感謝を胸に、100年続く企業を目指して。何事にも全力で、ベストを尽くす生き方とは(細川 真一 / サンコー物産株式会社 代表取締役)

柔らかい笑顔が印象的な細川代表。建築資材や土木用資材の製造・販売をメインとするサンコー物産の代表取締役で、2021年に会社は47期目を迎えました。社員の家族を含めると100人以上の人生を支え、「100年続く企業を目指したい」と力強く語ります。

自分や家族の人生だけではなく、社員の人生まで背負う中小企業経営者のプレッシャーは、並大抵ではないはずです。重責に見合うやりがいは、一体なんなのでしょう。その答えには、細川代表の優しさや家族・社員・友人への愛があふれていました。

プロフィール

細川 真一(ほそかわ・しんいち)
1968年大阪出身。大阪学院大学高等学校から大阪学院大学法学部に進学。卒業後、東証1部上場の金属建材メーカー三洋工業(株)に入社。7年間在籍ののち、父が創業したサンコー物産(株)に入社し代表取締役に就任。

剣道は中学校から始め、大阪学院大学高等学校に進学し3年次にキャプテンを務める。大学も体育会剣道部に所属。卒業後は長らく剣道から離れていたが、45才の時に再開。会社内に道場があり有志の「鑽己会(さんこかい)」として活動中。2021年現在五段。

父の病気が契機となり、双子の弟と事業承

──事業内容について教えてください。

弊社は現・会長の細川三郎が1975年5月8日に創業し現在47期目。私が2代目です。建築資材や土木用資材の製造・販売をメインに行っています。

ビルが一棟建つのに、資材は約2万アイテム使われるんですよ。弊社で2万アイテム全て取り扱っている訳ではないのですが、カラーコーンやヘルメットなどの保安資材から、構造物を支えるコンクリート部材や鉄筋部材などまで、工事現場に必要な資材を幅広く提供しています。

──昔から事業を継ぐつもりだったのでしょうか?

いえ、継ぐつもりはなかったんです。父にも「好きなことをしたらいい」と言ってもらっていました。

でも、父の背中を見て育ったからか、就職活動では自然と家業と同じ業界の企業ばかり面接を受けていました。そして金属建材メーカーの三洋工業(株)に内定をいただき、7年間勤めました。

事業承継のきっかけは、父の病です。父が還暦の時に直腸癌を患って倒れ、急きょ「戻ってきてほしい」と言われたんです。心の準備も何もしていなくて、しかもその時は結婚したばかりで…。突然同居することになってしまい、妻は大変だったと思います。色々と苦労をかけたので、妻には本当に感謝しかありません。

私には双子の弟がいるのですが、ちょうど同じ頃、弟も仕事で体を壊して大阪に戻ることになりました。弟は理系で、薬剤師の国家資格を持っています。大学卒業後は医療医薬品関連の会社や外資系の保険会社に勤めるなど、私とは全く違う畑で働いてきました。

一緒の事業所でやるよりも離れて働いた方が良いと判断し、弟は東京の営業所を担当しています。現在は父が会長、弟が社長、私が副社長と、三代表の体制です。

他社との差別化を意識し、建築資材の商社・メーカーとして活動

──お父様の代から、取り扱う商品は変わってきているのでしょうか。

父の代からはだいぶ変わりましたね。建築現場の法律の変化や、より質の高い新製品が開発されるなど外部環境の変化が影響しています。

また、弊社は基本的には商社なのですが、メーカーとしても活動するようになりました。現在は和歌山の自社工場で製品生産も行っています。仕入れて売るより自社で生産して直販すると、価格面で優位性を出せるんです。

取引先に関しても、私が入社した時の取引先は100%ゼネコンでしたが、当時バブルが崩壊したこともあり、より回収期間の短さと安全性を優先したキャッシュフロー重視の経営に舵を切りました。現在の取引先は街の金物屋、建材屋さん、ホームセンター、同業他社さん、メーカーさんなど幅広いです。

──仕入れはどちらからされているのでしょうか。

建築資材は日本国内だけではなく、中国から輸入してます。専門の輸入代行業にお願いする会社も多いのですが、うちは直取引です。

輸入品は不良品が入ってくることがあるので、間に専門業者が入っていればリスクを軽減できます。しかし、その分価格が高くなってしまいますし、こちらの要望が伝わりにくいこともあります。リスクはあるけど、直接コミュニケーションを取ったほうが最終的には良いと判断しました。

輸入を始めてから15年以上になりますが、今は現地に信頼できるパートナーがいて、メールだけで商談完了するなどだいぶ楽になりました。

──インターネット販売やリフォーム事業、公共工事の請負もされているのですね。

私たちの業界は基本B to Bで一般向けではありません。だから最初は「インターネット販売ってどうなんだろう…」と正直乗り気ではありませんでした。しかし、「とにかくやってみよう」とチャレンジし、徐々に売り上げも伸びてきています。

リフォーム事業や公共工事は、創業当初からゼネコンの下請けでずっとやっていたのですが、2年くらい前から協力会社さんとタイアップして、入札に参加。下請けではなく我々が行政から受注し元受けとして工事を進めるようになりました。

100人以上の人生を背負う経営者を支えるのは、周りの人からの「ありがとう」

──仕事をする上で大切にしていることを教えてください。

私には、大切にしている3つの人生観があります。

ベストを尽くす生き方」「バランス良く生きる」「運は水、努力は器」の3つです。

なかでも「ベストを尽くす生き方」という言葉が好きで、会社でもしょっちゅう言ってるんですよ。何事にも全力で取り組む姿勢は、仕事でも遊びにも共通する大事なことだと思います。

──なぜそう思うようになったのですか?

経営者の先輩方の影響です。40歳ごろまでは自分のことだけ考えて生きていたのですが、「このままではやっていけない。変わらなければ」と思うようになったんです。

私は30人以上の社員を抱え、彼らとその家族を含めると100人近くの生活を保証しなければいけません。ある日突然会社が潰れたら、社員みんなが路頭に迷い、彼らの家庭が終わってしまう…そう考えたら、ゾッとするじゃないですか。

適当な考え方でやっていくわけにはいかないし、真剣に経営を勉強しようと思うようになりました。

──経営者が背負うプレッシャーは本当に大きいと思います。それに釣り合う、どんなやりがいがあるのでしょう?

やりがいは、身近なところにあります。お客さんに「ありがとう」と言ってもらうと嬉しいし、それがあるからやっていけます。

また、私たちが扱う資材が誰もが知ってる有名な商業施設などで使われたりすると、「あそこの工事、うちの製品が使われてるんやで」と、社員の人たちも胸を張って、誇りを持って仕事ができるようになります。そういうのを見てると、素直に嬉しいです。

あとは、社員が退職するときに「この会社でお世話になって本当に良かったです」って言ってくれた時。そんなこと言われると…もう泣くね。縁あって会社に入って、一緒に仕事してくれた人たちだから…。

人とのご縁はどこでどう繋がるかわかりません。縁を切るのは簡単ですが、だからこそ、「一期一会」を胸に、その時・その人との出会いを大切にすることを心がけています。

AED設置、インターンシップ、会社内の剣道場開放…社会貢献活動も積極的に行う

──御社は社会貢献活動も積極的に行われていますよね。その一環で、高度管理医療機器(AED)も販売していらっしゃるのですか?

はい、大阪府から販売許可をいただいて販売しています。最近の工事現場、特に大きな建設の作業現場では、事務所にAEDを設置して近隣の皆さんに「何かあったら言ってくださいね」と呼びかけるようにしているんです。

マンションなども建築して引き渡しするときに、一階のエントランスにAEDを設置したり、管理組合に寄贈してから引き渡しをしています。通常は、医療機器を扱う専門業者がいて、我々のような企業が資格を持って販売することは珍しいのですが、社会貢献活動の一環として取り組みを始めました。

日本では、心臓の発作により突然倒れてなくなる方が1年間に約3万人もいるといわれています。AEDがあれば、より多くの命を救える可能性が高まるんです。

──素晴らしいですね。さらに、ジュニアインターンシップの取り組みもされていますよね。

はい、残念ながら最近は中断していますが、以前は毎年2校受け入れてました。高校生の就業体験の支援活動として始めましたが、我々としては社員教育にもなるんです。

高校生を受け入れる際、彼らにわかるように仕事を説明する必要があります。すると、当然マニュアルやカリキュラム作りなど、担当者は勉強しなければなりません。ですので、就業体験を含めた社員教育の一環ですね。

──インターンシップを経験すると、ミスマッチが少なくなりそうですね。

弊社はインターンシップが採用につながることはないのですが、現場を知ってもらうことは非常に大切だと考えています。採用活動の際、学生さんにはうちの会社の良いところだけではなく、悪いところも伝えるようにしています。

どうしても企業って、良いことばっかり言ってしまうじゃないですか。でも、悪いところも言わないと、入社してから「言ってることとやっていることが違う」ってなるでしょ。そうなると、すぐ離職してしまう……それがいやでね。洗いざらい、「うちはこういう状態で仕事をしているよ」と説明して、納得した上で入社してもらいます。じゃないとお互いのためにならないでしょう。

──会社の中に剣道場も持たれていますよね。

はい、うちの会社に剣道やる場所があるから、人が集まってきます。いろんな人が入れ替わり立ち替わりきてくれるから楽しいですよ。

当たり前ですが、私にとって剣道はあくまで趣味です。ただ、経営者仲間や友人、知人にも多くの剣道家がいるので、剣道はとても身近な存在でもあります。学生の頃は、本当に嫌で嫌でたまらなかったのですが……(笑)

剣道で養った不屈の精神力

──出身道場や高校など剣道歴について伺ってもいいですか?

私が剣道を始めたのは皆さんと比べるとかなり遅いんです。姉の影響で、双子の弟と共に中学から始めました。一度も道場に所属したことがないので、学校剣道しか知りません。

子供の頃はヤンチャで、中学生の時に一度、強制退部になってしまったこともあります。何人か仲間がいて、彼らと一緒に退部になったのですが、先生に謝ってもう一度部活に戻りました。

高校では剣道を続けるつもりはなかったのですが、入学式の日に体育教官室に呼び出され「明日から坊主にしてこい」と、強制入部となってしまいました。

入部してみると、みんな本当にびっくりするくらい練習していて全然ついていけなかったんです。でも一度入部した手前辞められないし、どうせやるなら一生懸命やってレギュラーにもなりたいし…だから、めちゃくちゃしんどかったけど続けて、少しずつ力をつけて、最終的にはキャプテンをやらせていただきました。

合宿なんかは、5部練をしてました。朝起きて朝練して、朝食を食べて午前に稽古して、お昼休憩して午後2回稽古して、晩飯食べて、風呂入ってまた稽古するんです。

──お風呂に入った後も稽古をするということは…お風呂に2回入るんですか?

入りません(笑)「なんのために風呂入ってん?」と思ってました。稽古のしすぎで、夏でも稽古着が乾かないんですよ。面がずっと湿ってるので、面金のところが腐ってしまい、引っ張ったら取れてしまった同級生もいました。

また、大阪体育大学の寒稽古も忘れられません。当時うちの高校と大学が近かったので、よく稽古に参加させていただいていたのですが、大学生の稽古の様子を見て震え上がっていました。

そんな高校時代を過ごしたので、大学で剣道を続ける気は全くなかったのですが、同級生から強く誘われたこともあり剣道部に入部しました。

卒業後は剣道から遠ざかり仕事だけの毎日でしたが、いろんなご縁があって45才の時に再開し、現在に至っています。中学高校大学と続けてきて、今が一番楽しいです。自分のペースで楽しく剣道ができています。中高大は嫌で嫌で仕方なかったですね(笑)

──大変な稽古を経て、剣道が人生で役立ったことはありますか?

剣道が役立ったというか、あんなに稽古して理不尽さにも耐えたので精神力がつきましたね。仕事で大変なことがあっても「別にどってことないわ」と思ってしまいます。不眠不休でやっても堪えないですしね。それくらいかな(笑)

100年続く企業を目指して

──今後の展望について伺ってもいいですか?

仕事に関しては、引き続き住環境資材の提供を通してお取引先様や地域・社会に貢献すること。そして、100年企業を目指すことですね。まだ47期目なので半分にもなっていないのですが…永続させられるように努力していきたいです。

日本は、100年企業が世界一番多い国なんですよ。100年なんてざらで、京都なんてもっと歴史の長い企業がたくさんあります。世界で一番古い企業ってどこか知ってますか?現在は高松コンストラクションのグループ会社で、大阪市内にある「金剛組」さんなんです。

創業はなんと西暦578年で1400年以上の歴史を持つ会社なんです。そういう企業が日本にはたくさんあります。1000年までとはいかないけど100年は続く企業を創りたいですね。

剣道に関しては、来年六段審査を予定しているので昇段できるように頑張ります!

──100年企業が世界一多いのが日本とは知りませんでした。また、多くの人生を背負う細川様を支えているものが「ありがとう」や「人との縁」であることなど、とても感動しました。本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

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