高校3年生の夏休み後に父親が蒸発し、さらにその冬には阪神・淡路大震災で被災。抜群の剣道センスを持ち、名門・育英高校で活躍した川畑さんは、卒業を機に20年もの間、剣道から離れていました。
若い頃はヤンチャな遊びも嗜み、徐々に中古車販売の仕事を開始。子供がきっかけで剣道を再開し、現在は地元の剣道道場の代表を務めます。さらに青少年の更生も行なっているというので驚きです。
「社会貢献をしよう」と意気込むわけでもなく、自然と相談事が集まり、自然に対応しているように見える川畑さん。これまでの人生の歩み、お仕事や社会貢献活動、そして少年剣道の活動と夢について伺いました。
プロフィール
川畑 智(かわばた・さとる)
1976年、神戸生まれ神戸育ち。育英高等学校を卒業後、凸版印刷に入社。その後、建築業で働きながら中古車販売をスタート。現在、中古車販売のオートサービスサムライプロ代表、建設業のSAMURAI-PROの代表を務める。仕事の傍ら、青少年の更生にも関わっている。
剣道は20年近く中断していたが、子供の影響で再開。神戸枝吉 己勝館代表。2021年現在、四段。
>>『オートサービスサムライプロ』ホームページ:
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父の蒸発と震災…高校卒業後すぐに働きに
──お仕事内容を伺ってもいいですか?
神戸市西区で中古車の販売・買取・修理、そして建築系の人材派遣を行なっています。
中古車の仕事では、オークション会場に出向いて車を仕入れたり、日本全国から査定を受け付けています。
──なぜ中古車販売を始めたのですか?
もともと車が好きだったんです。僕が若い頃はVIPカーが流行っていて、高級車をチームでドレスアップしたりしていました。大黒埠頭に集まって色々遊びましたね。チームで活動していると取材が来るので、雑誌に載ったりVHSビデオに出たこともあります。
そうしているうちに車に関する知り合いや知識が増え、徐々に仕事になっていった感じです。
──建築系のお仕事もされているのですね。
はい、高校3年生の時に阪神・淡路大震災が起こり、その頃から建設現場で働き始めました。うち、現役の時に父親がいなくなったんですよ。だから学校に申請して在学中から働いていました。
──お父様が蒸発してしまわれたのですか?
はい。高校3年生のインターハイ予選が終わり、玉龍旗から帰ってきて、夏休みが終わってすぐの出来事でした。ある日、家に帰ったらもう鍵が変わってて、全部差し押さえられていたんです。
2日くらい家がなくて、3日目に母と妹と一緒に親戚の家に行きました。2ヶ月そこに住まわせてもらって、バイトしてお金を貯めて、家賃3万円のアパートに家族3人で引っ越ししたんです。
高校を卒業したらすぐ凸版印刷の工場に勤めました。2年ぐらいですかね。その後、工場をやめて大工の仕事を始めました。当時はまだ震災の爪痕が残ってたので、仕事はたくさんありました。
いまは職人としては働かなくなりましたけど、仕事の相談は来るので建築系の人材紹介を行なっています。
仕事を通じて青少年の更生に貢献
──青少年の更生もなさっていると聞きました。
そうですね、なぜか人づてに電話がかかってきます。
「今度中学出る子で、卒業式も出んと少年院入っとる子おんねんけど、出てきたら、そっちで面倒見てくれ」とか「裁判に立ったってくれ」とか。特に募集してないんですけどね(笑)
──不良だった少年たちは、どうやって更生していくんですか?
働くのが一番ですね。仕事を教えるのが一番手っ取り早いです。
働くと、まず環境が変わります。遊ぶ仲間が変わるんですよ。そして自分の銀行口座に自分で稼いだお金が入ってくるようになると、仕事に夢中になっていきます。
──どんなお仕事を教えてるんですか?
建築業全般ですね。大工さん、解体屋さん、足場屋さん、塗装屋さん、水道屋さんなどさまざまです。料理人になった子もいますよ。
──どういう繋がりで受け入れることになるんですか?
それが不思議で、よくわからないんです。
でも昔から、友達がよく僕の家に集まってきていました。うちの親がうるさいこと言わない大人だったからかもしれません。家出した子達が集まってきたり、団地内で喧嘩の声が聞こえたと思ったら、ガタガタ階段を駆け上がってくる音が聞こえてきたり(笑)
育英高校では、惜しくもインターハイ予選で敗れる
──剣道はいつから始めたんですか?
4・5歳の頃ですね。近所に住んでいる、団地の先輩たちの影響です。彼らが防具を担いでいくのを見て始めました。
小学校の頃から、強豪校に行きたいと考えていました。
──その頃から剣道が好きだったんですか?
好きでやったことは一度もないですね。負けず嫌いで、やる以上は負けたくなかったんです。
──忘れられない剣道の思い出は?
高校のインターハイ予選です。育英の7連覇がかかった試合で、僕ら育英高校は滝川第二高校に敗れました。スコアは1−1、代表戦で負けたんです。インターハイ行ってたら人生が変わってたかもしれませんね。うちの代の全員が。
試合後、先生に「お前やったら勝ってたか?でも俺はお前の努力を認めてない。お前では後悔しか残らないから、最後は託せなかった」と言われたんです。先生はもう忘れてしまったんですけど(笑)
学校の近くの山を走るにしても、僕は途中でサボって2年生が戻ってくる頃に合流したりしてました。そういうええかげんなところが、先生にもバレてたんだと思います。
子供がきっかけでリバ剣。現在は己勝館の代表を務める
──じゃあ、少なからずやり残した感はありますか?
ありますね。国体も「大学行かないんだったら譲ってやれ」と言われて選考会に出てないんです。
──お父さんがいらっしゃったら大学に進学してましたか?
いえ、そんなことはないですよ。家にお金がないのはわかってたので。
──高校卒業後は剣道は全くやってなかったのですか?
そうですね、卒業後に勤めた凸版印刷は実業団が有名ですが、僕は剣道部のない関西に残りました。だから40歳まで剣道はずっと中断していて、四段も最近取ったんですよ。僕二段で剣道やめてたんで。
──お子さんが剣道を始めるタイミングで再開したのですか?
はい、5年前に再開しました。息子が剣道やりたいというので、たまたまネットで見つけた道場にいってみたんです。そしたら、育英高校から法政大学に進学した選手のお父さんが運営する道場でした。
入門して3年で代表の先生が引退することになり、「代わりに代表になってほしい」と言っていただき、現在は代表を務めています。
──道場の代表としてどんなことをしてるんですか?
試合を組んだり、体育館を借りたりとかですね。
最近はコロナの影響でできませんが、3年前は鹿児島、茨城、横浜に出稽古に行きました。横浜に行った時は、わざわざ同級生が来てくれてホテルの前で一緒に飲んだりして楽しかったですね。
育英の先輩の紹介で鹿児島の大会に呼んでいただいたり、福岡如水館に出稽古に行かせてもらったこともあります。
育英高校はみんな愛校心が強くて、仲が良いんですよ。剣道とは関係のない人でも、あっちこっちに育英の卒業生がいて繋がります。居酒屋に入ったら大将も育英の卒業生で、「おまえ育英の剣道か!それならまけたったろ」って言われた、なんてこともたくさんあります。
僕、人を家に連れて帰るくせがあるんです。自宅に友達を呼ぶのが好きで。嫁さんには「やめて」って言われるんですけど(笑)ある時、育英の集まりがあって、何人かうちに泊まったんです。そしたら「育英の剣道部はすごい。お布団めちゃくちゃ綺麗に畳んでる」と嫁さんに驚かれました。
──ちなみに、その後お父様とは再会されたのですか?
はい、実は10年前……35歳くらいの時に、突然病院から電話がかかってきたんです。「川畑さんはあなたのお父さんですよね?」って。ええっ?って(笑)
父は大腸癌を患っていました。手術をするのにどうしても誰かのサインが必要だったんです。本当に驚きましたが、電話越しに「痛い痛い」って声が聞こえてきて、それで病院に行ったんですよ。いまも父の面倒を見ています。
──どうしてそんなに心が綺麗なんですか?
そんなん言われたことない(笑)
──すみません、質問を変えます(笑)「どうして自分だけ」とか、腐ってしまうことはありませんでしたか?
ないですね。嫌じゃないですか。腐ったら負けというか…。僕ええ生活したいですもん。
それに誰でも助けるわけじゃないですし。知らない人は助けへんと思うけどな(笑)誰かが「助けて」って寄ってきても、自分にできることしかしないですよ。嫁さんには「変なんばっかり寄ってきて、そんなんしたって一緒やで」って言われますけど…。
あとは、「あかん時は誰も助けてくれない」と、肝に銘じてます。いい時は人がいっぱい寄ってくるけど、しんどい時は誰も助けてくれません。自分の人生は自分でなんとかするしかない、という気持ちは常にありますね。
仕事にも私生活にも、剣道が良い影響を与える
──仕事をする上で大事にしていることはありますか?
なんやろうなあ…「お金を追わないこと」かな。ガツガツすると逃げるもんね。お金は後でついてくるもんやと思って働いています。
あとは、お客さんや友達…人を大切にすること。もともと中古車販売は車が好きで始めたんですけど、いまは色々な方に出会えることに大きな魅力を感じています。
──剣道に関しては何か夢はありますか?
いつか剣道道場を建てたいですね。持ち道場があれば、うち主催で練習試合や合宿を企画できます。体育館や宿泊施設の費用など、遠征にはお金がかかりますが、持ち道場があれば限りなく無償で提供できるじゃないですか。維持費はかかるかもしれないけれど…。
西区のあたりで「子供たちのためなら、この土地を使いなさい」という方がいましたらぜひお声がけください(笑)
──素敵ですね!剣道は仕事や私生活にも活きていますか?
ええ、それはもう。うちは子供が2人いて、1人はまだ1歳なので、あと15年は剣道せなあかんと思ってます。少年剣道のおかげで楽しい老後になりそうです。
中古車販売の仕事は剣道関係の皆さんにご相談いただくことも多く、ご縁に本当に感謝しています。日本全国対応してますので、お店のホームページからぜひ連絡いただきたいです。特に車を売りたいという方はお気軽にご相談ください!
──「やり残した」とおっしゃっていた剣道を今は全力で楽しまれていると感じました。道場を持ちたいという夢もとても素敵です。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございました!
住所 | 〒651-2116 兵庫県神戸市西区南別府3丁目-10-5 |
電話 | 078-767-8088 |
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