整骨にカイロプラクティックを組み合わせ、総合的に身体を調整。自分と向き合い選んだ開業の道(鈴木 裕一郎 / ゆう整骨院カイロプラクティック 代表)

「この仕事は本当に自分のやりたいことなんだろうか」

就職活動に疑問を持ち、大学卒業後は就職せずに2年間のモラトリアム期間を過ごした鈴木さん。会社員として働き、30歳が節目となって自分を再度見つめ直します。

自分に何ができるんだろう」と考え、行き着いた答えは「誰かの喜ぶ姿をみたい」でした。

国家資格である柔道整復師の資格を取得し、さらにアメリカではドクターと同等の権限を持つカイロプラクティックの資格も取得。地元・所沢で、地域密着の『ゆう整骨院カイロプラクティック』を営みます。

本記事では、現在の仕事を始めるまでの経緯や、仕事をする上で大切にしていること、そして剣道の先生としての信念についても伺いました。

プロフィール

鈴木 裕一郎(すずき・ゆういちろう)

1971年埼玉県出身。埼玉栄高等学校を卒業後、国際武道大学に進学。東京システム運輸ホールディングス株式会社での勤務を経て、柔道整復師の資格を取るために専門学校に通う。その後、カイロプラクティックの資格も取得し『ゆう整骨院カイロプラクティック』を開業。剣道は小学校の頃に始め、高校時は関東予選優勝、埼玉県新人戦優勝などの戦績を残す。現在は、地元中学校のコーチを務める。平六会所属、段位は四段

整骨にカイロプラクティックの技術を組み合わせ、総合的に身体を調整

ーー事業内容について伺ってもいいですか?

埼玉県所沢市の自宅で、『ゆう整骨院カイロプラクティック』を経営しています。

このあたりで身体に何か不調を抱えている方、また、剣道関連の方々も来院してくださいます。

ーー整骨院、整体、カイロプラクティックなどをよく見かけますが、それぞれの違いはなんですか?

整体とカイロプラクティックは民間資格ですが、整骨院は国家資格の柔道整復師の資格を持っていなければ開院することができません。

でも、カイロプラクティックはアメリカを含むいくつかの国では国家資格に認定されていて、WHO(世界保健機関)では医療としても認められているんですよ。

ーー整骨院とカイロプラクティックを組み合わせているのはなぜですか?

カイロプラクティックの勉強もしたほうがより総合的な治療ができると考えたんです。なので、柔道整復師の国家資格を取得した後にさらにカイロプラクティックの専門学校に通っています。

カイロプラクティックはギリシャ語の「Chiro(手)」と「Prakticos(技術)」を組み合わせた造語なんです。アメリカ発祥の手技による治療方法で「アジャストメント(調整)」を特徴としています。

身体全体のバランスを整えることで、筋肉や神経など身体の様々な部分のはたらきも正常な状態に近づきます。一人一人が本来持つ、身体の回復能力を引き出すことが当院での目的ですね。

治療をする際は、まず簡単な病歴や生活習慣、どこが痛いかなどの悩みを聞いた上で実際に身体の様子を診ます。身体の歪みを総合的に判断して、病状や個人差に応じた治療を行っています。

施術は専用のベッドを使用して行います。専用の機器を利用することで、患者さんの身体への負担を減らしながら、適切な調整ができるんですよ。

埼玉栄から国際武道大学に進学。海外に憧れ、アメリカを目指す

ーーいつ頃から自宅開業を考えていたのですか?

元々は体育の先生になりたかったんです。それで国際武道大学に進学して、教員免許を取るつもりでした。

ーー剣道はいつから始めたのですか?

小学校2年生の時です。子供の頃に近所にあった習い事は水泳か剣道だけで、仲の良かった友達2人が水泳を選んだんです。人と同じことをするのが嫌だったので剣道を選びました(笑)あとは、従兄弟のお兄ちゃんたちも剣道をやっていたので、その影響もあるかな。

道場は、家から自転車で10〜15分くらいのところにありました。リュックに稽古着と袴を詰め込んで、自転車に乗って1人で通っていました。

でも、やっぱりつまらなくって。近くに幼稚園があったんですけど、サボって遊具で遊んで帰ってきてました。

ーーつまらなかったのは、先生が怖かったからですか?

先生は、怖かったですね!おじいちゃん先生で、上座に座っているんですけど、その脇にこんな大きな石が置いてあるんです。石をぶつけたり叩いたりするわけじゃないんだけど、僕らが喋りながら面つけたりしてると、石をゴロゴロゴローって転がしてくるんだよね。もうそれが怖くて。

ーーなんですかそれ?(笑)

いや、だから石を(笑)ゴロゴロゴローって転がしてくるの(笑)それが怖くて。

ーー怖いですね(笑)

怖いでしょ!ちゃんと計算してくれてて、当たらないけどね。でも当時の僕らからしたら、怖くってね。おしゃべりしてもピターっと止まってた。先生の傍には、ずーっと石が置いてあるんですよ。怖いでしょ(笑)

そこは小さな町道場なんだけど、大人になってからお借りしたことがあるんです。その時に、「ああ!この石だ!」って

ーー石がまだあったんですね(笑)中学校は部活で剣道していたのですか?

はい、中学校は剣道部でした。市内で優勝もしたことのない、普通の剣道部です。

ーーでも強豪の埼玉栄に進学なさったんですね。

2つ上の先輩が埼玉栄に進学したんですけど、「お前もこいよ」って誘ってくださったんです。当時の埼玉栄には2年生の先輩が20人、3年生が15人くらいいたんですけど、1年生は夏までに6人になってしまったんです。

先輩や先生の稽古着、袴、防具を干すなど、色々な仕事があって、全てを1年生6人でやるので大変でした。上下関係も厳しかったので、誘ってくださった先輩には「俺、お前はやめると思ってたわ」と言われたこともあります(笑)

ーー誘ったのにやめると思ったって言われたんですね(笑)でも、大変だったのに卒業まで続けたんですね。

やめようと思ったことはなかったですよ!先輩たちが、めちゃくちゃかっこよかったんです。

5月ごろに関東予選が始まるんですけど、普段はボロボロの防具を使っている先輩たちが、公式戦の時は、お揃いの綺麗な防具を纏うんです。もうかっこよくて。「先輩たちみたいになりたい」と、強い憧れがありました。

大学は、高校の先輩も多く進学している国際武道大学に進学しました。大学時代も剣道漬けの日々でしたね。

でも、けっきょく体育の先生にはならずに、大学を卒業してから2年間くらいはフリーターをやってました。僕ね、アメリカに行きたかったんですよ。

就職活動の時期に「みんな本当に自分が就職したい会社に入るのかな」と、ずっと疑問だったんです。とってつけたような志望動機を並べて、面接に行って…それって本当にやりたい仕事なのかな、本当に自分のやりたいことは何だろうと考えるようになりました。

ーーわかる気がします。

うん、少なくとも僕は「就職活動」というものに全然興味が湧かなかったんですよ。それに70・80年生きる長い人生のうち、2・3年海外に行ったって大したことないんじゃないかって考えたんです。

ちょうどその頃、剣道部でテキサス大学に1週間ほどの短期留学をする活動がありました。日本から防具を持っていって剣道をして、そのまま防具一式を置いてくるんですけど、それに応募したんですよ。

「テキサス」っていったら、サボテンとか乾燥した土地をイメージしてたんだけど、すごく緑が綺麗で、しかも公園にリスがいて、もうびっくりしちゃって!

感動して、日本に帰って卒業したら、絶対アメリカに行こうって決意したんです。それで物流会社の倉庫で働いて、2年間で400万円貯めました。

ーーすごいですね!

でもね、お金も貯まって「よし行こう」と、いざ調べたところ、どうやらビザが必要らしい。

ーーアメリカってビザ厳しいですよね?

そうなんです。観光ビザだと3ヶ月しか滞在できないから、英語力は上がらない…。それまでは、「剣道もできて、英語力も上がって、しかも働ける!」って考えてたんですけど、ビザがない。「あれ…これ行けねぇんじゃねぇ…?」って(笑)

でも、色々調べたらワーキングホリデーというものがありました。「しゃーない、オーストラリアに行こう。多少訛りがあっても関係ない。東京と大阪みたいなもんだ」そう考えて、行き先をオーストラリアに変更したんです。

でもね…ワーキングホリデーに行く前に、彼女ができちゃって(笑)遊びに使ってしまって、結局オーストラリアにも行かなかったんです。

ーー好きな人ができてしまったら、一緒にいたいですよね。

彼女と出会えて本当に良かったと思ってます。だから、後悔はしていないですよ。

目標にしていた海外計画が頓挫してしまい「どうしようかなあ」と考えてた時に、地元の友達が「暇だったら剣道の試合観に来る?」と誘ってくれたんです。それが、多摩地区実業団剣道大会でした。

その大会に東京システム運輸も参加していて、先輩と武大の2つ下の後輩が試合に出てたんです。その時のご縁がきっかけで、東京システム運輸の入社試験を受けて入社しました。会社の剣道部に所属しながら、31歳くらいまでお世話になりました。

30歳、自分の生き方を問い直す

ーー退職には、何かきっかけがあったんですか?

30歳になって人生の岐路に立ったというか、「俺は、本当にこの会社でずっと物流の仕事をやりたいのだろうか?」って自分自身に問いかけたんです。

その時に、高校時代にお世話になった2つ上の先輩のことを思い出しました。

ーー高校の剣道部に誘ってくれた先輩ですか?

そう。先輩は高校を出てすぐ、西所沢の整体・整骨院に修行に入ったんです。そのことをふと思い出して「自分でお店を持つのもいいな」なんて考えたんです。「先輩、元気にしているかな」とも気になったので、連絡してみたら、先輩はとっくにやめてた(笑)

ーーやめてしまわれてたんですね(笑)

そう、全然違う仕事をしてた(笑)でも、その話を先輩にしたら「やればいいじゃん」って背中を押してもらえて。先輩の兄弟子にあたる先生のところに相談に行ったら「とりあえず、柔道整復師の国家資格を取った方がいい」とアドバイスをしていただきました。

ちょうどその年の4月、うちから20分くらい電車に乗ったところに新しい学校ができるとも聞いていました。そこで柔道整復師の資格を取れるんです。「これは行くしかないんじゃないか」と面接と試験を受けて、会社を退職し、その春から学生に戻りました。

それが31歳くらいかな。会社員も面白かったんですけどね。役職も主任にしていただいていたし…。でも、売上が上がった、下がったとか、給料に数字として反映されても、達成感を感じられなくなってたんです。

お客さんから直接「鈴木さんのおかげで良くなったよ」って言われて、僕はそれに対して「良かったね」って返す。そういうやり取りをしたかったんです。

ただ、誰かの喜んだ顔を見たかったというか…。それは「感謝して欲しい」という話ではなく…。

ーー達成感?

そうですね!たまに「弟子をとって、会社を大きくすればもっと儲けられるだろ」って言われることもあるけど、僕はぶっちゃけ「経営」的なことはあんまりしたくないんです。治療に集中して、来院してくださった患者さんをきちんと治すこと。それが一番大事なことだと思ってます。

ーー今の仕事では、どんな時に楽しいと感じますか?

身体のどこかに悩みを抱えた患者さんを治して、満足してもらって帰す時です。結果を出して帰すことが、僕の仕事だと思うんです。接骨院とか整体院のなかには、適当な仕事をする人もいるんですけど「施術してもらったものの、何が良いんだかわからない」っていうのが僕は一番嫌なんですよ。

ーー柔道整復師の学校には何年通われたんですか?

3年です。卒業する年の国家資格に受かると柔道整復師の資格を与えられるんです。

ちなみにその学校には、アロマテラピーの授業もあったんですけど、そのアロマテラピーの先生がいまの妻なんです。彼女は先生だったけど、僕は一度社会人になっているから年齢は2つ下でした。

そして、卒業したあとは、カイロプラクティックの学校に入学しました。僕、本当に患者さんには、良くなって帰ってほしいですよ。それで、もっと人体への理解を深めるためにカイロプラクティックを勉強したんです。

カイロプラクティックは日本では民間資格ですが、アメリカではドクターと同等の権限を持っているんです。骨と筋肉、関節を調整して、ズレによって生じている問題を取り除くことで、その人が持ってる神経の流れとか人間の治癒力を引き出すんです。

学校に通いながら結婚。そして突然の出産

ーーカイロプラクティックの学校にはどれくらい通ったんですか?

2年かな。でも入学してすぐの4月くらいに、彼女が息子を妊娠してたことがわかりました。両親には結婚するつもりだと話して、そのあと彼女をうちの両親に会わせました。翌週、スーツを着て彼女のご両親に挨拶に行き、さらにその翌週に両家でご対面。それで、9月10日に結婚式を挙げることになりました。

8月にはアパートを借りて2人で住んで、結婚式も終えた9月17日の夜中に、妻が突然破水したんです。

ーーえっ、予定日よりだいぶ早くないですか?

予定が12月だったから、3ヶ月早かったですね。夜中に2人でテレビを観ていたんですけど、妻が立ち上がったら、破水しちゃってね。びっくりしたよ、もう。

でも、夜中だから病院も閉まっているし、「一回横になって、とりあえずアジャストしよう」と、僕が妻の頭蓋骨の治療をして落ち着かせました。

ーー仕事が活きてますね(笑)でも、大丈夫だったんですか?

本当は救急車を呼ぶべきだったんだけど…なんで呼ばなかったんだろうね(笑)

8時に行きつけの病院に連れて行ったものの、日曜日だから閉まっていて。当直の先生がいたからエコーを当ててもらったんです。そしたらやっぱり「破水しちゃってるから産まないとダメ」だって。

その日に出産可能な病院を探してもらって救急車で移送してもらいました。無事に出産したんだけど、生まれた時の重さは858g。頭なんて野球のボールくらいでした。

そのあとまた別の病院に救急車で移動して、子供が大きくなるまで3ヶ月くらい入院していました。2・3日に一度はアイスバックで母乳を届けたりして、定期的に様子を見に行って、退院できたのは12月24日。その時には体重も3,100gくらいになっててね。その時期は忙しくて記憶がありません(笑)

剣道を通して、世の中に出ても負けない心と身体を育てたい

ーー鈴木さんは、お仕事のかたわら、息子さんの学校で剣道を教えていらっしゃるんですよね。

はい。今から2年前に、息子が通う中学の剣道部をみるようになりました。週末とか平日の午後ですね。冬時間はすぐ暗くなっちゃうから面をつけられなくて、竹刀を振るだけの時もあります。夏は平日の3時半くらいから始めて1時間半ほど稽古をします。

ーー剣道を教える上で大切にしていることはありますか?

普段の稽古で勝った、負けたとか、そういう気持ちは持たないようにと伝えています。例えば、すぐ下がったり避けちゃう子いるでしょ。「稽古なんだから、どんどん打たれなさい。打たれないとわからないから。実際に試合に出た時に、思い切った技が出せなくなってしまう」と伝えていますね。

あとは僕、物真似が得意なんだけど、子供の真似をよくします(笑)

「お前の打ち方はこうなっているよ」と真似することによって、僕自身もその子のことをもっと理解できる。

ーー真似することで、その子の体の動きの仕組みがわかる?

そうそう、モノマネするとわかる(笑)それを踏まえてアドバイスをしています。

モノマネが得意な鈴木さん

あとは「世の中良いことばかりじゃない嫌なことの方が多いから、やれあそこが痛いとかここが痛いから休みたいとか言ってる場合じゃない。部活は社会に出る前の練習みたいなもんだから、頑張ってこい。竹刀を振れなかったら、見るだけでもいい、見学だけでもいいから、とにかく部活に来い」と伝えています。

ーー「社会に出る前の練習」は、例えばどんなことですか?

僕は、働くっていうことは、お金を稼ぐだけではないと考えているんです。人は、みんな繋がっているから。「自分は1人でなんだってできる」って考えているやつがいたとしたら「無人島に行ってみろ」と言いたいですね。

僕たちが住んでいる町の道路は、勝手に出来上がったんじゃなくて誰かが作ってくれている。誰かが夜中働いているから電気が動いている。誰もが、誰かを支えている。だから、その一端をちょっとでもいいから担う。そういう気持ちで仕事ができたらいいですよね。

まだ中学生だし、今はわからなくてもいいんです。あとでわかればいいから、そういうことを伝えていきたいです。

子供の頃から息子には何度か剣道をやってみないかと誘っていたのですが、ずっと「やらない」と言われていました。しかし、中学校に入学すると剣道部に入部。そのタイミングで僕も指導に入りました。

息子の中学校の部活の子達はみんな初心者だったのですが、団体戦で男女ともに市の新人戦と学総で優勝し、県大会に出場することができました。初心者だった子たちが力を合わせて入賞したことにとても感動しました。

みんな今年で卒業しますが、「高校に入ってからも剣道を続けたい」と言ってくれる子もいて、本当に指導に関わって良かったと感じています。

余談ですが、息子は春から私の母校に入学が決まりました。春から坊主が確定です(笑)

ーーお父様の背中を追ってるんですね。素敵です。

あとは、僕は「平六会」という剣道の同期会に所属しているんですけど、この会のみんなにすごく感謝しているんです。僕が20代の頃からある同期会で、学校も段位も実績に関係なく、ただ剣道を好きな同学年の人たちが集まっています。コロナになってからなかなか集まれていませんが、落ち着いたらまたみんなで稽古や飲み会をしたいですね。

ーー同期との絆が、剣道へのモチベーションになっているんですね。

そうですね。魅力的な人が多くて、たくさん刺激をいただいています。

今後は、剣道も仕事も、関わる人・困っている人を助けていきたいです。例えば、「こういう風に打ちたいけど打てない」と悩んでいる人がいたとして、それは技術ではなくて身体の問題かもしれない。日常生活でも同じです。身体の不調も、原因となるところを直したら変わるかもしれない。長年ついた癖を直すとか、そういう相談も受けていきたいですね。

あとは試合や学校に行って、選手のパフォーマンスを上げるような出張施術もできたらいいななんて考えています。

ーー本日は実際に施術もお願いしましたが、身体を丁寧にみていただき、とても楽になりました。お仕事に向き合う姿勢だけではなく、剣道の先生としてのお話も大変勉強になりました。ありがとうございます!

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