「自分で生き抜いていく力を」剣道で養われた精神力で突破した資格で独立開業(後藤伸一 / 後藤不動産鑑定 代表)

一級建築士、不動産鑑定士というふたつの資格を活かし、地元茨城県日立市に不動産鑑定事務所を立ち上げた後藤伸一さん。

社会人としての人生を大手商社勤務からスタートしたものの、そこではリストラという厳しい現実に直面します。

「会社には頼れない。自分自身に力をつけなければ」。

そう考えた後藤さんは難関試験に挑戦、そして見事に合格を果たします。

働きながら受験勉強を続ける生活はもちろん過酷なものでしたが、その苦しい日々を支えたのは剣道で培った強い精神力でした。

プロフィール

後藤伸一(ごとう・しんいち)

1970年茨城県生まれ。茨城高校(茨城)、武蔵工業大学(現東京都市大学)を経て東京工業大学大学院に進む。大学院修了後、大手商社、大手不動産鑑定会社などでの勤務を経て出身の茨城県日立市で不動産鑑定事務所を設立、現在に至る。6歳からはじめた剣道は高校、大学、そして社会人となっても継続。現在剣道錬士六段

後藤不動産鑑定

電話:0294-51-2980

FAX:0294-51-4153

E-mail:gotokan@net1.jway.ne.jp

厳しい現実に直面するも
「かかり稽古」の記憶で乗り越えた

──目の前に海が広がる見晴らしの良いロケーションに事務所を構えておられますね。

 この見晴らしの良さを気に入って、ここに事務所を構えたんです。私自身、もともとの出身がこの茨城県日立市。ここから見える景色が大好きなんです。

──いただいた名刺によれば不動産鑑定士、一級建築士という資格をお持ちの後藤伸一さん。現在営まれているこの後藤不動産鑑定での主なお仕事の内容とは? 

 主に国や地方自治体、企業などからご依頼を受けて不動産の経済価値を判定・評価をしています。

 不動産とひと言でいっても千差万別ですが、日本経済を左右するような要素があるもの。たとえば国、県及び市町村が道路建設や拡幅等を行なう場合、用地買収で鑑定が必要ですし、固定資産税の評価や裁判所関連業務、企業であれば時価会計(保有不動産の適正な時価評価)の仕事もあります。大きな説明責任が伴う仕事ばかりですから、いかに自分の経験と資料収集能力を発揮して適正な評価価格を提示できるかという部分が重要です。

──ご自身で独立されたのは10年前とうかがいましたが、それまでのお仕事の遍歴というのは?

 けっこういろいろありまして、まず私は武蔵工業大学(現東京都市大学)の工学部建築学科で学んだあと、環境系の学問に興味が湧いて東京工業大学大学院に進んだんです。

──ずっと理系の道を歩まれていたんですね。

 高校時代もいちおう国立理系コースというクラスにいたのですが、それは国語が苦手だったからで決して理系が得意だったわけではないんです(苦笑)。高校時代は剣道ばかりであまり勉強はしなかったのですが、それでもなんとか武蔵工大に合格できた。そして、社会に出る前にもうちょっと幅広い分野の勉強を深めたいなと思って大学院に進んだんです。

 大学院を修了したあとに就職したのは大手の商社に入社しました。環境問題を考慮しつつ開発事業に携わりたいと考えたからです。私は建設部門に配属されて、東京、そして大阪と勤務したのですが、入社して3年半ほど経ったところで会社の構造改革があり部門の約9割が退職しました。私は若かったこともあり残る選択肢もありましたが、将来を考え退職しました。いわゆるリストラですね。

──社会人となってまだ間もない時期に、ショックだったのではないですか?

 当時はまだ20代後半のことでしたし、ショックではありましたが会社に頼っていくことの難しさを体験できたのは自分にとって良かったと思います。実際、商社勤務の最後の頃は会社からも「出社しなくていい」と言われていた状況でしたから、その頃に「なにか資格は持っていたほうがいいだろう」と考えて一級建築士取得のために予備校にも通って、実際に合格することもできましたし。

 商社を辞めたあとは縁あって岩手県で建築関係の仕事に就いて、そこで2年ほど過ごしました。その当時、同じ職場の先輩に不動産鑑定士の方がいて「こんな仕事もあるのか」と。その方のお話を聞いてみると「土地と建物との両方の専門知識がある人はあまりいない」と教えてくれました。そこで「一級建築士と不動産鑑定士の資格を持っていたら強いかな」と思い立って不動産鑑定士の本格的な勉強をはじめました。

 それと同時に千葉県の不動産鑑定士事務所に勤務するようになって、働きながら勉強をして3年ほど経ったときに運良く合格することができました。

──実際のところ一級建築士と不動産鑑定士とはやはり関連性は深いですか?

 これはめちゃくちゃありますね。不動産鑑定には必ず建築基準法が必要になりますし、建物を建てるか建てないかで土地の価値も大きく変わってきます。そもそも不動産鑑定士の試験の段階でも必ず建築基準法も出てきますから、一級建築士の資格と経験は私にとってはかなり大きなものでした。

──それこそが後藤さんならではの強みでもあるんですね。そこから独立までの流れというのは?

 不動産鑑定士に合格したあとは東京の大手不動産鑑定会社に採用となって、そこで8年間ほど勤務しました。勤務した時間も長いですし、大手ということで取り扱う案件もそれこそ北海道から沖縄まで日本全国。かなり大きな案件(都心の数百億円規模の案件や不動産投資信託【J-REIT】等の評価)なども経験できたので自分のなかでかなりのノウハウを得ることができました。不動産鑑定には経験値が重要ですから、当時得たことは間違いなくいまに活きていますね。

 しかし私自身は、あまり会社という組織のなかでの上司及び部下との関係が得意ではないこともあって、8年勤務した段階で「独立したいな」と考えるようになりまして。不動産鑑定士は、地方での独立開業が向いており、地元であるこの日立市に帰ってきて開業することにしたんです。それがいまから10年前、42歳のことでした。以降はこの日立市がある県の北部地区を中心にお仕事をいただいて、いまに至っています。

──しかし、一級建築士も不動産鑑定士も難関の資格試験です。その両方に合格するにはかなりの努力が必要だったんじゃないですか?

 自分でも「うーん、よく受かったな」なんて思いますけどね(笑)。でも、そのきっかけは商社時代にリストラを経験したことで「会社頼みではなく、自分自身でがんばらないと生きていけない」と痛感したことにありますし、やっぱり勉強をがんばれた要因はなんと言っても剣道のかかり稽古です。あれを思い浮かべれば「この受験のツラさもかかり稽古に比べればどうってことない」って思えた(笑)。剣道のおかげでがんばれた部分もけっこうあるんです。

自身の出身地でもある茨城県日立市にて事務所を開業。
自宅併設の事務所の目の前には公園があり、そこから見える海の景色は絶景だった
オフィスの入り口には取得した資格等の証書類が並ぶ

写真右から、不動産鑑定士合格証書、宅地建物取引主任者資格合格証書、剣道六段合格証書、一級建築士免許証

一級建築士、不動産鑑定士の資格取得のために必死で受験勉強に励んだ。不動産鑑定士の参考書に関してはまるまる一冊分、その内容すべてを暗記するほど徹底的に読み込んだという
独立からすでに10年。日立市を含む県の北部地区からの依頼が多く、地域からの信頼は厚い

いまだ終わらない剣の道
目標達成を夢見て

──現在は剣道は?

 独立してからは仕事が忙しかったこともあって「稽古できる時間はあるかな?」という様子見のような状態で続けてきました。近くに日立製作所の大みか工場さんがあるのですが、そこの剣道部で週に1回程度稽古をお願いしているような状態で、細々となんとか続けてきた感じです。

──資格受験のお話にもあったように、剣道は後藤さんの心の支えになっているようですが、そもそもいつからどのようなきっかけではじめたのですか?

 はじめたのは6歳の頃ですね。私はもともと弱虫な子どもだったので親もそんな性格を心配していたようです。そこで近所の子が「剣道をやっている」とウワサを聞いてきて入門したのが地元の日立電線日高道場でした。

──全国的に名前の知られた伝統ある道場ですね。

 私自身も「剣道ってカッコいいな」と感じてはじめたのですが、周りはみんな強いですし、練習もツラかったですね。あまりにも厳しすぎて、稽古中はなるべく目立たないように後ろのほうに隠れていたこともありました。

──とは言え、少年時代には全国大会への出場経験もあるとうかがいました。試合でも活躍できたんですね。

 小学生時代、高学年になるくらいまではそれなりに勝負できましたが、中学生になる頃には全然ダメでした。自分自身でも「自分の剣道はスピードはあるけれどクセがあるな」と感じていたのですが、やっぱりそれでは通用しなくなってきた。だから自分としては高校に入ってからまたイチから剣道を学び直したような意識がありますね。

──高校はどちらに?

 高校は水戸市にある私立の茨城高校に進学しました。ただし剣道を意識した進学ではなかったので最初は剣道部に入部するかどうかも迷っていたんです。ところがいざ入学してみると同級生には子どもの頃から知り合いだった他の強豪道場出身者が多くて。学校内でバッタリ顔を合わせては「あれ? ◯◯道場の……」という感じで、部活を見学した流れで剣道部に入部しました。

 そんな偶然も重なって、稽古のレベルも高かったんですよね。一学年上の先輩にも強い方がいて、その方の指揮のもとに「インターハイに出よう!」という目標を掲げて活動していて、稽古も厳しかったです。

──高校時代の戦績となると?

 インターハイ出場なんて叶わぬ夢でしたが、それでも高校3年生のときにチームとして関東大会に出場できたのはうれしかったですね。

 私はチームの先鋒を務めたのですが、大会はトーナメントと最終リーグ戦があり、当時強豪だった茗溪学園高校や境高校を撃破して出場権を獲得しました。

 その後の関東大会本戦は予選リーグで負けてしまいましたが、記憶では茨城高の歴史上、関東大会出場は後にも先にもその1回だけなんです。

──その後の武蔵工大でも剣道部に入部したんですね。

 それもあまりコレといった理由もなかったんですけど、ほかにやることがなかった(笑)。私自身、テニスサークルという柄でもないので自然と剣道部に入ることになったんです。

 でも、大会では活躍はできなかったけれど、入部してみるとけっこう練習はがんばりましたね。学生当時、現在も開催されている世田谷六大学学生大会に参加したんですけど、やはり他の参加校は国士舘大学、日本体育大学をはじめとした剣道部を強化しているようなチームばかり。そのなかにあっては武蔵工大はつねに最下位でしたが、私自身は個人的な戦績は悪くなかったこともあって、どこかこう他の大学から大学名や肩書だけで「弱い」という扱いを受ける雰囲気が悔しかったんです。

 当時の同期の主将もまたやる気のある学生だったので、その主将と私の二人でずいぶんと稽古を厳しくしましたね。もしかしたらほかの部員たちにとっては迷惑だったのかもしれないけど(苦笑)。

 でも剣道をガツガツとやっていたのはそれくらいまでですよ。大学院時代は剣道からは離れていましたし、商社勤務時代も剣道部には所属していましたけれどやはり仕事がメイン。その後、岩手、千葉、東京と勤務地が変わっても稽古は続けてきましたが、それでもブランクがありながらボチボチという感じでやってきた感じですから。

──そこがすばらしいと思います。たとえ試合で大活躍してもその後剣道から離れてしまう例は多いです。後藤さんご自身は「たまたま」とか「ほかにやることがないから」とおっしゃいますが、ブランクを挟みながらもずっと継続していくことは一時期だけ活躍するよりも大変なことです。

 なんなんでしょう……。たぶん自分のなかでまだ「終わっていない」感覚があるんでしょうね。いまはもう大会で活躍するということなどはもちろん考えてもいませんが、「中途半端に終わらせたくない」という思いはどこかにあるんですよね。それはきっと中学生時代からずっと満足していないからだと思うんです。中学生時代に勝てなくなって、高校時代も目標のインターハイ出場は叶えられなかった。大学時代も目標としていた試合での活躍は成し遂げていません。だからこそ、いまでも続けているのかもしれませんね。

 実際に稽古をすれば充実感と爽快感を覚えます。そういう意味では稽古がキツくて苦しかった少年時代に感謝ですね。あの頃の経験があったからこそ、自分にとっていま剣道は食事や歯磨きと同じくらい、生活に自然と存在するものになっていますから。

──最後に、お仕事と剣道について今後の目標などもうかがえれば。

 仕事については、いまは土地家屋調査士の勉強をしているところです。不動産の表題登記の申請義務は所有者に課せられていますが、その手続き作業は非常に面倒なもの。不動産の表示に関する登記に加えて、地積測量図や建物図面を作成するのが土地家屋調査士の仕事です。また一級建築士資格所持者は、「午前の試験」が免除されますから、この資格を使わない手はないと考えました。合格することができたら、仕事の幅もまた広がりを見せるんじゃないかと思っています。

 剣道については、実はそろそろ本格的に再開しようとしているところです。いままでは仕事のこともあって自分のペースで稽古するだけでしたが、地域への貢献と、剣道を教えていただいた恩返しなども考えつつ、正式に剣道連盟にも登録をしようかと考えています。

 私は現在錬士六段をいただいていますが、六段に合格したのがちょうど独立した時期で、もう10年が経過します。周りの剣道仲間も順調に昇段していますから、私もぜひ七段に挑戦をしたいなと。そのためにはしっかりと稽古を積むことが重要。過去の剣道人生ではなかなか目標達成とはいきませんでしたが、新しい目標である七段合格はぜひ果たしてみたい夢ですね。  私のモットーとしている言葉があって、それは「一日生涯」というもの。独立したときになぜか事務所にあった色紙に書いてあった言葉で、これが不思議と私の心に響いたんです。毎日毎日、その一日を一生だと思って仕事にも剣道にも向き合っていきたいですね。

剣道は6歳から、地元の日立電線日高道場ではじめた。小学生時代は関東大会、全国大会に出場するなどの活躍を収めている

長く継続してきた剣道は現在錬士六段の腕前。七段審査合格を目指して稽古への本格復帰を誓う
自身のモットーである「一日生涯」の色紙。どのような経路で入手したものかは不明だというが、「英之」の署名、落款印から元大蔵官僚、政治家、弁護士でもあった相澤英之氏の揮毫と推察される
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茨城県日立市大みか町4-18-15
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