いつもと違う服装で試合に行ってみたら、大切なことに気付かされた

筆者は悩んでいた。
翌日、剣道の試合がある。
2か月前より禁酒に取り組み、筋トレも行い、毎日欠かさず400本の素振りを行った。
忙しい中、時間を作っていろんなところに出稽古でお世話になった。仕事は忙しく、体は疲れているが、気持ちは充実している。
しかし、悩んでいるのは剣道ではない。服装である。

学生時代、とある八段の先輩に口を酸っぱくして言われたことがある。


「剣道家たるもの、試合のときは顔色(がんしょく)を整えなさい」

これにはいろんな意味があり、文字の通り体調を整えなさいという意味もあるが、先輩は特に、着装はもちろんのこと、試合前の顔つき、髪型、服装を整えて、相手に失礼のないよう試合に臨みなさいという意味を含めて使われていた。
学生時代には、髪の毛を長く伸ばしていたので、特に筆者は目をつけられていた。
卒業して、先輩のおっしゃっていたことを振り返り、なぜ髪型ごときで反抗していたのか、若気のいたりを後悔した。そのため、社会人になって、試合に行くときは先輩の言葉を思い出し、きっちりとした服装を心がけていた。

そして、現在、試合前日である。

試合時の着替えでイヤなことが2つある。

1つは更衣室がなく人前でお尻を出しながら着替えないといけないこと。これは剣道をしている人ならだれもがそうしている。20代の若々しい体であればよいが、40代のたるんだ体では恥ずかしいというのもある。長いスラックスを穿いているとどうしても足を通すのに時間がかかってしまう。
もう1つは、試合用の袴でふくらはぎが青くなった後に、長いスラックスを着用すること。頻繁にクリーニングに出すわけではないので、しばらくの間は仕事中も剣道後の汗と藍が付いたスラックスをはかないといけないのだ。

以外の服装を考えてみたが、すぐ洗えるという意味ではジャージはよいかもしれない。
しかし、ジャージで東京の電車に乗るのはどうも気が乗らない。せっかく都心に出るので、少しでもおしゃれをしたい気持ちがある。

そう、自分の中ではもう答えは出ているのだ。
着替えの際にお尻を出している時間が短く、試合後の気軽にはけてすぐに洗えるもの。それはハーフパンツ、、、いわゆる短パンしかないということを。

しかし、そうなると先輩の言葉を思い出す。短パンで顔色は整うのか。。。。
そもそももう40代である。出場選手を見ても、上から数えた方がはやい。監督の面々も同級生、もしくは年下ばかりである。勇気を出して、今回はカジュアルな服で行ってみよう。

短パンをはくことで相手を不快にさせることはなにか。やはりそれはすね毛だろう。すね毛には清潔感がない。メディアを見ていてもすね毛をケアしている男性は多い。BTSもすね毛はない。すね毛は剃ろう。

これで顔色は整ったか。。否である。鏡をみたがやはり見苦しい。


よくわからないが、ハーフパンツの丈感があまり人に敬意をはらっていないように見える。
ポイントはやはり膝か。膝小僧といわれるぐらいなので、まだまだ人様に見せるには未熟な部分なのだろう。
やはり小僧を隠さないと顔色が整わない。
ハーフパンツの機能をもって、顔色も整うようなパンツがないか、、、

そうだ、ROKXがある。

ROKXの定番パンツに膝まで隠れるクロップ丈の商品がある。この丈であれば、小僧たちがうっかり顔を出すこともない。鏡の前ではいてみた。

これは間違いない。顔色だ!

ROKXのパンツはクライミング用に作っているので、動きやすい。特に足が開きやすいので電車の中でストレッチをしながら会場に向かうことができる。一石二鳥である。

明日の試合はなんだかいけそうな気がする。

そして試合当日。どきどきしながらチームに合流した。


だれも筆者の顔色にはふれない。みんな後輩だし、気をつかっているのだろう。すね毛を剃っているので照れているのかもしれない。
そうこうしている間に開場の時間になり、試合会場に入った。観客席には様々なチームが陣取っている。知り合いもたくさんいる。だれかに何か言われないかドキドキしていたが、何も言われないまま着替えが終わった。
やはりスーツと違って着替えやすい。これは良い。

そしてそうこうしている間に試合が終わった。2か月間の努力も含めてとても良い試合ができたように思える。それもこれもすべて未熟な膝を隠し顔色を整えてくれた相棒のおかげである。

藍に染まってしまったことも気にせずに足を通すことができた。今日は満足だ。

試合会場をあとにしようとしたときに、たまたま対戦相手の方とすれ違った。こちらに気づきわざわざ引き返してきて、その方はこう言った。

「本日はありがとうございました。胸を借りました。おかげで次の試合も良い技が出せました。ありがとうございました。」

なんと気持ちのよい青年か。。。顔色を整えるということは、膝小僧を出さないということではなく、こういった心根をもって相手と接しなさいということではないのだろうか。大変勉強になった。

非常に疲れたがとても良い一日だった。すがすがしい気持ちになった。帰りの階段で膝の小僧たちが笑っていた。

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