するんです。生徒、保護者たちの前で「今日、僕の息子たち、娘たちが旅立ちます」って言うて。保護者の方々には日頃から「お父さん、お母さん。寝ている時間は引いてくれ。あなたたちと僕とでどっちが長くこの子たちとおったんや? だからこの子たちは僕の子や!」って言ったり(笑)。

 やはり人は財産、子どもたちは宝です。毎年、卒業という別れはありますけど、4月になるとまた新しい宝物を預かることができる。こんな幸せ、ほかのことでは経験できません。

植ティーの店舗は近鉄奈良線富雄駅から徒歩6分ほどの建物の2階にある。「百錬自得」の文字が記された、剣道をイメージさせるデザインの看板が目印だ
店舗名ごはんとお酒の店 植ティー
特典乾杯ドリンク無料!!
所在地〒631-0061 奈良県奈良市三碓2丁目1番10-1号-201
TEL090-8751-1131
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