2019年に創業されたアド・バリュー・ライフ株式会社はあるご夫婦が営む会社です。
代表取締役を務めるのは一級建築士の資格を持つ妻・明子さんで、剣道七段の腕前を誇る夫・和良さんは経営・マーケティングコンサルタント事業の共同経営者。お互いを思いやり、そして支え合う優しいご夫婦が、いまのあなたの暮らしをほんの少し豊かにするために心のこもったお手伝いをしてくれます。
プロフイール
迫田明子(さこだ・あきこ)
大学卒業後、清水建設株式会社に入社し、一級建築士の資格を取得。結婚、出産を機に同社を退職。以降は夫・和良さんの転勤先にある企業に勤務し、2019年にアド・バリュー・ライフ株式会社を創立。代表取締役を務めている。
迫田和良(さこだ・かずよし)
大学卒業後、味の素株式会社に入社。在職中に神戸大学大学院を卒業しMBA・経営学修士を取得。同社を退職後に経営コンサルタント企業を経て、妻・明子さんが代表取締役を務めるアド・バリュー・ライフ株式会社に入社。6歳から剣道をはじめ、高校卒業以降は23年のブランクがありながらもお子さんがはじめたのを機に40代で復帰。現在段位は錬士七段。
アド・バリュー・ライフ株式会社
https://www.addvaluelife.com/about-8
空気をきれいにする化石サンゴの塗り壁「CLEAIRWALL」
https://www.cleairwall.com/
アド・バリュー・ライフ(株)の事業とは
――― 迫田和良さん、明子さんご夫婦に、お二人が経営するアド・バリュー・ライフ株式会社についてお話をうかがいたいのですが、健康塗り壁剤というものがとても気になっていて、どういうものか教えてください。
明子 日頃の生活では、なかなか意識することはないかもしれませんが、口から最も摂取しているは食べ物ではなくて「空気」です。その「空気」がキレイにできるとしたらどうでしょうか。
人によって症状はさまざまなシックハウス症候群が注目されています。無症状でも、知らないうちに体はダメージを受けています。弊社がご提供する「CLEAIRWALL」は、空間の化学物質を除去し、除湿、マイナスイオンを発生させる等、「空気をきれいにする」健康塗り壁剤です。

――― とても興味を惹かれる商材ですが、お仕事のメインはまた別にあるんですね。
明子 はい。私が一級建築士の資格を持っていることもあって、建築事務所としての事業もあります。大学では建築科で学び、卒業後に清水建設株式会社に入社したんです。一級建築士の資格は清水建設に勤めていたときに取得しました。
和良 建築事務所としてのリノベーション事業が彼女の担当で、僕の担当は経営・マーケティングコンサルタント事業になります。お互いの事業にはあまり関わらないように仕事をしていて、夫婦それぞれが自分なりの個性を出しつつ、自分たちのペースで働いているような感じですね。
――― 会社の代表は明子さんが務めておられるんですね。
和良 二人とも以前はそれぞれ企業に所属していましたが、彼女のほうが先に独立したんです。僕はちょうどそれより1年遅れて会社を辞めたということもありますし、彼女は人柄が穏やかで大らか。自然と周りから人が寄ってくる性格ですから、社長は彼女のほうが向いているなと僕は思いましたし、女性ならではの観点からのビジネス展開は非常におもしろい。とくにいまは時代の後押しもあるように感じますね。
――― それではお二人それぞれの事業についてお話をうかがえれば。
明子 私はリノベーション事業を専門にしているわけですが、やはりただ「設計事務所です」「リノベーションをやっています」と言うだけでは他の事務所さんとの差別化が図れません。そこで私なりの特徴という点で言うと、最初に触れましたけど、内装仕上げ塗料の「CLEAIRWALL」はぜひアピールしたいポイントですね。
これは化石サンゴを粉にして70種類以上のミネラル素材と練り合わせた塗料なのですが、自然由来の素材なだけあって安全性が高いですし、消臭機能やカビ防止機能はもちろん、室内の有害物質の吸着分解もしてくれます。これを壁や天井に塗ることで、お部屋の空気が本当にキレイになるんですよ。
和良 実は僕の部屋の壁にもその「CLEAIRWALL」を使っているのですが、過ごしていて本当に気持ちがいいんです。部屋で剣道具を乾燥させたりもしますが、家族からのクレームも消臭機能のある「「CLEAIRWALL 」のお陰で以前より減ったかもしれません(笑)。
明子 いろいろな効果がありますし、そのエビデンスも保証されている素材ですが、理屈を語るよりも体験してもらえたらすぐにその良さを実感していただけると思います。いまはこの「CLEAIRWALL 」を使ったDIY教室も定期的に開催しているんです。安全で取り扱いもカンタンな素材ですから、たとえばお子さんであっても手で直接壁に塗ってもらうことが可能です。手で塗れば仕上がりはもちろんデコボコになりますがそれもまた個性。そして、もしご家族でご自宅の壁を塗装したならば、将来的に家族の良い思い出にもなります。おかげさまで、そのDIY教室も多くの皆さんにご好評いただいている事業のひとつとなっています。

――― 「建築」と聞くといまだにどこか男性っぽいイメージを抱きがちですが、お部屋の空気や塗料の安全性などへのこだわりはさすが女性ならではというか。
明子 ああ、そうかもしれませんね(笑)。お客さまのお話をうかがってみると、やはりリノベーションを依頼するときには「男性の建築士がドカドカと家にやって来るイメージがあって、ちょっと身構えていた」という感想を耳にすることが多いです。私自身が実際に子育てをしてきた主婦ですから、自然とお母さん目線になるんでしょうか。私の友人なんかは「世界一相談しやすい一級建築士、っていうアピールがいいんじゃない?」なんて言ってくれます(笑)。

――― 和良さんの事業については?
和良 僕が大学を出たあとに就職したのは味の素株式会社でした。味の素には長く勤務して多くの転勤も経験したのですが、2020年、コロナ禍の真っ只中に思い切って退職しました。味の素退職後には経営コンサルタント企業を経由していて、経営コンサルティングの基本的な部分を学ぶことができた。そこに味の素時代の経験則によるマーケティング手法も加え、ご依頼のあった企業それぞれの課題や悩みをお聞きして、それらを解決する「打ち手」をマーケティングフレームに合わせてご提案させていただいています。いま現在は(公財)流通経済研究所の特別顧問を務めているのですが、そこでは特任研究員という肩書きもあって流通研究、マーケティング研究にも取り組んでいます。実務支援と研究との両方に日々勤しんでいるところですね。
妻の謳い文句が「世界一相談しやすい一級建築士」ならば、僕の場合はご依頼いただいた企業さまと「現場の意識と行動が変わるまで一緒に伴走する」というところがアピールしたいポイント。ご依頼いただいた企業さまの現場に良い変化が現われるまで、実際に現場に入って皆さんとともに改善や強化に取り組ませていただきます。

転勤の日々を送るなかで再び竹刀を握るきっかけが
――― お二人の人となりを知る意味でも、現在に至る経歴などもうかがえればと思います
明子 子どもの頃から絵を描くのが好きだったので、いつしか美術大学を志すようになりました。私の母は学校の教員だったのですが、母から「女性はなにか資格を持っておいたほうがいい」と言われて育ったこともあって、「それなら一級建築士の取得を目指して、美大の建築科に進むのもいいかな」って。それで多摩美大の建築科に入学したんです。
清水建設にいたときに結婚をして、ちょうど長女を妊娠したタイミングで夫が栃木県宇都宮市に転勤になると決まって。それをきっかけに清水建設を退職しました。その後は広島、大阪と夫の転勤とともに移住しましたが、転勤先それぞれで設計事務所だったりなにかしらの会社に就職して働き続けてきましたね。やっぱりせっかく一級建築士の資格を取ったので「これはずっと活かし続けたいな」という思いがあったんです。
――― 剣道経験のある和良さんの生い立ちは?
和良 僕は6歳のときから剣道をはじめました。当時、「赤胴鈴之助」に憧れて、よく友だちとチャンバラごっこをしていたんですが、その友だちが剣道をはじめる、というので僕もいっしょに。入門したのは地元の少年剣道教室。警察署の元署長さんが私財を投じて貸し出しの防具を準備してくれていた道場で、いっしょにはじめた友だちは途中で辞めてしまったけれど、僕は剣道が性に合ったのか、そのまま中学校まで継続しました。
その後、高校は進学校ではありましたが剣道部にも入部して、そこでは東海大学を卒業された専門の先生に指導をいただきました。3年生になる頃には指導者の先生も異動されたのですが、新しく来た先生も大阪体育大学剣道部出身の新任の方。だから稽古は一生懸命にやりましたね。結局、高校時代は県大会で2位になったり東海大会に出場したり、国体選手にも選んでいただくことができました。
僕の同期の県内の他の強豪校の選手たちは剣道の名門大学に進学したのですが、僕自身は大学受験をしました。高校時代に進路の話になったとき、大体大出身のその先生が「剣道で進学するなら大体大しかないぞ」と(笑)。そこで普通に受験することにしたんですが、受験勉強に励む間にやはり剣道からは自然と遠ざかるようになってしまいました。


高校時代は東海大会出場、国体選手に選考されるなどの戦績を残している
――― 復帰したきっかけは?
和良 味の素に就職して、香川県、東京都、栃木県、そして広島県と転勤したのですが、広島在勤中に長男と次女に恵まれました。広島のあとは大阪府に転勤して6年半ほど過ごしたのですが、そこで長男が「剣道がやりたい」と言い出したんです。
明子 長男は当時ちょうど小学生になるタイミングで、ずいぶんヤンチャな性格だったものですから、夫婦の間でも「なにか運動でもやらせたいね」という話になったんです。それで最初は空手教室を見に行ったんですが、長男は「空手は怖いからイヤだ」って。そこで剣道を見に行ったら「これならやれそう」と。
和良 僕は剣道のツラさを知っているので「冬は寒いし夏は暑いし、しかも竹刀で叩かれたら痛いよ。やめておけば?」と言ったんですけどね(笑)。でも、息子の意志は固くて剣道をはじめることになった。となると僕も保護者として道場に足を運ぶようになるわけです。そうなるとやっぱり保護者同士の交流も生まれるようになり、大人から剣道をはじめたお父さんたちが「迫田さんも剣道やりましょうよ! いっしょに試合出ましょうよ!」って熱心に誘ってくれた。それでも僕はまだ半年ほど断り続けていたのですが、とにかく保護者の皆さんが感じの良い方ばかりで。そんな方々に熱心に声をかけ続けてもらったこともあって、それじゃあ再開してみようかと。
――― ブランクの期間は?
和良 高校以来ですから23年ぶりの剣道でした。実際にやってみると、実際の体はすでに40歳なのに頭のなかのイメージは高校時代の動きのまま。高校当時の動きを無理してやってしまったものだから、復帰した次の日、目が覚めたときには指一本動かせませんでした(笑)。でもそれでも復帰して半年後には四段にチャレンジして合格することができたりして、そこからまたどんどん楽しくなりましたね。
僕にとって良かったのは、子どもといっしょに剣道ができたこと。息子のあとには下の次女も剣道をはじめるようになって、親子三人で道場に通いました。僕もまた同じ道場に子どもたちがいる手前、手を抜いたりサボることもできないし、あまり打たれてばかりでは発言に説得力もない(笑)。そんな環境だったから自然とがんばることができましたね。二人の子どもたちはいまはもう剣道はやっていないのですが、いっしょに稽古ができたあの時期は僕にとってはとても幸せな時間でした。
――― 和良さんだけはその後もずっと稽古を継続しているんですね。
和良 大阪から東京に戻ってからも、自宅から通える圏内の道場を探しました。そこで見つけたのがいまもお世話になっている渋谷の蔵修館金王道場です。2人の子どもたちも中学生を終えるまではいっしょに金王道場に通い続けて、結果的に息子も娘も初段まで取ることができました。
僕自身でいえば、大人になって剣道を再開したことで、若い頃には分からなかった剣道の魅力が分かるようになってきましたね。他のスポーツ競技であれば、やはり年齢を重ねればどうしても体力が落ちてくるだけに限界を感じる場面が増えていく。しかし、剣道の場合、たとえ体力が落ちても技術を積み重ねて研鑽すればどんな相手とでも渡り合うことができます。年齢を重ねるからこそ向上できることがあるというのは剣道ならではの大きな魅力です。僕は剣道の世界に戻ることができて、本当に良かったと感じています。

同社を退職するまでチームの監督を務め、実業団大会などにも参戦した

いまある幸せに目を向けて生きていく
――― それでは最後に、お2人の今後の展望、目標などをうかがえれば。
明子 そもそも私が独立したのは、一時期体調を崩してしまったことがきっかけなんです。大阪から東京に戻ってきてからも、私はある会社に属して働いていたのですが、そこで思いがけず体調を崩しまったんです。仕事をするからには無責任ではいけない、と私も一度はなんとか復職しましたけれど、それでもやっぱり体調的には厳しくて。私自身、もともと独立したいという希望は持っていて、それをいつにしようかとつねに考えていたこともあり、そのタイミングでいよいよ独立の決断をしたんです。
会社を退職してみるとあれだけ苦しんだ体調もやっと快方に向かうようになって。そんな経緯もあるものですから、いまの生活は本当に楽しいんですよね。だから今後はとくに会社を大きくしたいというよりもご依頼をいただいた仕事をひとつひとつ丁寧に仕上げていきたい、いまお仕事をいただけている方々のお役に立てればいいなと思っているだけですね。ご依頼をいただくというのもひとつのご縁ですから、いただいたそのご縁を大切にしていきたいです。
和良 僕も妻と同じ考えで、背伸びをせずに、身の丈に合ったペースで皆さまのお役に立っていければいいなと思っています。その都度いただくお仕事を大事にし続けて、その結果2人でいろいろな人から「ありがとう」って言ってもらえたら、きっとそれはとても幸せなことだなって思うんです。
ちょうど先日、すでにお仕事上でのお付き合いは終わった方々と久しぶりに会う機会があったんです。そこで言ってもらえたのが「あのときお世話になったプロジェクトがいまこんなかたちで花開いています」という報告でした。あれは本当にうれしかったな。
明子 私たちの会社の「アド・バリュー・ライフ」という社名は、もともと私と長女でつけたものなんです。その社名どおり、いまある皆さんの幸せな暮らしにほんのちょっとだけ幸せをプラスするお手伝いができたらいいな、と。それがいま私たちが望むことですね。

「なにが幸せなのか」を良く知るお2人だからこそお客さまへの心遣いもまた行き届いたものになる

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