大手企業部門・中堅・中小企業の社内システムに関するあらゆる要望に応えてくれる株式会社インフォース。
同社を起業した濱松毅さんはかつて会社員時代にマイクロソフトのソフトウェア「Access(アクセス)」に触れ、
その運命が変わります。
学生時代からすでに起業経験のある濱松さんの人生は波乱万丈。
高校卒業以降は距離をとっていた剣道は社会人になって再開。
現在では週に1〜2回の稽古に取り組み、また自身の会社・インフォースも実業団大会に参戦するほどの気合の入りようです。
剣道、仕事の両面において大きな夢を持つ濱松さん。
現在に至る過程と今後の展望を聞きました。
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プロフィール
濱松毅(はままつ・つよし)
1966年埼玉県生まれ。所沢北高校(埼玉)、法政大学出身。大学時代に起業し、その後は企業での勤務を経て株式会社インフォースを設立。現在に至る。中学生からはじめた剣道は高校時代には埼玉県大会上位の戦績を収め、関東大会団体戦出場を叶える。その後剣道とは離れる時期もあったが社会人となって再開。現在剣道六段
株式会社インフォース
電話:03-5542-8787(代)
FAX:03-5542-8788
E-mail:hamamatsu@inforce.inc
学生時代に起業→倒産
復活のカギは「Access」にあった
──株式会社インフォースの代表取締役を務める濱松毅さんですが、インフォース起業以前、まだお若い頃にすでに起業の経験がおありとか?
はい、私は学生ベンチャーをやっていて、法政大学の3年生だったときからすでに会社を興していたんです。学生当時は3つくらいの大きなサークルを運営していて、最初はオールラウンドサークルからのスタート。会員勧誘のためにとにかくいろいろな大学でビラを配りまくって、飲み会も3カ月で60回くらいやりましたね(笑)。そこからイベントサークルなどもつくるようにもなって、結果的に130大学、3000人くらいが登録しているような大きなサークルにまで成長した。それを下部組織にして会社を興したんです。
しかし、大学を卒業してちょっと経った時点で訪れたのが「バブル崩壊」。「浮世の春」を楽しんでいた人たちの会社が次々に潰れていくなか、私自身の会社もまた倒産、そこで2千万円ほどの借金が残ることになりました。
──衝撃的な出来事ですね。
当時大学を卒業したばかりの若い人間にとって、2千万円という借金はかなりの負担で、普通に就職しただけではなかなか返済できる額ではありません。そこで給与が高くて社宅もあって、という会社を必死で探してそこに就職することになります。毎月の給与は右から左へ返済に充てて、結果的には7年ほどで完済できました。ようやく生活にも余裕ができて、貯金もできるようになったときに「これはおもしろそうだ」と見つけたのが、いまのビジネスなんです。私が35歳の頃でした。
──なにを発見したのでしょう?
マイクロソフトの「Office(オフィス)」のなかに入っている「Access(アクセス)」というソフトウェアです。世のなかには数多くの販売システム、会計システムなどがありますが、それらはすべてデータベースというソフトでつくられています。そのソフトのなかでもっとも安価でもっともカンタンに使えるのが Access で、私はこの Access におもしろさと可能性を感じたんです。
私自身ももともと、データベースなんてなんだかよく分かっていなかったのですが、前の会社に勤めているときに、社内の管理システムの構築を命じられたんです。それはもちろん、外注の専門業者にお願いしたのですが、頼んでみると、業者の言ってくる専門用語はよく分からないし、とにかく費用もかさむ。当時は社長と外注の業者との板挟みで、ずいぶん苦しんだのですが、そのときにふと「コレって自分でできないのかな」って思ったんです。
それというのもかつて学生時代、私の友だちが当時流行していた「ねるとんパーティー」、いわゆるお見合いパーティーのようなイベントをやっていたのですが、登録者を管理するために似たようなシステムを利用していて、それを思い出したんですよね。
それで興味が湧いて、休日を利用して自分でいろいろと試すうちになんとなくできるようになってしまった。さらにそれを会社に導入してみると、3カ月もする頃には、もう会社がそのシステムなしでは回らないほどにまでなったんです。そこで知り合いの通信業者の人にそのシステムを見せてみると「これはうちの会社の仕事だったら500万円は取りますよ」と言う。「だったら私は50万円でいいからやってみよう」と考えて、そこで独立を決意したんです。
もともと Access のポジションというものが微妙なところで、プロからすれば素人が扱うオモチャみたいなもの、素人からすれば知識が必要で敷居が高い、という中途半端な位置にありました。ですから私が注目した当時は本格的にビジネスとして取り組んでいる人はいなかった。起業してみるとやはり最初の1年くらいは仕事もなくてかなり不安な日々を過ごしましたが、ホームページを立ち上げてみれば、情報化を進めている中小企業はやはり少なからずいて、そういった企業からの要望がたくさん舞い込むようになったんです。
IT業界はどうしても新しい流行に飛びつきがちな部分があります。実際に Access も当時からすでに「オワコンですぐになくなる」と言われていました。ところがすでに30年以上も続いていて、そのときに最先端としてもてはやされていた「iモード」はもうない。流行にはつねに優秀な技術者、企業が集まって激しい生存競争を繰り広げますが、その競争に勝つのは大変なことで、勝ったとしてもそれが続くとは限らない。そういう意味では「定番」として生き残るものを見極めた、安定戦略が功を奏しました。
システム開発って、いままでやってこなかった会社さんにとっては、よく分からないもの。どれだけお金がかかるか分からないでしょうし、怖いことでもあると思うんです。ですから「まずはお金をかけないで Access でやりましょう」と提案させていただいて、そこでどのようなものか理解していただいた上で、その後はご要望と段階に応じて、本格的にクラウド化していったり、スマホ化していったりといった運用をオススメしています。
──アメリカのマイクロソフト本社とも関わりができたとか。
マイクロソフトには「SQL Server」という本格的なデーターベースソフトがあるんです。Access との違いはなにかと言えば運用の部分で大きく違って、複数人が同時に使用する、セキュリティやバックアップを考えると、Access でつくったものを SQL Server に「心臓移植」する技術が必要となるんです。当時、我々はお客様からの依頼でその技術開発にコツコツと取り組んでいたのですが、それが現日本マイクロソフト社の目に止まり、「協業しましょう」というお話をいただきました。その後、米国マイクロソフト本社で、我々の技術が認められ、アメリカのシアトルでAccess 開発チームに所属することになったんです。そこから3年ほどの間、Accessそのものの開発事業に参加することになりました。その実績が評価されて、株式公開も果たしました。現在は市場がなくなってしまったので、再上場を目指してがんばっています。
今後は剣道部を本格的に強化
「いずれは自社道場を」
──濱松さんご自身のお話もうかがえれば。もともとのご出身は?
埼玉県入間市というところで、実家は鰻屋を営んでいて、いまは妹夫婦が継いでくれていています。駒弥という店なのですが、おかげさまでそちらも評判がいいようです(笑)。
──剣道はいつから、どのようなきっかけで?
中学校の部活動ではじめました。父親が空手をやっていたことから、同じ武道である剣道を勧められ、ちょうど仲が良かった友だちも剣道部に入る、ということだったので、入部したんです。ただ……中学校の部活動は、ほとんどまともに活動していなくて、私も当時は地元の道場に入ってちょっと稽古していたくらい。ですから本格的にはじめたのは高校からなんです。
──高校はどちらに?
所沢北高校に進学しました。当時の所沢北高は強くて、公立高校ながらも県大会の上位常連だったんです。私自身、中学生時代にまともに剣道をしてこなかったこともあって、「どうせやるなら強いところで稽古がしたい」という思いがあって進学を希望しました。
結果的に、高校3年時の試合結果は新人戦、関東大会予選、インターハイ予選といった県大会ではすべて準優勝でした。全国的にも強豪として名を馳せる埼玉栄高校には叶わなかったですね。
──ほぼ初心者のような状態ながらも強豪校に進学。稽古環境はいかがでしたか?
あの当時はどこの部活でもそうだったでしょうが、とにかく稽古が厳しかったですね。ときに理不尽さを感じる場面もありながらも、結局辞めなかったのは、この厳しさに耐えている部員がいたこと。耐えている人間がいるなかで辞めたとなったら、これは逃げたことになる。試合で負けることよりも、どこか人として負けるような気持ちがして悔しくて、もう意地で続けていました。
でも開き直って稽古に取り組んでみると、自然と自分が強くなっていく実感がありました。部内の選手選考などでも優勝したりして、大会にも出場するチャンスがありましたが、やっぱりいま思えば、肝心なところで勝負弱さが出てしまいましたね。自分のメンタルの弱さを実感させられ、それを克服するための修行、そう考えられたからこそ、いまでも剣道に魅了され続けているのかもしれません。社会人として大変な場面に直面したときも「あの経験があるから」という理由で、なんとか乗り越えてこられましたから。
──その後の大学では、剣道部には入部しなかったそうですね。
法政大学では工学部に入学したこともあり、また高校時代のツラい経験の反動もあって、「俺は大学では遊ぶんだ!」と(笑)。剣道を再開したのは、会社に勤務していた30歳の頃からです。当時ちょうど大阪の石田健一先生の八段審査受審を追ったテレビドキュメンタリーがあって、偶然私もその番組を目にしたんです。石田先生は高校時代に見に行った全日本選手権で優勝した選手、私の中では日本一強い人でした。その石田先生の努力する姿、挑戦する姿に感銘を受けて、急に自分もまた剣道がやりたくなりました。
地元のスポーツセンターでやっていた稽古会を見学に行って、まずはそこで12年ぶりに剣道を再開。その後、稽古を継続してみると、小さい試合などでも勝てるようになって、そこで芽生えたのが「もっと強くなりたい」という思いでした。そこから人の紹介で、三井住友海上の百練館にも通わせていただくようになったんです。ご存知のように三井住友海上の選手たちは強豪選手揃い。現在でも週に1回のペースで定期的に通わせていただきながら、毎回いい刺激をもらっています。
──ご自身の会社であるインフォースにも剣道部があって、実業団大会にも参戦しているんですね。
剣道部については「強化している」とは呼べない状態ではありますが、実はご縁のある剣道八段の先生を師範としてお迎えして、月に1回のペースでご指導をいただくようになりました。
現在はすばらしい指導者の先生にも恵まれているものですから、今後は剣道部を本格的に強化していきたいな、と考えているんです。実業団大会はやはり元気のいい、若手選手の存在が必要不可欠。ですから会社をもっと大きくして、剣道が強い若手社員を雇っていきたい。そしてみんなが自由に稽古できる自社道場を持つのが、私の夢ですね。ですから、もし「実業団で剣道をがんばってみたい」と思う若い方がいれば、ぜひお問い合わせいただければ。
──今後のインフォース剣道部の活躍が楽しみです。それでは最後に濱松さんの剣道、そして仕事の面での目標があれば、ぜひ教えてください。
私自身の剣道の目標でいえば、全日本実業団高壮年大会で勝ちたいですね。団体戦の実業団大会とは違って、あの個人戦では自分と歳が近い人たちと対戦できます。そこでは年齢を言い訳にはできないので、どこまで戦えるのかは普段の自分の努力次第。やりがいを感じています。
審査に関しては、現在私は六段なのですが、七段の受審資格を得るまであと少し。私の最終目標は「八段審査を記念受験すること」なのですが(笑)、それを実現するためにはまずはちゃんと七段に合格して、体調に気をつけながら八段審査を受けるまでの時間を大切に過ごしていきたいです。
仕事の面では、いままでと変わらず、具体的な「DX(デジタルトランスフォーメーション)」に頭を悩ませている企業さんがいらっしゃるのであれば、たとえば「いまExcel(エクセル)でやっているけど、もう少し便利にならないか」といったシンプルな疑問などでも構いませんので、ぜひお気軽にご相談いただければと思います。
それを継続した上で、いま考えているのは「アメリカで勝負がしたい」ということですね。我々は Access に関する研究開発については、間違いなく日本ではナンバーワン、世界でもトップに近いという自負があります。かつてシアトルの開発チームで取り組んでいたプロジェクトは、頓挫するようなかたちで終わってしまいました。しかし、AccessとSQL Server は世界中にありますし、我々の研究開発はその後も進んでいますから、それをもとにアメリカ、世界に挑戦したいです。
──剣道、お仕事、どちらも情熱がスゴいですね。
若い頃はなにも無いままチャレンジしなくてはいけなかった。でもいまは経験も知識も人脈もお金もその頃よりも優れているはずです。では当時と比べてなにが劣っているかと言えば、気力と体力だろうと。だからこそしっかり剣道もやってトレーニングもやって、気力と体力を鍛えておけば、あの頃の自分に劣ることはない。そういう意味ではいま剣道と仕事とのバランスが、自分のなかで整っている段階にあるんだと感じます。自分の人生もすでに集大成の段階、と意識していますから、悔いの残らないように戦っていきたいです。
会社名 | 株式会社インフォース |
特典 | 会社のIT化のご相談なら、いつでも無料! |
所在地 | 〒104-0033 東京都中央区新川1-17-27 横川ビル5階 |
TEL | 03-5542-8787 |
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