夫婦二人で歩む 剣の道、福祉の道 (末永将大/一般社団法人み・ゆーじ 代表理事)

2022年に開催された第61回大会にて、自身三度目の優勝を飾った末永真理選手(和歌山)。大阪府警を退職し、団体職員の肩書きで初めて臨んだ大会で見事に日本の頂点へと駆け上った。大会当日、真理選手のウォーミングアップの相手を務め、サポート役として妻を支えたのは将大さんだった。

剣道日本一を決める全日本女子剣道選手権大会を24歳で初制覇、日本代表として世界選手権大会でも活躍してきた山本真理子さんは、かつては強豪・大阪府警に所属するトップ選手でした。2021年、長らく勤めた大阪府警を退職した山本さんが結婚したお相手が、小学生時代からの剣友でもある末永将大さんです。結婚を機に姓を「末永」、名を「真理」へと改めた山本さんは、将大さんが運営する一般社団法人み・ゆーじの所属選手「末永真理」として、第61回全日本女子選手権で自身3回目の優勝を果たすこととなります。
「みんな」「夢」「実現」の頭文字を取って命名された「み・ゆーじ」。代表理事の将大さんもまた華々しい戦歴を誇る剣道家です。自身が運営するみ・ゆーじの事業とその輝かしい剣歴をうかがいました。

プロフィール

末永将大(すえなが・しょうた)
1988年8月8日大阪府生まれ。近畿大学附属高等学校(大阪)から関西学院大学に進学する。その後、生家が営む株式会社キューオーエルに入社。2016年、一般社団法人み・ゆーじを立ち上げ、児童発達支援・放課後等デイサービスをスタート。2021年に和歌山県西牟婁郡白浜町での廃校ホテルの運営に着手、障がい者就労支援ハピラブを開所し、同ホテルを中心に障がい者が安心して働ける環境の提供に従事している。剣道は小学2年生からはじめ、中学時代、高校時代と近畿大会、全国大会で活躍。社会人としての主な戦績には全日本都道府県対抗優勝大会出場(2回)などがある。剣道六段。

一般社団法人み・ゆーじ
https://miyu-zi.jp/

自然豊かな和歌山・白浜町で
廃校を利用したホテルを運営

廃校となった「市鹿野小学校」を再生した宿泊施設「ニースト・サイド」

――― 一般社団法人み・ゆーじの代表理事である末永将大さんと真理さんのご夫婦は、剣道界ではすでに名の知られたカップルかと思います。今回はぜひ普段のお仕事などについてもお話をおうかがいしたいのですが、まずひとつ注目を受ける事業のひとつに、和歌山県西牟婁郡白浜町にある廃校「市鹿野小学校」を利用した宿泊施設「ニースト・サイド」、そしてその校舎の職員室だったスペースを利用してのカフェ「はぴらぶ」の運営がありますね。廃校ホテルについては、施設敷地内に体育館もあることから、剣道団体の合宿での利用も多いとか。

末永  自然豊かな田舎ということもあって、毎年2回ご利用くださっている団体さんもいます。練習のあとにバーベキューも楽しめますし、夏場であればちょっと学校の周辺を歩くだけでも肝試しとして充分に盛り上がる(笑)。これが都会だったら、子どもたちの賑やかな声にも「うるさい!」とご近所からクレームが来そうなものですが、ここでは地域の皆さんから「子どもたちの元気な声が聞こえてうれしかったよ」と言っていただける。練習についてもじっくり剣道に集中できる時間が過ごせますから、合宿などには適した環境かと思います。

末永  ご利用いただく団体さんはもちろん剣道だけに限らないのですが、剣道でご利用される方々が一番魅力に感じてくださる点は、やはり末永真理選手の存在でしょうね(笑)。ご利用いただくほとんどの方が「真理さんに会いたくて」とおっしゃるので、ご予約いただく大きな動機になっているのは間違いないようです。ただ、「末永真理選手のファンで」と言ってくださる方が多いことは大変ありがたいのですが、同時に「敷居が高い」というご意見をいただくことも多いんです。僕たちはどなたであってもウェルカムなのですが、やはり真理選手のファンであればあるほど、連絡をするその第一歩目にも敷居の高さを感じる方も多いようで。ホームページには問い合わせフォームがありますし、僕のインスタグラムでも構わないので、どうかぜひお気軽にお問い合わせやご連絡をいただければありがたいです。

――― ホテルやカフェの運営はそれぞれ、み・ゆーじにおける一般事業のひとつ。ぜひその他の事業についてもお話いただければと思います。

末永  み・ゆーじの事業展開としては福祉事業を主としていて、それが大きく三つあります。そのひとつが就労継続支援B型(障がいや年齢、体力の面などの問題により、一般企業などで雇用契約を結んで働くことが難しい方に対して、就労の機会や生産活動の場を提供するサービス)です。

――― 末永さんのご実家がもともと福祉関係のお仕事をしているんですね。

末永  実家が株式会社キューオーエルという福祉関係の会社で、そこで僕は障がい児の発達支援・放課後等デイサービスに携わってきたんです。当時サービスを利用してくださる障がい児の保護者の方々とお話をするなか、皆さんからよくうかがったのが「いまはこうしてお世話になることができているけれど……」というご意見で、親亡きあとのお子さんの将来にひときわの不安を抱いていることを知りました。就労継続支援B型の場合、ひと事業所ひと業種である例が多いわけですが、ご存知のように障がいをお持ちの方は、長続きしない、気持ちにムラがある、などの特性があります。ですから、み・ゆーじでは、廃校ホテルのスタッフ業務、カフェのホール・キッチン業務、施設内の畑での農作業など、利用者さんそれぞれが自分に合った仕事を選び、それに取り組んでいただけるような工夫をしているんです。

――― 福祉事業のあとふたつとは?

末永  ひとつは居宅介護というサービスで、これはいわゆる訪問介護の障害者バージョンと呼べるもの。内容としては訪問介護とほとんどいっしょなんですが、その対象が高齢者の方ではなくて障がい者の方になる。障がい者のご自宅におうかがいして、お風呂であったり食事であったり掃除であったりをフォローアップしていく。そんな事業の認可をとっています。

末永  そして福祉事業の三つ目が、地域生活支援事業。就労継続支援B型と居宅介護は国の制度であるのに対して、地域生活支援事業は市町村事業のひとつで、これは障がい者の余暇活動を対象とした内容、つまりは障がい者の外出支援となります。仕事、家庭を支えることに加え、「プライベートの外出」という余暇活動をも支えることで、それではじめて障がい者の方の生活を総合的にプロデュースできると考えています。

末永  み・ゆーじでは、この三つの福祉事業をメインに展開しているわけですが、やはり僕としてもっとも推すべきはホテルやカフェなどの一般事業。そこに力を入れていくことが、結果的に巡り巡って就労継続支援B型の利用者さんへの給料補償にもつながる。一般事業での売り上げを伸ばすことには今後も変わらず注力していきたいですね。

「ニーストサイド」内、小学校の職員室だったスペースを利用したカフェ「はぴらぶ」を運営。カフェ「はびらぶ」のイチオシとなるのが希少な熊野牛を利用したランチメニュー。写真は絶品のステーキ丼。

――― ぜひとも、ホテル以外の一般事業のアピールポイントも教えてください。

末永  カフェ事業のいまのイチオシは熊野牛のステーキランチです。熊野牛は年間二百頭ほどしか出すことのできない希少なブランド牛で、めちゃくちゃ美味しいんですよ。なぜ珍しい熊野牛を取り扱えるようになったかと言えば、これがまさに剣縁。和歌山県警が主催する少年少女育成のための稽古会に妻がゲストとして参加したとき、その場にいらっしゃった剣道関係の方が熊野牛の生産をされていた。そんなご縁から実現に至ったステーキランチをぜひ皆さんに召し上がっていただきたいですね。

末永  同じくカフェ事業の一環でいうと、ピクルスの製造もぜひアピールしたいポイント。これはもともと日本政策金融公庫の高校生を対象としたビジネスプランのグランプリがあって、そのなかのセミファイナル、上位20にまで残ったプランのひとつなんです。地元高校とのコラボレーション企画で、SDGsの観点から、JA(農業協同組合)で規格外としてハネられた野菜を加工品として再利用しようというもの。フードロスを防ぎつつ、生産者の農家さんにもお金が入るようになることはもちろん、僕たちからすればその製造に障がい者のご利用者さんが携わることで賃金向上にもつながる。それらを兼ね備えたプランとして、地元高校さんからお話をいただき、それがスタートすることになりました。また、これはカフェ事業ではないのですが、榊(さかき)の収穫、製造、販売も、いよいよ事業として確立されてきました。

――― 榊というと剣道場の神棚などにお祀りする、あの?

末永  そうなんです。いまとなっては熊野本宮大社(ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつ)の本宮祭の奉納にもウチの榊を奉納して使ってもらうようにもなりましたし、あの有名な京都の祇園祭の鉾にもウチの榊が使われているんです。もともとは、この地域で榊事業を営んでいる方がおられたんですけど、大病をされて事業を継続できない、と。そこで経緯をうかがって、事業継承をすることになったんです。総称で花卉(かき)事業というそうなんですが、ウチでは榊だけではなくびしゃこ、ウラジロなどの花卉全般を取り扱っていて、山に入って自生しているものを収穫、製造、販売をしています。販売先としては、卸売りに出しているのもひとつありますが、スーパーマーケットのバローさん、ホームセンターのコーナンさんをはじめ、7、8社くらいとお取り引きをさせていただいています。

新たな事業として榊(さかき)の収穫、製造、販売にも着手。現在は熊野本宮大社本宮祭の奉納、京都の祇園祭の鉾にも利用されている。
ホテル敷地内の耕作放棄地を農地に戻して畑を管理。新鮮で美味しい野菜が収穫できるようになった。

一度は離れた剣の道だが……
妻と支え合い、高め合う日々を送る

今年4月には和歌山県代表として全日本都道府県対抗優勝大会に出場した将大さん。この日は妻・真理さんが応夫の援に駆けつけた。
将大さんが剣道をはじめたのは小学校2年生のころ。父親の勧めから名門・竹の子道場に入門した。
将大さんと妻の真理さんは同学年で、ともに子どもの頃から大阪府を代表する選手として活躍。真理選手はPL学園高校(大阪)から大阪府警へと進み、日本のトップ選手へと成長を遂げていった。

――― 現在は自然豊かな和歌山を拠点として活動されているわけですが、ご自身はもともと大阪府の出身。剣道はいつ、どのようなきっかけではじめたのでしょうか?

末永  剣道は小学校2年生の終わりくらいからはじめました。父親がもともと剣道をしていたのですが、仕事の得意先の社長さんが大阪市平野区で活動をする竹の子剣道クラブの指導者だったんです。父は仕事でその先生とお付き合いするなか、「子どもにも剣道をやらせたらどうか」と勧められたそうで、ある日、僕の机の上に不自然に置かれていたのが父の立ち合いの様子が収録されたビデオでした(笑)。まんまとその映像を観た僕は「カッコいい!」と一気に魅了されてしまって(笑)。そんなきっかけから竹の子剣道クラブに入門するようになり、父もまた道場の指導者を務めるようになったんです。

――― 竹の子剣道クラブは名門道場。ご自身もかなり活躍された名選手と聞いています。

末永  小学6年生のときに近畿大会で優勝して、中学生時代も近畿大会では団体・個人で優勝、全国中学校大会にも団体戦で出場することができました。いまとなっては妻は日本でもトップクラスの戦績を収める選手ですが、中学生時代までの近畿大会の結果に関していえば、僕と妻とはまったくいっしょの戦績なんですよ。

――― 真理さんも同じく大阪の強豪・PL学園中学出身で、子どもの頃から大活躍していましたね。真理さんはその後、PL学園高校へと進学するわけですが、末永さんは?

末永  僕は近畿大学附属高校に進学しました。中学生時代の戦績もあって、大阪以外の学校から全国大会での活躍を目指したいという思いもあったのですが、中学校の恩師や両親からの勧めもあり、近大附属高へと進学を決めました。 当時の近大附属高は大阪では毎回上位に進む学校ながらも、同じ大阪にはPL学園、清風高校、上宮高校、履正社高校など強豪校がズラリと揃っていたこともあって、インターハイ予選となるといつも2位、3位にとどまっている感じでした。僕自身は2年生のときからチームの大将を任せていただいていたのですが、そこでついにインターハイへの初出場が叶い、3年生のときもまた2年連続のインターハイ出場を果たすことができました。インターハイの本戦では団体戦でベスト16が最高戦績で、自分たちなりにがんばった手応えもありますが、妻のようにいま現在でも活躍している選手は当時からもっと上位に進んでいるので、やはり振り返ると、まだまだだったな、という思いがありますね。

強豪の近畿大学附属高校へと進学した将大さんは2年時、3年時とインターハイ出場を叶えることとなる。

――― 高校進学後の進路はどうなるんでしょう?

末永  関西学院大学に進学することになります。竹の子剣道クラブの先輩、近大附属高の先輩と、尊敬する二人の先輩が先に進学していたこともあって自分も進学を決めました。大学では1年生のときに関西学生新人戦大会で優勝、2年生のときには3位入賞。同じく2年時には全日本学生東西対抗試合に西軍の選手として選んでいただいて出場したりもしていたのですが、その年の秋にヒザの手術をして、実はそのあと部活動を辞めてしまったんです。いまとなっては後悔していますが、当時はヒザの負傷も痛かったですし、そこから来る不安も大きかった。剣道部を辞めて以降も大学自体には残っていたのですが、実家の仕事も手伝いつつ、アルバイトに精を出していたこともあって、「大学って通う意味あるんかな?」って思うようになってしまって……。結果的に大学自体も辞めることになりました。そこからは実家の社員として勤務する傍ら、本来は剣道に傾ける予定だった情熱を注ぎ込むかのように、空いている時間があればアルバイトを詰め込みましたね。

――― 家業を継ぐということに対しては、とくに抵抗などなかったんですね。

末永  もともと家業は継ぎたいと考えていたんです。それは決して事業が順風満帆そうだから、といった理由ではなくて、親のがんばる姿に憧れの気持ちを抱いたからです。正直なところ、実家の仕事はしんどい時期もあって、僕自身は高校進学も大学進学も奨学金を借りましたし、高校時代の遠征費なども親が準備できなくて恩師が立て替えてくれたこともありました。それでも親のがんばる姿を見続けてきましたし、結果的に会社としてずっとあり続けているのですから、これは僕が引き継がなければいけないとそう思っていたんです。

――― 剣道はどのように継続したのでしょうか?

末永  大学で部活動を辞めたとき、高校の恩師から言われたのが「お前は剣道をちゃんと続けなアカン。だから、毎年の年越し稽古に必ずくるように」とのお話。そんなお言葉もあったものですから機会をみては高校剣道部に顔を出すようにはしてはいましたがそれも年に一回程度。ざっと5年間くらいは剣道から離れた時期はありました。そんなときに再び高校の先生からお声がけをいただいて「剣道の外部コーチとして指導を手伝ってくれへんか?」と。手術したヒザや悪くしていた腰の具合もだいぶよくなっていたこともあって、そこから少しずつ稽古回数が増えてきたような感じです。そうこうするうちに、会社でも実業団剣道部を発足させるようになって。結果的に全日本実業団大会に参戦することはなかったものの、近畿実業団大会や大阪府下の大会などには出場した経験があります。

――― いま現在の稽古のペースはいかがですか? 普段は真理さんと稽古することが多いんですよね?

末永  妻と二人で稽古するか、和歌山県警などの剣道特別訓練員の稽古にお邪魔するなどしつつ、やれるときにはもう毎日。週に7回の稽古に取り組むこともありますよ。いまは選手として全日本都道府県対抗優勝大会などにも出場させていただいていますし、大会で活躍しようと思えば、やはり稽古は欠かせないですね。

――― それはスゴい! 今後はご夫婦そろっての試合での活躍も期待できますね。それでは最後に、剣道、お仕事のこれからの目標や展望などあればお聞かせください。

末永  妻もまだまだ現役選手として活動していく予定なので、その支えになることがひとつ。そして、次の世代の人たちに向けて、剣道がやりやすい環境を整える、お手伝いのようなことができればいいなと思っているんです。それは自分自身の実体験として、ブランクから復帰しようと稽古に取り組もうとしたとき、道場を借りるにもなかなか難しくてずいぶんと不自由を感じました。だから、あくまでたとえばの話ではありますが、僕がこれからしっかりと仕事で稼いで、アクセスのよい大阪に誰でも気軽に使える道場を建てるとか、そういった環境づくりに貢献していけたらいいなと考えています。

末永  仕事の面では具体的に、売り上げベースを三年間で三億円というところに持っていきたい。いまはまだ全然至らないのですが、事業として進めている内容については、その目標を達成できるだけの充分なポテンシャルを持っていると感じています。そのためには引き続き各事業部がしっかりと売り上げを立てて、それで地域、社会に貢献できるように成長をさせていきたいですね。

将大さんとの結婚を機に大阪府警を退職した真理さん。その活躍の場は広がり、多くのメディアに登場する機会が増えた。格闘家ボブ・サップのYouTubeチャンネルでは剣道対決にチャレンジ!
夫婦であり最高の稽古相手として切磋琢磨し続ける二人。今年6月に開催された第18回和歌山県下年齢別選手権大会では夫婦で優勝に輝いた。

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