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“あなたの刀と戦略が輝く未来を切り拓く”「侍ノ修行」で再起を図る (西田拓馬、藤田征也/侍ノ修行 共同代表)

2023年6月に突如としてスタートした「侍ノ修行」というサービスがあります。
奈良県吉野の林を木刀を手に駆け抜け、ときにお寺で瞑想にふける。二泊三日の非日常体験を通して、自分の「刀」と「戦略」を見つける「侍ノ修行」を運営するのは、二人の若き剣道家でした。

西田拓馬さんは育英高校(兵庫)、藤田征也さんは高千穂高校(宮崎)とともに強豪高校の出身で、二人は関西学院大学剣道部の先輩後輩の間柄。大学卒業後はそれぞれ社会人としての人生を歩み出していた二人が、なぜ「侍ノ修行」を開始することになったのか。

その背景にあったのは、自己成長を望みながらも、息苦しい現実に悩む人々の存在と、そんな人たちに自分を書き換える「気づき」を提供したいと願う二人の想いでした。

プロフィール

(にしだ・たくま)1995年兵庫県生まれ。旧姓・崎野。育英高校(兵庫)から関西学院大学へと進学。大学卒業後、経営コンサルティング会社に勤務し、その後は独立。現在はフリーランスとして活動しつつ、「侍ノ修行」を立ち上げた。自身の主な戦績にはインターハイ団体3位、全日本学生選手権大会出場などがある。剣道四段
(ふじた・せいや)1996年兵庫県生まれ。高千穂高校(宮崎)から関西学院大学へと進学。大学卒業後は企業に就職し、実業団剣士として活動。企業への勤務を継続しながら「侍ノ修行」を立ち上げた。自身の主な戦績には全国中学校大会団体3位、全国高校選抜大会3位、関西学生優勝大会3位、全日本学生優勝大会出場などがある。剣道三段
侍ノ修行
HP:https://www.samurainosyugyo.com
lit link:https://lit.link/samurai6rewrite

普通の生き方では答えが出せない。
自分なりの答えを出し続けるために。


──自分マーケティング☓体感型コーチングを謳うサービス「侍ノ修行」。2023年6月よりサービスがスタートしたそうですが、共同代表である西田さん、藤田さんにこのサービスの内容や背景にある想いをおうかがいしたいと思います。お二人は大学剣道部の先輩、後輩の間柄だそうですね。

西田 二人とも関西学院大学剣道部で私が先輩、藤田が後輩となります。

 サービスのメインとなるのは「侍」をコンセプトにした少人数の合宿で、奈良県吉野郡で二泊三日の日程で行ないます。6月にスタートして、一回目は四人の、二回目は三人の参加者があり、いまはちょうど第二回目の合宿を終えたところです。

──ホームページを拝見すると、かなりのインパクトですね。

西田 合宿を行なう奈良県吉野は、世界遺産にも登録されているほどの美しい大自然で、社会の喧騒から遠く離れた場所です。合宿では、参加者が「刀」を手に取り、お互いに真剣に斬り合います。

藤田 「斬り合う」と言っても「当てられたら負け」という設定にして、使う「刀」については竹刀や軽い木刀、重い木刀など6種類ほど準備をしています。それらは自分自身の個性や強みの比喩でもあって、参加者それぞれが自分にあった刀を選びます。独特な緊張間の中で咄嗟に出てしまう、自分の身体の動きや心の動きは個人の特徴を知るきっかけになりますね。いかに自分の特徴を知り、自分にあった「刀」で戦うことが重要か身をもって体感してもらいます。

西田 その非日常の体験から見つけた自分の特徴を「刀」に変えて、自分の目標に対してどのように使っていくか。「戦略」を言語化して明確にしていくサポートをします。

 また、体感だけではなく「頭の使い方」「マーケティングの技術を使った自分の活かし方」など約150ページの資料と10時間ほどの講義もあり、頭と身体をフルに使ってもらいます。当日のカリキュラムも非公開で、参加者はどんな状態でも自分の力を発揮できるよう、臨機応変に対応することも鍛錬として組み込んでいます。これは生死と隣り合わせの中で、生きていた侍の精神にも触れていただく体験になればと思います。瞑想、ディスカッション、想いを書にしたためるといった内容もあり、二泊三日の最後には参加者の方々にそれぞれプレゼンテーションをしていただく。テーマについては個々で違ってはきますが、「自分はこれからこうして生きていく」という宣言のようなものです。今まで生きてきた人生は財産であり、あなただけが経験してきたこと、あなただけが出会ってきた人々がいます。それを最大限に活かし、自分だけの戦い方を見つけてもらうようにしています。それらを見つけるために、「マーケティング視点」が大切なのです。

藤田 プランとしては二泊三日の合宿だけでは終わらず、そこからが本当のスタートです。合宿で見つけた「刀」と「戦略」を使って、ご自身の目標に向かってもらいます。隔週で1時間のオンライン面談を通じて、約3カ月間にわたり、自身で答えを見つけ出すプロセスをサポートします。自走して自分の答えを出し続けることが非常に重要だと考えています。

舞台となるのは大自然に囲まれた奈良県吉野の地。自分に合った刀を選び、人と対峙するという日常生活では味わえない体験が待っている

西田 「刀」や「侍」といった言葉だけのインパクトからは、どこかスピリチュアルなイメージを抱かれてしまうことも多いかもしれませんから、まずはこのサービスがどのようにはじまったのか、そのきっかけからご説明させていただければと思います。

 私も藤田も大学卒業後は企業に就職し、後輩の藤田とは学生時代から気の合う間柄で、社会人になってからも頻繁に連絡を取り合っては「二人でなにか新しいことをやってみたいね」という話はしていたんです。

 そんなとき、学生時代までは輝いていた運動部の仲間たち、会社の同僚たちなどから、社会に出てから輝きを失ってしまっている、あの頃の熱量が消えてしまっている、目標はあるけど上手くいっていないと相談を受けることが増えました。また、他人の目ばかり気にしてしまってすぐに自分を卑下してしまう人、職場の上司の姿に未来の自分の姿を重ね、どんどんモチベーションが下がっていくのにどうしていいかが分からず、うつ病になってしまう人などが多いことに気がつきました。

藤田 実際に私の仲間で、学生時代までは野球をやっていてキラキラと輝いていたのに、社会人なってうつ病のような状態になってしまった友人がいるんです。その病むギリギリのタイミングで一度私の家に相談に来てくれました。でも彼は結果的には病んでしまって、いまはもう連絡も取れない状態に。どうしても「あのとき自分は彼にもっとなにかしてあげられたのではないか」という気持ちを振り払うことができませんでした。

西田 私もまた苦しむ仲間たちの姿を見るたびに「お前にはもっとエエとこがあるぞ! もっと輝けるはずやぞ!」という思いをみんなに伝えたい衝動に駆られました。

藤田 みんな自分が培ってきた力や強み=「刀」があるのにも関わらず、それに気づけずに「刀」を錆びつかせてしまっている。「刀」に気づいていないだけだと感じました。過去を遡れば、日本の教育は、子どもの頃から、正解か不正解か、を選択することがベースになっています。そして平成の時代にはリーマンショックをきっかけにさらに「安定志向」が強まった感があり、いい学校に行っていい就職先を見つければ一生安泰、という答えが用意されるようになった。真面目に生きるみんなはその答えに向かって努力を続けてきたけれど、いざ令和の時代になると価値観も変わり、例えば若い女性たちがパパ活で簡単にお金を稼ぎ、自由な若者たちがYoutuberになって好きなことでたくさんのお金を稼いでいる。その新しい現実を横目で意識したとき、これまで抑圧してきた感情や疑問があふれ出してくるんです。「自分はこれまでがんばってきたのに」「あんなにガマンしてきたことはなんだったんだ」「いい企業に就職することこそ正解だと思ってきたのになぜ現実はこうなんだ」と。

 結局、この問いに答えを出せるのは自分自身だけで、「自分がどうしたいのか」「自分はどこに向かいたいのか」を考えるしかないのですが、子どもの頃から正解か不正解かの選択しかしていないので、考えること自体ができない人が多いですよね。

西田 特にコロナ禍になると、自宅にこもって人と接する機会も減った。それでうつ病になる人、自殺者が急速に増えた。同時に、コロナ禍に流行したものに目を向ければ、サウナやキャンプ、ジムに通ってキックボクシングを習う人も増えましたし、格闘技大会の「BREAKING DOWN」も大きな注目を集めました。これらの流行から考えるに、誰もが自然との触れ合いや情報からの遮断、そして強さの誇張みたいなものを求めていて、ビジネスの多くもそこから伸びてきている。現代社会は情報過多であることは、いち社会人として自分も痛感するところですから、情報を遮断して自分を向き合う時間・環境を提供するサービスは多くの人に受け入れられるのではないかと考えるようになったんです。

 そこで注目したのが「武士道」や「侍」といったキーワードでした。日本の時代を作ってきたルーツでもあり日本の文化に馴染みやすいとも考えました。刀一本で自分の誇りを守り、そして家族や国を守り、新たな道を拓く。自分の命に変わる刀は、使う人それぞれに合った長さや重さのもので、それこそはまさに自分だけが持つ唯一無二の個性。この現代社会においてはそんな侍の生き様こそ求められるものではないかと思うようになったんです。

藤田 自分の思いを実現するための正解は自分にしか分かりませんから、私たちが明確な正解を提示できるわけではありません。しかし、自分の思いを実現するためには、自分だけの武器、戦い方を知る必要はある。我々は、この「気づき」が個人にとって価値のあるものであると信じ、その過程でお手伝いできると考えています。

 私たちは剣道を長く続けてきたことで、剣道のなかにある武士道を少なからず感じていましたから、まずはそれを伝える手段として素振りを意識したフィットネスサービスから模索をはじめたんです。

西田 何度かテストを繰り返したのですが、やはり動作部分でのアプローチが強かったせいか、モニターの方々に伝わることはどうしても運動や競技としての「剣道」の範囲内にとどまってしまったんです。たしかに私たちは剣道が好きで、剣道から多くの学びを得ましたが、藤田と改めて確認したのは「いま広めたいのは剣道ではないよね」ということで。

藤田 そもそも剣道の世界であれば私たちよりも素晴らしい方々がたくさんいますし、また、業界自体がしっかり確立されています。私たちが伝えたかったのは剣道を通じで学んできたことであり、それは現代社会に生きる多くの方に必要なことだと考えました。ですから「剣道」をさらに抽象度を高めて「侍」や「武士道」を前面に打ち出すことにしたんです。

──「侍」「武士道」となると現代剣道とはまた違った歴史や深さ、スタイルとなりますが、その理解はどのように?

西田 藤田がもともと歴史の教員免許を持っているのでその知識を活かしつつ、私自身も新渡戸稲造の「武士道」やその他多くの関連書籍を読みあさって理解を深めるように努めました。

藤田 武士道は様々な要素で構成されており、一つの要素として二人で宗教学を学んだり、「侍ノ修行」ではお寺をお借りする関係もあって実際にお坊さんや神道を学ぶために神主さんからお話もうかがったりして学びを深めましたね。

──合宿場所を奈良県の吉野という場所に設定したのは?

藤田 これはたまたまのご縁なんです。サービスを提供するにあたっては宿坊をされているお寺さんがよいと思って探していて、候補となるお寺さんにひたすらメールをさせていただいていたんです。いくつかメールを送ったなかでいい反応をくださったのが、現在利用させていただいている奈良県吉野にある大峯山護持院桜本坊さんでした。ご提案資料を準備して実際に足を運んでみれば、私たちが想像していた以上のご理解をいただいて、全面協力していただけることになったんです。そのときにご住職にお経を読んでいただいたり、お抹茶も入れていただいたりしました。結果的にそれも合宿内の体験に取り入れることになりました。

西田 偶然の出会いではあったものの、吉野は抑圧された社会から一旦遮断するのにはもってこいの場所でした。とくに桜や紅葉の季節以外は人がほとんどいなくなるので誰とも出会うこともありませんし、また歴史的にもかつて源義経が身を隠して再起を誓った場所。また桜が大変有名で、桜は武士の命のはかなさも象徴しているという点も我々のサービスのコンセプトと非常にマッチしていましたね。

──「侍ノ修行」におけるお二人の立場はどのようなものですか? 「先生」や「インストラクター」のような位置付けになるのですか?

西田 いえいえ、決して「教える」ということではなくて、けっこうフランクな立場というか、もちろん伝えるべきことは伝えますが、基本的には参加者の皆さんといっしょに「考える」というスタンスでしょうか。

 悩みを抱える多くの方々はどこかバイアスというか、周囲からの印象を気にするあまり言動や考え方の解釈に思い込みが入ってしまっている人が多いんです。ですから私たちはそんな方々に対しては「本当はこういうことが言いたいんじゃないですか?」とフランクに意見をさせていただくと。

──サービスの参加者はどのようにして募ったのでしょうか?

西田 まずはサービス内容をテキスト化したコンテンツをつくっておいて、インスタグラムで「侍ノ修行」に反応してくださった方々にそれを配布させていただいたんです。その後、その方々に個別にアポイントを取らせていただいてご意見をうかがい、ご理解をいただいた上で、ご自分たちから「参加してみたい」と希望してくださる人にのみ集まっていただきました。

 サービスを運営していく以上、もちろんお金は必要ではありますが、そもそものサービスの発想自体がお金を儲けることが目的ではありませんでしたから、やはりご自分の意思で参加してくださることが重要。我々は本気で向き合いますから、同じく本気で来てくれる方でないとこのサービスは成立しません。

藤田 こちらから参加を無理強いするようなことはありませんし、もしお話をしてみて「この方にこのサービスは必要ないな」と判断すれば私たちのほうからお断りします。実際、私たちが考える一番イヤなことは、せっかく築いた人間関係が壊れてしまうことなんです。だからこそお金をいただくことにはハードルの高さを感じていたので、自分たちでしっかりと自信が持てるまで、およそ1年間をかけて何度もテストを繰り返しましたね。

 ですから、もしこの記事を読んで興味がおありな方がいらっしゃれば、まずはインスタグラムやラインのご登録をいただければ幸いです。

自分の生き方、人生に思いを馳せて瞑想。悩み多き現代社会において、この環境、この時間は貴重だ
 
自分の想いを言語化する。その作業もせわしなく生きる人々にとっては贅沢なひとときとなる

「自分ならではの武器とは?」
「侍ノ修行」の原点は剣道経験にあった

先輩の西田(旧姓・崎野)さんは育英高校(兵庫)出身(写真右から2人目)。高校時代はインターハイ団体戦3位という記録を持つ
後輩の藤田さんは高千穂高校(宮崎)出身(写真中央、表彰状を持つ選手)。高校時代は全国高校選抜大会で3位入賞を果たしている

──お二人のこれまでの剣道経験などもうかがえたら。

藤田 私たちのバックボーンも「侍ノ修行」には大きく関係している要素なんです。先輩の西田さんも私もともに高校剣道部ではキャプテン経験があり、私で言えば高校当時は全国高校選抜大会で3位、西田さんはインターハイ団体戦で3位で、二人とも個人戦では県大会3位にとどまってインターハイには出場できなかったという過去があります。

 私たちは二人とも選手としては決してスターではなくて、どちらかといえば代替の効く存在。ですから、自分が選手として生き残るためにどうすべきか、を考えるのと同時に、キャプテンという立場上、チーム自体をどのようにまとめて勝たせるのか、も考えなければならなかった。自分の強みを知り仲間の個性を知り、成功に向けてそれらをどのような武器として戦うのか。そんなことを自然と考えなければいけない環境にありました。それがいまの「侍ノ修行」にもつながっているんです。

──西田さんは強豪育英のご出身ですね。

西田 私はもともと兵庫県加古川市の出身で、中学2年生のときに団体戦で全国中学校大会には出場しましたが、過去の戦績といえばその程度。そんななか、育英高校の飯田良平先生にお声がけいただいて入学しました。

 先ほどの藤田の話にもあったように、私は自分の代の新人戦くらいまではチームの大将を勤めていましたが、周囲の選手たちのレベルも高くて最終的には選手に入れるかどうかというポジションでした。最後のインターハイにはなんとか次鋒で出場することができたことは私にとっては幸いな結果でした。

 高校時代はキャプテンを務めましたが、自分自身が弱かったので当時は背中でしか語れないと。だからとにかく誰よりも練習をやったという自負だけはありますね。

──高千穂高校出身の藤田さんは?

藤田 私も兵庫県の出身で、大蔵中学校3年時に全国中学校大会で団体3位入賞することができたんです。

 しかし、当時全国大会で強かったのはやはり圧倒的に九州勢。全中でその強さを体感したこともあり、九州の強い学校・高千穂高校への興味が湧いたんです。

 一度稽古に行かせてもらったとき、中学校でもずいぶんと鍛えていたつもりだったのに稽古について行くことができなかったんです。当時はもちろん緊張もあったでしょうが、そんな厳しさも含めて「日本一を目指すなら高千穂」と感動して入学を決意しました。

 私にとっては高千穂で得た経験はいまの自分の原点のようなもの。キャプテンとしてチームづくりを任せてもらったことで、自分自身としっかりと向き合うことができた。心身ともに鍛えてもらったと感じています。

──そんなお二人が大学剣道部で出会うことになるんですね。

西田 私自身、関西圏内の大学に進学したいという希望がありましたし、育英からは代々キャプテンの先輩方が入学していたこともあって関西学院大に進みました。

 とはいえ、学生時代はあまり剣道部には顔を出していなくて(苦笑)。どちらかというと、ゼミの活動に没頭する日々を送っていました。当時私は経済学部に在籍して、都市経済学の研究をされている教授に就いて学びましたが、いまに活きる考え方はそこで学んだもの。大学時代に得た大きな成果はやはりゼミ活動にありますね。

 剣道部については、ずっと顔を出してなかったのですが、4年生になる前にウチの母親から「アンタ、もう剣道やれへんのか?」と聞かれたんです。とくに詰問してくるような感じでもなかったのですが、その言葉がどこか心に自分の刺さるところがあったんです。だから3年生の終わりをむかえる年明けすぐから部活動に参加し出して、なんとか全日本学生剣道選手権大会に出場できたのは良い思い出となっています(笑)。

藤田 私は高校時代は九州で生活していたこともあって、大学では故郷の関西に戻りたいなという希望がありました。

 部活動についても、中学、高校時代は勝つためにチームのバランスを重視していたために、時に自分個人の意思よりもチームを優先させてきました。大学ではなんとか自分の力を発揮して、チームを引っ張って行きたいという思いがあり、関西学院大を志望しました。

西田 藤田との交流は、私の剣道部への取り組み方もあって道場内でこそあまりなかったけれど(苦笑)、それ以外の場ではメチャクチャ話をしましたね。彼とは話が合ったので仲は良かったです。

藤田 西田さんとは考え方や価値観が合った。またそれぞれ強みが違うのもおもしろかったですね。私はどちらかというと感覚的なところがあり、西田さんは論理的。だから現在の「侍ノ修行」でも私がアイディア担当、西田さんがロジック担当というようにうまく役割分担ができているんです。

──大学卒業後も交流は継続していたんですね。

西田 私は大学卒業後はコンサルティング会社に勤務していたんです。藤田もまた一般企業に就職して同じく大阪にいたのでよく食事をしては話し合っていました。

 私はその後、独立して、いまはたまたま北海道の方からお仕事をいただくご縁があり、現在は北海道暮らしです。

藤田 私も今年の5月から神奈川県に転勤になって、二人とも関西からは離れたのですが、この「侍ノ修行」をスタートするにあたってはオンラインなどでも何度も話し合いを重ねましたし、交流はより深い物になっていますね。

大学では部活動には熱心ではなかったという西田さんだが最終学年には大活躍。大いに注目を受けた
高校時代の経験を経て、関西学院大学の剣道部を牽引すべく努力を重ねた藤田さん。学生生活の充実度が感じられる当時の一枚
学生時代の西田さんの勇姿。本人は「熱心ではなかった」と反省するが、その実力は全日本学生選手権大会出場という戦績が証明している
全日本学生優勝大会での一枚。藤田さんが豪快な面を放つ

人と真剣に向き合う体験。
「心の故郷」となれるように

──二回の合宿を終えての手応え、そしてこれからの展望なども教えていただければ。

藤田 第一回目、第二回目ともに、参加者の方々からは主催の我々も驚くほどの熱量を感じました。合宿中には参加者同士でディスカッションをする時間を設けているわけですが、時間中に熱く語り合うのはもちろんのこと、時間が終わったあとでも、それこそ深夜の2時半くらいまでずっと話し合っているんです。

 奈良県吉野という独特な環境だからというのもあるんでしょうが、皆さん赤裸々に自分の思いをすべて話すので驚きました。そして毎回最後に行なうプレゼンテーションでは、大の大人が涙を流しながら自分の目標や未来を語る。これは私たちも想像していなかった反応でした。その後参加者はどんどん実績を出していっているので、毎回報告に驚きを隠せないですね。

 二回の合宿を終えて私が感じることですが、私や西田さんはいわゆる強豪校で剣道をやってきて、先生がご自分の人生をかけて本気で私たちに向き合ってくれたという経験があります。しかし、普通に暮らしてきた方々は意外とそれほど本気の熱量で人から向き合ってもらった経験がない。そういう意味でも、この合宿の意味や価値はあるなという手応えを感じました。

──ここまでお話を聞いてみると、せわしない現代社会において、それだけの環境でそのような時間を過ごすことは贅沢な体験なのかもしれませんね。

藤田 私が思い描いているのは、合宿に参加した「侍メンバー」で仕事をしたり、あるいはどこかに集結して家族ぐるみの交流やそれこそ単純に食事会などができたりしたら、もうそれがひとつの成功かなと。たとえば現在の合宿の地である吉野が、「侍メンバー」が帰る場所になったらいいなと思っているんです。先日、高千穂高校時代の恩師である佐伯浩美先生の定年退職をお祝いする会が宮崎で催され、私もそこに参加したのですが100人を超える教え子たちが集まりました。やはり私にとって先生方と本気で日本一を目指した高千穂は「心の故郷と感じた」のと同時に、こういう場がひとつあるだけでも心が豊かになるなと感じています。「侍ノ修行」をそんな場所にしたいですね。

西田 今後の事業のあり方としてのお話をさせていただけば、合宿自体は年に4回くらいを目安に開催していきたいと考えています。それ以外の取り組みとしては、セミナー形式のイベントや、なにか別のかたちで我々の思いを知っていただくための無料のメルマガの配信などにも着手していきたいですし、将来的には単位制の大学のようなシステムにして、より多くの方をフォローできるようなサービスに発展させたいなと想定しています。

若き侍二人。「悩める人々の再起を図るきっかけを作りたい」というモチベーションのもと「侍ノ修行」を運営、今後はさらなる事業拡大に挑む
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連絡先メールアドレスsamurai.rewrite@gmail.com

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