まるで大きな病院の待合室のように広々としていて、安心感のある『ひまわり薬局』。駅前と病院の隣に2店舗あり、立地も抜群です。
調剤薬局事業だけでも充分繁盛しているように見えますが、介護事業と化粧品事業も立ち上げ、3つの事業がシナジーを起こす戦略を掲げます。
薬局事業も経営も未経験から始めた松岡さんは、学生時代に大好きな剣道に打ち込んできました。名門・育英高校での経験のおかげで「たいていのことは乗り越えられる」と語ります。
商いを通した地域貢献も見据える松岡さんに、事業のこと、学生時代の剣道の思い出、今後の展望について伺いました。
プロフィール
松岡 丈二(まつおか じょうじ)
1972年生まれ、育英高校を卒業後、大阪経済大学に進学。その後、神戸サンソに就職し12年勤務。2007年に父が経営する有限会社ひまわり薬局に入社。2020年から代表取締役を務める。
剣道は小学2年生の頃に名古屋にある「愛知武徳館」ではじめ、中高大と継続。インターハイ出場、玉竜旗ベスト8などの戦績を残す。錬士七段。
(有)ひまわり薬局 松岡丈二
http://www.himawari-md.jp/index.html
調剤薬局、介護事業、化粧品販売の3軸で事業を展開
──事業内容について教えてください。
兵庫県三木市で、調剤薬局と介護施設の経営、化粧品販売などを行っています。調剤薬局は2店舗あります。
──介護事業もされているんですね。
はい、2013年10月にサービス付き高齢者向け住宅『シルバーハウス ひまわりの里』を立ち上げました。
ありがたいことに弊社の調剤薬局は2店舗とも立地にも恵まれているのですが、出店競争は年々激しいものになっています。
調剤薬局事業だけで生き残れるのかと、危機感を持って新規事業を始めました。2014年には、訪問介護事業も始め、『ひまわりの里』に入居する方々のお世話の他、外部に向けてもサービスを提供することにいたしました。
──化粧品販売ではどんなことを行なっているのですか?
アルビオン、カネボウ、ヒノキ肌化粧品など、対面販売のカウンセリング化粧品を販売しています。今後は対面以外で、EC販売の商品も取り扱っていきたいと考えています。
父を支えるため退職を決意。未経験の分野も努力で乗り越える
──現在のお仕事を継ぐまでの経緯を教えてください。
私は大学卒業後、神戸サンソという医療ガスの販売会社に就職し、医療ガスのディーラーとして35歳まで働いていました。
──小さい頃からひまわり薬局を継ごうと考えていましたか?
ひまわり薬局には元々別のオーナーがいて、父が引き継ぐような形で仕事を始めました。
私は神戸サンソが好きだったので、「この会社で頑張るんや」という気持ちでずっと働いてきたのですが、父が家業を持ったときに「手伝った方が良いのでは」と考えるようになったんです。
会社に愛着もありましたし、続けたい気持ちも大きかったのですが、歳を重ねるごとに思う部分があって、ひまわり薬局に入社しました。
──調剤薬局事業は全くの未経験ですよね。
はい、調剤薬局の実務の中心を担うのは薬剤師。私は経済学部出身なので、資格もなければ薬学を勉強をしたこともありませんでした。
──未経験の分野で経営をするのは大変ではありませんでしたか?
そうですね…。薬剤師は資格が必要ですが、経営者になるために資格はいらないので、とにかくがむしゃら目の前のことに取り組みました。人間って、「環境の奴隷」だと思うんです。慣れれば意外とできるようになります。あの頃は誰よりも早く出社して、誰よりも遅く店を閉める父の背中を見ながら、働きました。
それに、私にとっては「乗り越えないといけないこと」だったんですよ。従業員40人、彼らの家族を含めると120から160人もの人生を背負うことになり、立場が大きく変わりました。
──重圧を乗り越えられたのはなぜですか?
高校の剣道部時代の経験が大きいです。当時、稽古が本当に厳しくて逃げ出したい衝動に駆られることがありました。しかし、厳しくも優しい先生、先輩方のおかげで、なんとか乗り越えることができました。
「あの頃と同じテンションで臨めば、絶対負けん」と思っていました。肉体的・精神的に追い込まれても、だいたいのことは乗り越えられます(笑)
大好きな剣道に打ち込んだ学生時代。心が奮い立つ育英剣道に憧れて
──剣道を始めたきっかけを教えてください。
小学2年生の頃に名古屋で始めました。
中学2年生までは名古屋で剣道をしていましたが、父の転勤に伴い、大阪に転校することになりました。
転校先には男子剣道部がなかったため、仕方なくバスケ部に所属。でも、剣道が好きだったので、稽古ができる公民館を探し出して週2回ほど稽古をしていました。
自分の中学校の名前で試合に出たくて、中3の始業式が終わった後、先生に「男子がいないけど、剣道部に所属させていただけませんか」とお願いして試合に出たこともあります。
──中学までは大阪で、高校は兵庫へ?
はい、その頃、今度は父が明石に転勤になったので、兵庫の高校を受験することにしました。大阪の中学校は担任の先生が一緒に高校に挨拶に行ってくれるので、受験先である育英高校に一回顔を出して、「剣道をやってます」といった話をしたんです。
──強豪の育英高校への進学を考えていたんですね。
無事に合格して春休みに入る前のタイミングで、育英高校の剣道部の顧問の先生から封書が届きました。高校入学前から、剣道をやりたいとは思っていましたが、その時に改めて腹を括りました。
でも、入学前に盲腸と腹膜炎にかかってしまい入院することになったんです。
──入院ですか!
入学式にも出ずに、1ヶ月入院しました。最初は2週間くらいかなと思っていたのですが、腸閉塞になってしまって。
5月の連休明けから登校できるようになったのですが、体重が47キロまで落ちてしまったんです。入院中は点滴生活で、2回目の手術の時は10日間絶食もしました。
退院して登校して、体力も落ちているので素振りから始めました。でも、夏前くらいには防具をつけて稽古に合流しましたね。
──稽古に参加してみて、どうでしたか?
同級生も先輩も、みんな兵庫県下で名を馳せた選手たちでした。総体に出場するために、選手を集め出したのが当時の3年生の学年だったんです。
正直「すごい学校にきてしまった」と衝撃を受けました。先輩はスーパースターで同期も強くて。でも、もともと負けず嫌いで剣道も大好きだったので、心のどこかでワクワクする気持ちもありました。
技術は周りの人たちの方がずっと上でしたが、3年間の稽古を乗り越えて試合にも出させていただきました。インターハイに出たのは、3年生の時が最初で最後ですね。選手7人のなかに入れていただいて…。玉竜旗はベスト8でした。
──素晴らしいですね!印象に残っている試合はありますか?
チームメイトが玉竜旗で佐賀の選手と合い面のガチンコ勝負をした時は大いに盛り上がりました。自分の試合ではなかったけど、泣きました(笑)
──なぜ厳しい稽古を乗り越えられたのですか?
特に私の先輩たちの代は、本当に毎回ドラマのある、観ていて奮い立つような素晴らしい試合ばかりでした。強くなって、彼らと同じ景色を見たいーーその一心で稽古に臨んでいたと思います。
周りは自分よりも強い選手ばかりでしたが、負けたくない気持ちもありました。剣道が大好きだったんですよね。
──大学は剣道推薦ですか?
はい、剣道推薦で大阪経済大学に進学させていただき、大学も4年間剣道漬けでした。
バブル崩壊後の後のしわ寄せが就職活動にも出始めている頃で、自分が就職活動をするときも、あまり良い時勢ではありませんでしたね。
そんなとき、大学の就職部に「スポーツを頑張っている学生を歓迎します」と求人を出していたのが、医療ガス販売会社の神戸サンソだったんです。なぜか「ボーリングと剣道歓迎」と書いてありました(笑)
ボーリングに関しては、社長がボーリング愛好家で会社にボーリング部があったようです。社員に剣道をやっている方もいて、ちょうどその時期、剣道部を作る話が立ち上がった頃でした。
そこで面接を受けてみたところ、社風に合っていたようで内定をいただきました。当時は、剣道部の立ち上げにも関わらせていただいたんですよ。ちなみに、妻は同期入社で同じく剣道部に所属していました。
現状に甘んじず、人の”縁”を大切にしながら成長したい
──仕事をする上で大切にしていることを教えてください。
成長する気持ちです。この気持ちの根底には危機感があるかもしれません。「調剤バブル」なんて言葉で揶揄された時代もあり、調剤薬局は利益率が高い花形の仕事と考える人も少なくありません。しかし、業界の状況は変化しています。
そんななか、従業員の雇用を守った上で、大手企業と戦っていかなければなりません。拠点を置く地域で求められているサービスを考え抜き、提供しないと、あっという間に淘汰されてしまうでしょう。
さらに、現在調剤薬局の数はコンビニより多く、全国約6万軒あると言われています。これからの社会保障費増加も踏まえ、多すぎる現在の薬局数を政府には3万5,000軒に減らしたいという方針があるのです。
質の高い調剤そのものはもちろん、患者さんに対するきめ細かな対応が、選ばれる薬局の条件になってくるはずです。
──経営者の勉強会などにも参加されているのでしょうか?
実は家業に入社後、青年会議所(JC)にすぐ入会しました。経営者の息子である私が入社して、ある日いきなり上司になる。そんな状況だと、社員の皆さんは意見を言いにくいと思うんです。裸の王様にならないためにも、経営について勉強する必要があると考えていました。
──入会してみてどうでしたか?
JCは経営者もしくは経営者に準じた人が集まる会で、業種は千差万別です。異業種の方々とつながることができ、活動の中で親友と呼べる人と出会えたことは私にとって大きな財産です。
苦労していることを相談したり、何か新しいことを始めるときに意見を聞くこともあります。実は『ひまわり薬局 えびす店』と『シルバーハウス ひまわりの里』の建物や設備を整える際も、JC関係の方々にお世話になったんですよ。
──JCでの学びや人脈をお仕事に生かされているのですね。
経営層の人間が集まる以上、商売のことだけではなく街のことを考える必要があります。JCに入会したことがきっかけで、この地域にいかに貢献するかを考えるようになったのも私の中では大きいです。
また、「10年ひと仕事」という言葉に象徴されるように、長く続けることは、本当に素晴らしいことだと常々感じています。JCの先輩によく言われていたのが「40歳までのJCなのか、40歳をすぎても続く繋がりを作れるか」。JCで得た繋がりをいっときのものにするのではなく、長く続けていきたいですね。
これは剣道でも同様です。昔は想像もしませんでしたが、剣道をきっかけに仕事のご縁が生まれることもあり、長く続く関係の大切さを実感しています。
”いつまでも健やかに美しく”。商いを通して地域社会に貢献
──今後の展望について教えてください。
地域の皆さんに集まっていただけるような場所を目指したいです。私たちは「健康サポート薬局」の認定を受けていて、健康教室を不定期で開催しています。商いを通して地域社会を活性化していけるような存在になれたら嬉しいですね。
また、自社事業を成長させるだけではなく、奉仕活動も勉強していきたいです。私は三木ロータリークラブにも所属しているのですが、寄付活動も行なっています。最近では、海外からきた小学生を支援したり、逆に国内から海外への支援をすることもありますね。
──剣道に関してはいかがでしょう?
コロナが始まるまでは稽古を続けていたいのですが、最近はなかなかできないです。現在、錬士七段なので、教士を取ることが目標の一つです。
──介護事業や化粧品事業に関してはいかがですか?
「いつまでも健やかに美しく」。この言葉を事業で体現していきたいです。3つの事業が柱となり、調剤薬局だけではなく「調剤もある」という会社の構造にしていきたいですね。そして、それぞれの事業がシナジーを起こせるようにしたいです。
──すでにシナジーを起こされているように感じますが、育英魂がさらなる成長を求めているのですね。本日はどうもありがとうございました!
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