年末年始の営業について

地域社会も、そこに住む人々も豊かに。140年続く肥料商の5代目が考える、本当に「いい会社」とは(塚本 貴士 / 芳賀通運株式会社 代表取締役)

140年続く肥料商の5代目として生まれた塚本貴士社長。農業資材販売、農作物の集荷・加工・販売、温泉ホテル経営、栃木県最大規模の運送会社の経営と、様々な事業を手がけています。

社長の地位に甘んじることなく「後継者としてたまたまこの席に座らせていただいているだけ。関わる人と地域社会を、物心ともに幸せにすることが自分の使命」と語ります。

本記事では、塚本社長のおじいさんが掘り当てた温泉の話に始まり、経営する会社グループの事業内容、地域愛に溢れる仕事哲学について伺いました。

プロフィール

塚本 貴士(つかもと たかし)
1972年栃木県茂木町出身。慶應義塾大学卒業後、三菱商事に勤務。その後、家業に入社。芳賀通運株式会社宇東梱包運輸株式会社株式会社ホーシン、ホテル美玉の湯株式会社塚本商会の代表を務める。

剣道は小学校から始め、中高大と慶應義塾の剣道部に所属。現在五段。

霊感の強いおばあさんに言われて掘り当てた奇跡の温泉「美玉の湯」

──塚本さんは会社を複数経営していると伺いました。

芳賀通運株式会社とそのグループ会社、ホテル美玉の湯、そして塚本家が代々経営している株式会社塚本商会が主な会社です

──そんなにですか!それぞれの事業内容を伺いたいです。

ではまず、皆さんが親しみやすい『美玉の湯』から。この事業は、私の祖父が温泉を掘り当てたことがきっかけで始まりました。霊感が強いと地元で有名だったおばあさんの言う通り掘り進めてみたら、本当に49.5℃の温泉が噴き出したという、嘘のような本当の話です。

──すごいですね!温泉が吹き出す瞬間の想像がつきません。ぶわーっと吹き出したのですか?

吹き出す瞬間は見ていませんが、道端に温泉が管から流れ出ていました。その時、私はまだ子どもだったのですが、近所のおじいさんたちが浴槽を持ってきて道ばたで温泉に浸かっていたことをよく覚えています。私自身も、自噴する温泉に入りました。

肥料商だった祖父はとても信仰心深い人でした。湧き出た温泉は神様からいただいた「霊泉」だとして、「みたま(御霊)」の文字に「美」と「玉」をあてて名付けたんです。そして「地元の農家さんたちに英気を養ってほしい」という想いから「美玉の湯」を開業しました。

美玉の湯 外観

──温泉にはどんな効能があるのですか?

お風呂から上がると、お肌が驚くほどすべすべになりますよ!天然ラドンを含むアルカリ性単純泉で、透明感がありお肌にも優しいです。
毎日湯を抜いて、まっさらで新鮮な湯を湯船に満たしています。湧出する温泉に加温も加水もしない、本物の源泉かけ流しです。そのような温泉は、全国でも珍しいと聞いています。

石を枕にして寝湯もできる

──露天風呂もあると聞きました。

予約制で展望露天風呂「竜神の湯」を30分貸し切ることができます。那須連山、日光連山を背景に、眼下には清流那珂川と箒川の合流地点をお楽しみいただけます。

展望露天風呂「竜神の湯」

温泉にゆっくり浸かりたい方、ゴルフを楽しみたい方、ご家族で旅行を楽しみたい方…色々な方に訪れていただいています。里山の素朴な景色は、疲れた心をそっと癒してくれるでしょう。美術館や水族館など遊ぶ場所もたくさんあります。

また、近くに町の体育館があるので、剣道関係者の方にも多くご利用いただいています。慶應義塾高校剣道部の春合宿は毎年美玉の湯で行われており、実業団剣道部の合宿にもご活用いただいています。

美玉の湯近くにある地域の体育館での剣道合宿

ホテル美玉の湯は、里山の風景が美しい「小砂地区」にあります。この地区は「日本で最も美しい村連盟」にも加盟しているんです。那珂川流域には、観光やなが点在していて、夏から秋にかけて鮎を楽しめます。

歴史的な社寺仏閣や古墳、浮世絵や絵本の美術館、県営の「なかがわ水遊園」、道の駅、いちご狩りができる農園など、多くの観光スポットがあります。

140年続く塚本商会。時代に合わせ、地域貢献しながら変化

──塚本商会はどんな仕事をしているのですか?

塚本商会は140年続く肥料商です。私はその5代目ですね。

地元の生産農家さんに肥料など農業資材を販売し、お米やコンニャク芋といった農作物の集荷と販売の仲介を行う商売を代々続けてきました。

私の代からはハトムギ茶・粉の販売をスタートし、サプリメントの「クロレラミン」販売に力を入れるようになりました。

築100年を超える塚本商会

──ハトムギを扱うようになったのはなぜですか?

時代的な背景と地域の活性化、2つの理由があります。

お米の生産調整のため、水田面積の半分くらいはお米を作らず、他の作物に転作したり何も作らず管理されてたり、耕作放棄地といって、荒地になってしまうケースもあるのが現状です。そういった現状を鑑みて、お米に代わる作物を探していたんです。

塚本商会がある茂木町は、中山間地域で平地面積が狭く、大型機械を利用した効率的な農業がしにくい環境です。でもその代わり、山に蓄えられた水や、落ち葉の腐葉土で栄養豊富な土壌など栽培に良い条件もあります。そんな場所で栽培しやすい作物はないかと考えていました。

候補の一つに、ある時ハトムギが挙がりました。ハトムギは健康に良くて、休耕田で育てやすいと聞いたんです。

──ハトムギには、どういう健康効果が?

ハトムギは昔から「ヨクイニン」という漢方薬として利用されてきました。飲むといぼが取れたり、お肌が綺麗になるそうです。カフェインも入っていないし、非常に健康に良いんです。

休耕田でハトムギを育てる話が出ていた時期に、うちの子どもに水いぼが出来てしまい皮膚科に通っていました。「漢方薬を処方しますね」と言われ、出てきたのがハトムギだったんです。「お医者さんで処方されるほど良いんだ」と驚きましたね。

そこでハトムギを農家さんに作ってもらって、塚本商会が買い取って商品化することにしました。

これまでは、生産農家さんは肥料の販売先である「お客様」という認識でしたが、一緒に新しい価値を作り上げる、「ビジネスパートナー」という認識も必要じゃないかと考えたんです。

茂木町とその周辺にある「里山の宝」を形にして発信することで、地域活性化にもなりますし、何よりお世話になってる皆様のお役に立ちたかったんです。

──ティーバッグと粉タイプがありますね。違いはなんですか?

ハトムギを焙煎して砕いたものがティーバッグの商品です。焙煎粉をさらに微粉にしたものが粉タイプの商品ですね。ティーバッグのハトムギ茶は煮出したものを飲みます。焙煎粉はハトムギの全粒を食べられます。牛乳や豆乳にまぜて飲んだり、ヨーグルトやパンケーキに混ぜて食べても美味しいです。焙煎にも製粉にもかなりこだわって特別に作っているので、他にはないハトムギ茶、焙煎粉を楽しんでいただけると自負しています。

──クロレラミンはどんなサプリなんですか?

現代の食生活に不足しがちなビタミン、ミネラル、必須脂肪酸、食物繊維などを豊富に含んでいます。クロレラミンの原料であるチクゴ株クロレラは、栄養補給、免疫力強化、細胞活性化、デトックスなど、様々な効果が研究発表されています。

祖父の代から扱ってはいたのですが、そこまでプロモーションはしていなくて。あるきっかけで勉強会に参加して本当に良い商品だと気づき、私自身が飲むようになって効果を実感して、販売に力を入れるようになりました。とてもよいサプリメントで多くの方に愛用していただいています。

29歳の若さで買収先の社長に。社員と根気強く対話を重ねる

──運送会社も経営していらっしゃるんですね。

芳賀通運株式会社は、栃木県真岡市に拠点を置く伝統的な運送会社です。設立は昭和18年、地域の発展とともに歩んできました。

栃木県の工業生産は戦後、めざましく発展しました。農業中心の産業形態が変化し、高度経済成長期には県内各地に工業団地が整備されました。芳賀通運はそのような時代の流れの中で、農産物の輸送から、現在は工業製品の輸送・保管を中心に地域産業に貢献してきました。

2001年に芳賀通運が宇東梱包運輸を買収し、その会社に社長として着任、29歳から本格的に社長業を始めました。

──29歳で社長になられたんですね。大変そう。

めちゃくちゃ大変でしたよ!当時、宇東梱包運輸の社員は110人くらいで、ほとんどがドライバーや作業員など現場で百戦錬磨のベテランばかり。買収元の会社から来た、運送会社の経験もない29歳の若造に「社長です」と言われても、素直に言うことなんて聞いてくれるわけがない。

逆に「よし皆で団結してこっちの言うこと聞かせよう」みたいな雰囲気を感じました。

──どうやってコミュニケーションを取っていったんですか?

ひたすら話しを聴くことから始めました。毎日ドライバーが私のところに来て、自分たちの言い分を通そうと議論をしてくるんです。こちらも「はいそうですか」とは言えないので、ひたすら話しを聴いた後に、こちらの話しもじっくりしました。もう根競べみたいな感じですね。

強く印象に残っているのは、当時トラックに施されていた派手な装飾品の取り外しと、制服の着用をお願いしたことです。

制服を着ないで私服で仕事をするようなドライバーもいて「ちゃんと制服を着て仕事をしてほしい」とお願いしました。派手な装飾をしたトラックから私服で降りてくるコワモテのおじさんたちは、とてもまともな会社のドライバーには見えないですからね…。

──社長からのお願いはすんなり聴いてもらえたのでしょうか?

最初は難しかったですね。でも、なぜトラックに装飾をしたり制服を着ないのか、よくよく聞くと彼らには彼らなりの理由があったんです。

まず、トラックに装飾を施すドライバーは本当にトラックを大切にする人でした。あるドライバーが「トラックは俺の女房だ」と言ったんです。四六時中一緒にいるから、愛着も湧きますよね。でも、トラックはだんだん古くなっていくじゃないですか。ボロボロになった部分を隠すため「妻に化粧をさせてあげるような気持ちで装飾をしてた」と言うんですよ。

話を聞いて「わかった。まずは装飾を外してみてほしい」とお願いしました。すると、中から出てきたトラックは本当にボロボロでした。

「社長、これで走れっていうの?俺の言うことわかったでしょ」って。「ここまで働いてくれたのなら」と、トラックを買い替えました。制服も、見た目もかっこ悪いし、型が古いので作業しにくい作業服だったんですよね。だから彼らの要望を聞いて新しい制服に刷新しました。

──相手の言い分を聞いてからこっちの話をすると。

そうです。何の経験もない29歳の若造も、若造なりの社会経験があります。だから「社員みんなを守るためには、やらないといけないんだ」と諦めずに対話を試みました。

相手の言い分をよく聞いて、とことん話し合って、少しずつ変えていきました。結果、社員は1人も辞めなかったし、お客様とも長くお付き合いいただいています。

剣道で培った「間合い」を感じる力。学生時代の主務経験は今も役立つ

──人間関係を築く上での秘訣は?

剣道において、間合いは非常に重要ですよね。だからと言って、普段から特段間合いを意識していたわけではないのですが、ある時、普段の生活にも仕事の中にも「人と人の間合い」があると気づいたんです。

「間合い」にも物理的な間合いと、精神的な間合いみたいなものがあるなと感じるんです。

物理的な間合いは人との距離感ですよね。遠すぎず近すぎずですが、場合によっては意識的に距離をとったり、逆に意識的に近づいたりします。物理的な間合いが精神的な間合いにつながるのかなと感覚的に思います。

それによって、この人と一緒にいるのが、心地よいなと感じたり、ちょっと威圧感を感じたり、逆に親密性が高まったりする。「間合い」を自然と意識しているのは、やはり剣道で培ってきた感覚なんじゃないかと思います。

──剣道を始めたのはいつですか?

小学校4年生の頃です。そんなに厳しい道場ではなく、友達と一緒に週2回通っていました。中学受験をして中学から大学までは慶應義塾に通い、ずっと剣道部に所属していました。高校時代はキャプテン、大学では主務をやらせていただきました。

主務として100名近い剣道部の組織運営に携わった塚本社長

──大学剣道部時代の思い出は?

慶應義塾の剣道部では、現在の仕事や人生に直結する貴重な経験をたくさんいただきました。

思い出も数えきれないくらいありますが、やはり大学4年生の最後の早慶戦(慶應では慶早戦と呼びますが)に向けて一生懸命稽古し、母校を背負って早慶戦の舞台で戦えたことが一番の思い出です。

また、先生方やOBOGの先輩方にご指導いただきながら、主務として組織をマネジメントした経験は人生にとってめちゃくちゃ大きいです。仕事にも活きていると実感することが多々あります。

大学卒業を控えた年末年始には、ドイツで剣道の指導をされる先生にお誘いいただき、防具を持ってドイツにお供させていただきました。初めて海外で稽古して合宿にも参加し、仲良くなったスイス人剣士たちと一緒にスイスでスキーをした思い出も忘れられません。楽しすぎて2ヶ月後の卒業旅行も同じところに行きました(笑)

──海外で稽古して印象的だったことは?

剣道を通して世界の人たちと繋がれたことに、ものすごく感動しました。剣道の合宿に参加するような人たちは日本文化に強い愛情を持ってくれています。剣道をはじめとした日本文化にも強い興味があり、質問攻めにあったんです。そういう人たちと剣を通して交れたことは、かけがえのない経験でした。

商売を通して地域社会を豊かにし、そこに住む人たちを元気にすること

──仕事をする上で大切にしていることを教えてください。

会社経営に携わって20年が経ちましたが、その経験の中で実感していることがあります。

私たちのような地方の中小企業は、「地域に生かされている」という認識を持たなければいけないということ。

地域社会が元気でないと、そもそも会社の存在する土台が崩れてしまいます。

──「地域社会が元気」というのは、どういう状態でしょうか?

その地域に住む人たちが元気であるということです。地域に住む人たちとは、地域の会社や取引先の社員と家族です。つまり、社員やその家族が物心ともに豊かになることが、地域社会も会社もずっと続いていくために一番重要なんです。

だから「社員を大切にする」ことは、「そういう時代だから」ではなく、私たちのような地方の中小企業にとって永続のために最も重要な要素なんだと思います。

──すごいですね。その時代が持つ雰囲気とは別の、普遍的な要素なんですね。

いくらうちの会社が売上げや利益をあげても、地域に人がいなければ意味がありません。

私は40歳まで地元の青年会議所に所属していました。地方では、いろいろな青年団体が、お祭りや、子どもやご家族が喜ぶようなイベントをやったりしますよね。お祭りが好きだから、子どもが好きだからやっているのかもしれませんが、それだけではありません。子どもたちにこの地域を好きになってほしいんです。

大好きな故郷だから大人になっても帰ってきて「ここで生きていきたい」と思える地域社会をつくっていかないと、自分たちの会社の土台がなくなってしまうんですよね。

だから、商売を通して地域のみんなが豊かになることをイメージしないと、きっと商売は長続きしません。

──塚本社長ご自身も、この地域が好きなんですね。

「きれいごとだ」という人もいます。やっぱり企業は売上げと利益が第一優先だと。

もちろん会社の存続のためには売上げと利益は絶対必要な最低条件です。でもそれだけでは、十分ではない。

例えば、田んぼをイメージしてみると、田んぼからお米を収穫しつづけるためには、田んぼに肥料などの養分をちゃんと補給していかなければなりませんよね。田んぼに養分をあげず、収穫ばかりしていたら、どんどん土壌はやせ細って作物はできなくなることは、簡単に想像できると思います。

地域も同じで、地域の経営者が地域のことを考えながらいろいろ活動していくことが大切です。ましてや地域が痩せ細っていくような商売だったら、あっという間に行き詰ってしまうのではないでしょうか。

もちろん上手くいくことばかりではありません。むしろ上手くいかないことばかりです。地方の高齢化と少子化は深刻ですし、会社を取り巻く環境は厳しさを増すばかりです。

でもだからこそ、社内はもちろんいろいろな方々と知恵を出し合って、解決策を模索して、あきらめずに実践を続けていくのが経営者の仕事だと信じています。

社員一人ひとりを人生の勝利者にすることが、オーナー経営者の使命

──素敵ですね。青年会議所ではどんなことをされてたんですか?

地域貢献活動だけではなく、同じ志を持つ方々と勉強会をしたり、経営の大先輩からアドバイスをいただくことも多々ありました。

──なかでも印象に残っていることを教えてください。

全国の青年会議所の仲間と、経営やリーダーシップの勉強をする機会をたくさんいただきました。地域密着で素晴らしい会社経営をする経営者の方々の現場を訪問して、見学をさせていただいたり、お話を聴かせていただく機会にも恵まれました。

なかでも「私の使命は社員一人ひとりを人生の勝利者にすること」と断言した経営者の方のお話が一番印象に残っています。

「地方のオーナー経営の継承者は、能力があるから社長になったというより、たまたま跡取りとして生まれたから経営者になるケースが多い。だからスタートラインが他の社員よりもずっと先にあるんじゃないか。『社員を人生の勝利者にする』ことで社員とやっと同じスタートラインに立てる。そして、これはオーナー経営者に課せられた使命だと思っている」

崇高な志と、それを地方経済の難しい環境の中で実践されている姿に衝撃を受け、時間はかかるかもしれないけど、少しでも近づくように一歩一歩前進していこうと強く思いました。

本当に「いい会社」を目指して

──今後の展望について教えてください

まずはいつの時代にもお客様に必要とされる会社でありつづけることですね。

芳賀通運の社員とよくこんなことを話します。

「物流は経済の主役ではないけど、経済や生活に欠かせない大切な仕事どんな時代になってもなくならない仕事だ。しかし、だからと言って芳賀通運がずっと続く保証はどこにもない。時代の変化に合せて、お客様に必要とされる物流サービスを提供すること。仕事を通して世の中に貢献し続けることが私たちの使命なんだ。」

グループの各会社が、それぞれのお客様や地域社会に役立つ会社を徹底的につくることが重要だと考えています。

そして、会社経営を通じて「物心ともに」社員を幸せにすること。社員が「この会社で働けて良かったな」と感じてくれるような会社にすれば長続きもするし、社会貢献にもつながります。そのためにも一歩一歩着実に、前進していける良い会社を作ること。そういう会社をずっと続けていくことが私の夢です。

実は何年か前に、「基本理念」「芳賀通運の目指す姿」「経営基本方針」「行動基本原則」を作ったんですよ。

──素晴らしいですね!

でも、社員にこれを見せたら「今のうちの会社と真逆じゃないですか」と言われてしまいました(苦笑)

芳賀通運は父が社長になって平成の30年間に売上げを伸ばし、栃木県内で中堅の運送会社から最大規模の運送会社に成長しました。ある時にベテラン社員に、芳賀通運が県内最大規模の運送会社になったことについて、どう感じているか聴いたことがあるんです。「何も変わらない」と「むしろ昔の方が気楽でよかった」みたいに言われて衝撃を受けたことを覚えています。

社員にとっては、会社の売上規模がいくらとか、県内でNo1とか、実はどうでもよくて、それってもしかしたら経営者のエゴなのかもしれないと感じました。それよりもむしろ社員一人ひとりのお給料が上がったり、働きやすい環境になったりすることの方がずっと重要だと。

「いい会社」って、売上規模とかそんなことではなくて、社員一人ひとりが物心ともに豊かになって活き活きしてて、「うちの会社いいよね」って言ってもらえて、さらに地域社会からも「あの会社いいよね。うちの子どもも入れたいね」と言われる会社だと強く感じました。

でも、こんなこと言っていて、実際はまだまだできていないことの方が多いですが…。あきらめずに時間がかかっても、「いい会社だよね」と言ってもらえる会社を作っていくことが、私の仕事だと考えています。

──「うちの会社と真逆ですね」と、社長にはっきり言えるくらい、社員の方々と信頼関係があるのだなと感じました。訪問した際、社員全員の方が立ち上がって挨拶してくださった光景は非常に印象的です。今後のご活躍を祈念しております!

住所〒321-4367
栃木県真岡市鬼怒ケ丘8−3
電話0285-82-5161
営業日09:00~17:00

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