温暖で過ごしやすい気候として知られるアメリカ・カリフォルニア州。かつて日本企業の駐在員として当地を訪れた水橋正樹さんは、その土地、人に魅了され、移住を決意しました。企業勤務時に水橋さんが携わっていた仕事は、加工食品の原料をアメリカから日本へと輸入すること。アメリカ移住後は会社員時代のノウハウを活かし、アメリカから日本へと食品原料を輸出する会社を興しました。
日本の食卓を支える事業家であるのと同時に、異国アメリカで稽古を積む剣道家でもある水橋さん。ともに剣道をはじめた長男・飛雄悟(ひゅうご)さんは全米ジュニアチャンピオンに輝き、この春、筑波大学に入学したアメリカ剣道界期待の若手選手です。
事業家としても剣道家としても異色の経歴を誇る水橋さんに、ご自身のこれまでの歩みを尋ねました。

プロフィール
水橋正樹(みずはし・まさき) 1963年4月3日 東京都生まれ。東亜学園高校(東京)から建築系の専門学校に進学するが、縁あって大手飲料メーカーの関連会社に就職。加工食品原料輸入に関する業務に従事し、海外駐在を経験。アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス駐在時に現地を気に入り移住を決意。勤務していた会社を退職し、加工食品原料輸出を事業とするJMAC Trading Inc.を設立する。剣道は50歳から、アメリカ・トーランス道場で始める。現在段位は三段。
JMAC Trading Inc.
https://jmactrading.com
https://crystalnoodle.com
※Crystal Noodle:水橋さんがアメリカで販売されている春雨インスタントヌードルのサイト
日本人の魂を忘れないために。
50歳から息子と歩みはじめた剣の道

取材時は長男・飛雄悟さんの筑波大学入学のために来日中だった
―― アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス在住という水橋正樹さんですが、ご自身が剣道を始めたのは?
私は現在62歳ですが、剣道を始めたのは50歳のとき。そのきっかけとなったのは息子の存在でした。私には息子と娘がいて、妻もまた日本人なのですが、やはりアメリカでずっと生活しているとなかなか日本人や日本の文化に触れる機会はどうしても少ないんです。はじめこそ私も妻も家庭内では日本語を使っていましたが、やはり子どもたちのことを考えると学校や家庭外での普段の生活では英語が中心になります。となると、どうしても家庭内でも英語でのコミュニケーションをメインにせざるを得ませんでした。しかし、日本で生まれ育った私たち夫婦からすると、やはり子どもたちが完全なアメリカ人になってしまうことにはどうしても寂しさを覚えた。そこで息子には何か日本の武道でも習わせて、日本人の魂というものを植え付けられないものかと考えるようになったんです。
そんなタイミングでちょうどテレビで放映されていたのが、NHKが制作した栄花直樹先生のドキュメンタリー番組「ただ一撃にかける」でした。それまで私自身は剣道はまったくの未経験でしたが、番組を観た結果、「剣道ってカッコいいな」と感動した。息子にはぜひ剣道を習わせたいと思って家から一番近い剣道場に足を運びました。息子は当時7、8歳でしたが、そこで彼といっしょに私もその道場に入門することにしたんです。入門したのはトーランス道場というところで、そこの指導者にはアメリカ代表として世界選手権大会で活躍したクリス・ヤング先生とダニエル・ヤング先生のヤング兄弟がおられて、いまの道場のメンバーにも現役のチームUSAの選手が多いんです。
―― アメリカを代表する強豪道場に入門したんですね
そうなんです。でも私自身、当時は剣道の知識なんてまったくないので、トーランス道場に行ったのは本当に偶然のこと。自宅からもっとも近い道場を選んだら、そこがトーランス道場だったんです。
―― 今回は日本でインタビューをさせていただていますが、今回来日されたのはご長男の大学入学があったからだそうですね
私といっしょに剣道をはじめた長男、水橋飛雄悟という名前の息子ですが、18歳になる彼が今年の4月から筑波大学に入学して剣道部にも入部したんです。クリス先生、ダニエル先生のお2人は学生時代に筑波大への留学経験があり、現男子監督の鍋山隆弘先生ともご縁が深かった。そんな関係から鍋山先生も定期的にアメリカにいらっしゃることもあり、私たち親子もまた鍋山先生にご指導いただく機会を与えていただきました。息子が剣道を始めたばかりの頃、鍋山先生からは「稽古を頑張って将来は筑波大に来い!」なんて声をかけていただきましたが、今回それが現実になったわけです。筑波大剣道部は日本でもトップの強豪校ですから、私も息子には「筑波大に入るにはどこかのタイミングでUSAチャンピオンになれなければ厳しいよ」とは伝えていたんですが、昨年、息子が全米ジュニア選手権大会で優勝することができたということもあって、彼を筑波大に送り出すことにしました。
―― 息子さんは将来有望な選手のようですね
恩師であるクリス先生、ダニエル先生も過去に筑波大での稽古を経験されていますが、そんなお2人であっても当時は留学生としての参加。一方、息子の場合はみっちり4年間を筑波大剣道部で過ごすことになりますから、私も息子自身もこれはかなりチャレンジングなことだと考えています。実際のところ、就職において将来的にアメリカで働くことを考えると、学歴として日本の大学卒業ではやはりなかなか働き口が見つからないのが現状なんです。しかし、幸い私自身が自分で商売をしていることもあって、もちろん息子本人の希望次第ではありますが、将来的には私の会社で働くこともできなくはない。だから私も今回は思い切って息子の背中を押すことにしました。

同道場の指導者を務めるのは、アメリカ代表選手として世界選手権大会で活躍を収めてきたクリストファー・ヤングさん(写真左)。
クリスさんの指導のもと、飛雄悟さんは全米ジュニア選手権大会で優勝するまでに成長した
仕事も剣道も生涯現役宣言。
そして「妻との旅行を人生の楽しみに」

―― お仕事の話題が出ましたので、ぜひ水橋さんの経営されている会社のお話をうかがえれば
私はいま食品原料の輸出業の会社を営んでいます。たとえばビールのモルトであったり、フルーツジュースや野菜ジュースの原料などを、飲料メーカーさん、食品メーカーさんに輸出するのが私の仕事です。取引先にはベトナムやタイなどの東南アジアの企業もありますが、やはりメインとなるのは日本のメーカーさんですね。
もともとは私自身、日本の飲料メーカーの関連会社に就職して食品原料の輸入業務に携わっていたんです。海外出張の機会も多く、そこでアメリカ駐在のチャンスが巡ってきました。アメリカで生活するうちに、こちらならではの快適な気候やそこで暮らす人たちのノリが非常に気に入ったところで、日本の会社から「戻ってこい」と言われた。駐在も10年になりましたし、アメリカの住みやすい環境から離れるのが本当に惜しくて、そこで思い切って会社を辞めて独立することにしたんです。会社員時代の人脈やノウハウを活かして、今度は輸入する立場から輸出する立場に変わって既に23年。会社の規模としては決して大きくはありませんが、おかげさまでなんとか食べていけるだけの経営はできています。
―― 水橋さんが輸出されている原料を、日頃日本で暮らす我々が飲んだり食べたりしているわけですね
はい、それは間違いなく。取引についてはメーカーさんと直接のやり取り、代理店である商社を経由してのやり取りとそれぞれありますが、数多くの日本のメーカーさんに私が取り扱った原料を使っていただいています。たとえば最近特に多いのがキャロットジュースに使用される人参で、これは量的にはおそらく世界で一番動かしているんじゃないかと思います。
―― 海外産の原料にはどのような特徴があるのでしょうか?
まず日本産の原料にはやはり繊細さと言いますか、細かな微調整が効くという点は非常にすばらしいところ。一方、アメリカの場合はなかなかそれが効かないという特徴がありますが、そのぶん収穫できる量が違います。畑のサイズひとつを比較してもやはりアメリカは格段にスケールが大きい。大量生産ができるだけにコストも下げられますし、日本もいま国内生産だけの原料では賄え切れていないのが現状ですから、今後も海外から輸入される農産物がなくなることはないでしょう。原料を扱う、という一見地味な仕事ではあるものの、私自身は「食」という大事な産業に携わっているという自覚をもって取り組んでいます。
―― お仕事のどのような部分に魅力を感じますか?
やはり何千トン、何万トンというダイナミックな数字を動かすことにはおもしろさを感じますね。そして、最終的に商品となったときに、私自身の顔や名前がどこか表に出ることはないけれど、皆さんが口にする食べ物、飲み物に自分の取り扱った原料が入っているという事実には誇らしさも感じています。

―― そもそもどういったきっかけでいまの業界で働くことになったのですか?
もともと「食」こそ好きではありましたが、それを仕事にしようとはまったく考えていませんでしたね。私は東京都練馬区の出身で、実家は建築関係の会社を営んでいたんです。先ほどお話したとおり、日本で生活していた頃は剣道にはずっと縁がなくて、当時ハマっていたのはサーフィンでしたね。高校を出たあと、建築系の専門学校に進学しましたが、私は次男だったこともあって実家の会社は兄が継ぐことになった。
そこで趣味のサーフィンにさらに没頭するようになって、当時は数ヶ月に1回のペースでインドネシアのバリ島にまで行っていたんです。いっそこのままバリ大学に進学しようか、と思い、その準備のために日本に戻ってきたところ、縁あって就職したのが前に勤務していた飲料メーカーの関連会社だったんです。会社に入れば海外出張も多くて、英語もそこで自然と覚えるようになりました。結果的に会社を辞めてアメリカに移住することになるわけですが、特にそこでも大きく悩むことはなくて、もう実家の会社も兄が継いでいましたから、家族には「あとは自分だけで好きにやるよ」と伝えて、以降はアメリカで生活するようになりました。
―― 奥様は日本の方だとうかがいましたが、どちらで知り合われたんでしょうか?
妻は京都生まれ京都育ちの日本人で、もともと航空会社のCAをやっていたんです。出会ったのは日本で開催されたフードショーで、私はロサンゼルスからそのフードショーに出店していた。彼女はその場に通訳として来ていて、私といっしょに出店していたアメリカ人男性が彼女の友だちを気に入って食事に誘ったのがきっかけ。私と妻はそれぞれの友だちとしてついて行って、オマケで行った2人が結果的にいっしょになったんです(笑)。私自身はロスに暮らしていましたけれど、彼女も仕事でシアトルやサンフランシスコに来る機会がありましたから、その都度私も現地に飛んでデートを重ねたんです。仕事柄、英語は彼女のほうが私以上にできていましたから、結婚してアメリカで暮らすことにもなんの問題もありませんでしたね。
妻の実家はまだ京都にありますから、夏には子どもたちを1ヶ月以上そちらに預けて学校にも通学させて、日本文化や日本語に少しでも慣れさせることもできた。だからいま子どもたちが喋る日本語は京都弁なんです。また、これは本当に偶然で驚いたのですが、妻のお父さんが京都で剣道をやられていた。そのご縁もあって息子も日本に滞在している期間は京都武徳殿での稽古に参加させていただいているんです。
―― 京都での稽古もそうですが、筑波大剣道部とのつながりなど、お子さんは貴重な経験を積んでいますね
本当にそう思います。筑波大剣道部には2023年11月に一週間稽古に参加させていただきましたし、イタリアで開催された第17回世界選手権大会にもアメリカの若手育成のためにチームUSAに帯同させていただいた。そこではやはり日本の先生方、選手の方々とも交流させてもらって、多くの方にかわいがってもらっていたようです。これはおそらく日本で普通に剣道をやっている若手剣士ではなかなか経験できないこと。アメリカにいたからこそできたことで、そういう意味では息子はとてもラッキーだったと思います。

―― 水橋さんご自身の稽古はいかがでしょうか?
剣道はもう10年ほど続けてきましたが、もう歳も歳なんで体のあちこちが痛いですね(笑)。それでも楽しくやらせてもらっていて、稽古は週に2回やっています。アメリカでは毎月どこかしらで試合があるので、そちらも出られるものには積極的に出場しています。トーランス道場にはシニアメンバーもいるので、いわゆるオヤジチームで試合に出るんです。試合となると緊張感もあってアドレナリンが出ますからやはり興奮する。とにかくケガだけには気をつけつつも、試合ならではの雰囲気も楽しんでいます。
私自身が剣道を続けてきてなにより良かったと思うのが、家族と触れ合う時間が得られたこと。とくにアメリカで剣道をやるとなると息子といっしょに稽古に出かけますし、試合となれば家族全員で応援に行く。おそらく普通に日本で生活している10倍ほど多くの時間を家族みんなで過ごせたことは、アメリカという土地で異国文化の剣道をやっていたからこそだと感じています。

異国のアメリカで剣道に取り組んだからこそ、家族全員がそれぞれを支え合うことができた
―― それでは最後に、お仕事、剣道について、水橋さんの今後の展望をお聞かせいただければと思います
剣道は体力が続く限りやっていきたい。もちろん試合にも昇段審査にもチャレンジを続けていきたいですね。
仕事については、こちらも剣道と同様で、生涯現役というか、生涯担当者でありたいと思っています。実は昨年の秋から新しい仕事が加わりまして、取引先だった日本の会社があるのですが、その経営者の方がリタイアされるということで私が事業を引き継ぐことになったんです。そんな新しい変化もあるので、まだまだ頑張らなければいけないですね。
剣道と仕事以外にも、私には人生の目標もあります。今回息子が無事に日本で大学に入学して、これはこれで家族としてはひと段落したところですが、その下の娘はまだ高校生2年生になったばかり。彼女は剣道ではなくチアリーディングをやっていて、これがまた部活動が毎日あって忙しい日々を送っています。おそらく娘はアメリカの大学に進学すると思うのですが、やはり親としては息子も娘も社会に巣立つまではしっかりと見守っていきたい。仕事も剣道も継続し、子どもたちの将来を楽しみつつ、私が目標としているのは妻といっしょに、最低年に1回のペースで、海外旅行をすることなんです。幸いなことにいまのところはそのペースであちこちの国に行くことができているので、今後も可能なかぎり世界中を旅してみたいです。


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